鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今日は寒い。冷え込んでいる。

2008-02-14 22:00:29 | 直言!
トレードセンター前に10時につけばいいが生駒で乗り換え、コスモスクエアで乗りかえでものすごく時間を取るように思ってしまう。乗り物に乗っている時間はそんなに長くないのに時間がかかるよう思ってしまう。
5時半の目覚ましたで起きて洗濯を干したり朝食の準備をしたりその後片付けをして家を出ようと思ったら7時23分、21分の中循環に間に合わない。夫は近鉄奈良駅まで送ってくれた。走っている中循環バスを追い越していく。やはり車が早い。7時30分に行きつけの喫茶店に行って急いで新聞を見る。8時前に近鉄奈良駅から電車に乗って生駒にでて乗り換えてコスモスクエアにでて乗り換えてトレードセンターに行く。
今日は金剛学園高校の卒業式である。
生徒たちの送辞と答辞に思わず涙がでてしまった。
在校生の女子生徒も卒業生の答辞に泣いている。
新校舎移転まで保護者や教師たちが苦労したことを知っていたようだ。
韓国語で「お父さん、お母さんが苦労されたことは決して忘れません。この学校で学び卒業したことはこれからも忘れずに自慢していきます」という。
おもわず私も涙ぐんでいました。卒業生を送りだす在校生も「先輩たちと困難を乗り越えたことは記憶に残していきます。家族のような温かい金剛学園、先輩たちのおかげです」という。またまた参加者の胸をキュンとさせました。
西成区にあった旧校舎は大阪市都市開発事業で校舎の1棟が道路になることで立退きになった。代替えの土地をもらい校舎建設には難航に難航だった。
南港に移転するのにこんなにも難航だったのかとおもうほど難航した。
大阪府・市の教育機関・韓国政府の関係者そして民団関係者にPTAの保護者に教師さらに理事会、校友会は一致団結して新校舎移転のため努力をした。
ここに書き表すことができない。
在日同胞の多い大阪の地域である。ここに書ききれないこともあった。乗り越えるのに克服しなければならないことがあったが皆心を合わせて子どもたちの学校教育のために一致団結して移転一筋に取り組んだ。
昨年9月1日、新校舎竣工式を迎えた。民団関係者も学校関係者も韓国政府関係者そして大阪府・市教育委員会関係者もようやくたどり着いたことで感無量だった。
そんなことを高校生になると感じ取っていたのだろうか。
「永遠に金剛学園のことは忘れません。お父さんお母さんに感謝の心をずっと持って新しい門出に出発します」
高校生の泣かせる名文句に参加者は胸に響くものがあった。

国際交流は卒業生たちも在校生もきっと架け橋の役割をしてくれると確信していた。卒業生たち、韓国に帰って韓国で暮らしても在日同胞のことは忘れないで韓国の人たちに在日の生活をありののまに伝えて架け橋になってほしい。そして在日同胞の子どもは日本社会で日本社会の架け橋になり日本人生徒も韓日の架け橋になってほしいとそんな願いを込めて今日の卒業式はまた昨年と違う感動を胸にしていた。

卒業式の取材現場を終えてトレードセンター前の駅に向かって歩いていると卒業生を送った在校生の男子生徒も女子生徒は私に「アンニョンハシムニッカ(こんにちは)」と声をかけてにっこりと笑顔で通り過ぎていく。
生徒たちの温かい微笑にも似た春を見つけた。
私は生徒に「春を見つけたから写真を取っていくは」と言うと生徒たちは「ふとたちどまってボケの花の蕾を見た。そして立ち去る時に「アンニョイケセヨ(さようなら)」と言ってトレードセンター前の駅に言った。
写真を取ってトレードセンターで昼食をして駅に向かうと金剛学園の男女生徒のカップルが歩いてきた。私は顔を覚えていないのに生徒たちは覚えている。
「アンニョンハシムニッカ」と笑顔で挨拶をしていく。
こんなおばさんにちゃんと笑顔で挨拶していく。うれしい。本当にうれしい。
まだまだ韓国系の民族学校、在日韓国人の礼儀は残っている。
この礼儀はやはり民族学校として韓国の歳時記をきちんと教えてその礼儀も教えているから自然に身についているものである。うれしいと思った。
日本の学校も「歳時記」という行事を見直していくと礼儀も自然に身についていくのではないだろうか。
そんなことを思った今日の金剛学園の卒業式、困難を乗り越えた後の報いられる喜びを生徒たちも感じ取っているのだろう。社会にでても努力をしていく。コツコツ積上げていくと必ず夢はかなえられる。そのために努力をしなければならない。そんなことも移転を通して伝わっていたことだろう。

私ごとですみません。
私は息子が大学を卒業して就職するときに荷物を送るのに手紙を入れた。手紙にいつも書いた。
「頭も使って心も使って体も使って汗をかいて仕事をすること」と言った。息子は親の手紙をまともにみていたかどうかわからないが繰り返し繰り返し書いていた。本名で大学に行って本名で就職した。本名を使うことはこういことも頭に置いてしなければならないと暗黙の中で伝えた。
金剛学園の子どもたちも就職は本名でいき国籍もそのまま通過するが今度の難関は結婚である。日本人との結婚で国籍をどうするのか。また悩むことになる。
とにかく生涯、親のルーツを忘れないで子どもにもそのことをきちんと伝えていける大人になってほしいと願っている。

在日コリアンの生きる社会は厳しい。けれどめげないでまけないで生きて欲しいと願わずにいられない。
写真のホケは時空館のいく公園道路に咲いていました。まだ蕾です。すこしだけ開いています。けれど季節を伝えています。震え上がる厳しい寒さの中で春を伝えています。もう春はそこまできているようです。
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