遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

貫名海屋『烟月満閑庭』(捲り)

2023年10月11日 | 文人書画

貫名海屋、晩年、83歳の書です。

31.8㎝x133.0㎝。文久元年。

貫名海屋(ぬきなかいおく(安永七(1778)年ー文久三(1863)年):阿波生。江戸後期の儒者、画家、書家。主に京都で活躍。市河米庵、巻菱湖とともに、幕末の三筆と呼ばれた。近世の日本の書に大きな影響を与えるとともに、南画家としても活躍した。

烟月満閑庭。

烟月、閑庭に満つ。

烟月:かすんだ月。おぼろ月。 閑庭:もの静かな庭。 

これで、貫名海屋の作品を3つ紹介したことになります。

『水墨山水 杜甫「復愁十二首」』55才

『漢詩 題山水図』60代?

『烟月満閑庭』83才

貫名海屋は、中国に憧れ、文人画家として名をなしました。同時に、晋・唐の法帖の臨書に励み、中国の書法を身につけました。その一例が、前に紹介した『水墨山水 杜甫「復愁十二首」』です。しかし、それに飽き足らず、独自の書法を模索していきました。以前紹介した貫名海屋『漢詩 題山水図』では、「脱倣写 海屋生」とその意気込みを書いています。

そして、今回、晩年になってからの書は、中国のバックボーンをもちながらも、豊かで潤いと品格に満ちたものになったと言えるでしょう。

こうやって較べてみると、一人の文人の精進の跡が見てとれます。

貫名海屋は、当時としては長寿の人でした。最晩年、85歳には中風で倒れましたが、それでも筆を握り続けました。その書は、「中風様」とよばれ、傑作とされています。いつか入手して、他の書と並べ較べてみたいと思っています。

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今年も栗きんとん、手づくりvs.銘店*味較べ

2023年10月09日 | 故玩館日記

猛暑の夏がようやく終わったと思ったら、いきなり秋真っ只中。

今年も、姉から栗の差し入れ。

栗おこわと栗きんとん。

いつもながらのボリュームです。

まずは、栗おこわから。

能登半島の上げ浜塩もついてました。

パラパラと振りかけていただくと、栗ともち米の甘さが一層引き立ち、おいしくいただきました(^.^)

で、次は食後のデザートへ。

今日は豪華に栗きんとんで行きましょう(^.^)

と思ったところへ、別口からの差し入れ。

こりゃあ、またまた、栗きんとんの可能性大

やっぱり、そうでした。

今や全国展開の東濃、恵那川上屋。

一個ずつ紙に包まれ、きっちりと包装されています。

かたや、クッキー皿の上にのって透明パックに輪ゴム止め(^^;

季節ものですから、これまでも、栗きんとんのニアミスはありました。この間もらった物の方が美味かったかなあ!? 味の感覚は本当に微妙です。数日経つとあいまいになって確かなことは言えず、何となく割り切れない気持ちでいました。

今回のようにほぼ同時ということはレアもレア、大レアケース。これはもう、食べ較べをするほかはありません。

まずは冷徹に科学者の目で重さを測定(大げさ(^^;)

手作り品が4割ほど重い。やはり、ボリュームの姉(^^;

いよいよ、味くらべです(大げさ(^^;)

先入観を排するため盲検(またまた、大げさ(^^;)

目をつぶって、二つの皿を交互に10回ほど動かせば、もうどちらがどちらかわかりません。

そして、まず、一方を口へ。甘みと旨みが口の中で広がります。滑らかな感触も栗きんとんならでは。

一年ぶりの味を堪能したところで、もう一つをほうばります。これも美味い。でも・・・・何かが少しちがう・・・甘みが少ない・・・口の中で、耳から鼻側へ、栗のほのかな風味がフッと抜ける。

神経を集中して味わってみると、きんとんの中の栗の粒々を噛んでいる時、特に風味を感じるのです。以前、みょうがぼちを紹介した時も、ソラマメ餡の粒々が決め手だと書きました。売っている品は、どうしても擂り潰しすぎてしまう。同じように、栗きんとんでも、滑らかななかにある栗の粒が大切なようです。生地と粒の絶妙のバランス、これは芋きんとんには無い要素ですね。みょうがぼちや栗きんとんのような、もともと家庭のおやつであった食べ物は、ツブツブが命。作り手の匙加減が一番効いてくるところです。

もう、お分かりですね。つたない味較べではありますが、姉の栗きんとんに軍配が上がりました。

考えてみれば、売り物の場合、甘みは少しきつめの方が持ちがいい。全国展開ともなると、最低数日の時間が必要です。実際、脱酸素剤入りできっちりと包装されて、3日間の消費期限でした。

姉の方はというと、さしたる距離(時間)でもないのに、保冷剤入りで持ってきてもらいました。

にわか仕立ての味のソムリエからひとこと。

栗きんとんは鮮度とツブツブが決め手

 

 

 

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池大雅『水墨山水画 李白「望天門山」』

2023年10月07日 | 文人書画

文人画の大成者、池大雅の山水画です。

全体、54.0㎝x132.8㎝、本紙、45.2㎝x35.1㎝。紙本。江戸中期。

池大雅(いけたいが、享保八(1723)年―安永五(1776)年):江戸時代を代表する文人画家、書家。無名、霞樵、三岳道者、大雅堂などと名のった。貧しい庶民の出ながら、幼少から神童といわれ、書、そして絵に秀でていた。柳沢淇園らの導きを受けて中国の南宗画を研究し、さらに多くの文化人と交わり、文人画を大成した。また、独自の書も非常に評価が高い。

押さえた筆致で、雄大な景色を描き出しています。

二つの大きな山に挟まれて、川が流れています。

二つの山の向こう、右端には、ポツンと小さく帆が描かれ、一艘の小船がやって来るのが見えます。

この情景が詠われているのが、賛に書かれた次の詩です。


天門中斷楚江開碧
水東流直北回両㟁青
山相對出孤帆一片日邉

      無名 印(白文、池無名載成)

 

李白 七言絶句「望天門山」
天門中斷楚江開  
碧水東流至(直)北回  
両㟁青山相對出  
孤帆一片日邉来  

「天門山を望む」
天門、中(なか)断ちて楚江開き、
碧水、東に流れ北に至りて回(めぐ)る。
両岸の青山、相対して出で、
孤帆(こはん)一片、日辺(にっぺん)より来る。

天門山の真ん中が断ち切られて楚江が流れ、
東へ流れていた深緑の水は、ここで北にぐるりと向きを変える。
青々と木々の茂った両岸の山は、向かい合って天に突き出ており、
一艘の小さな帆船が、太陽が輝いている辺りからこちらへやって来る。

天門山:安微省蕪湖近くにある「博望山」と「梁山」のこと。二つの山が長江両岸にそびえ立っていて、天に門が開いたように見えることに由来する。 
楚江:長江(揚子江)。この辺りが楚(戦国時代)の領土だったことによる名称。
一片:小さな一艘の舟
日辺:遠いかなたの太陽のあたり。

雄大なスケールの詩です。
作者、李白は、天門山(博望山)の北東側に位置して、南西方の天門山(梁山)を望みながらこの詩を読んでいることになります。
中国へ渡ったことの無い池大雅ですが、李白の詩に描かれた情景を、かなり的確にとらえて墨画にしています。
特に、俯瞰的描写は、彼の得意とするところです。それは、池大雅が、当時としては珍しく、富士山や立山などの険しい高山に登って写生を行っていたからでしょう。そこへ、大雅特有の遠近法をまじえて、独特の文人画が出来上がっていると言えます。
今回の作品の賛も、李白の詠んだ場所を考慮した位置に書かれていると思われます。
大雅は、各種書体を縦横に駆使して、多彩な書をものにしました。今回の賛は楷書ですが、一本筋の通った字は、他の追随をゆるさない個性にあふれています。
右上から左下方へと視点が移動する画面構成は、池大雅の山水画で多く見られます。今回の作品もその一つです。
最少の筆使いで出来上がった瀟洒な画面からは、清廉潔白な彼の性格を反映してか、透き通るような透明感が感じられます。
日本の文人画の中で、池大雅の作品が別格とされる理由はその辺にあるのかもしれません。


先回の貫名海屋の水墨山水図です。やはり中国の詩人の作品を題材にした品です。杜甫「復愁十二首」からの一情景を描いた品です。


池大雅から100年後、おそらく海屋は大雅の影響を受け、この作品を描いたのではないかと思われます。

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貫名海屋『水墨山水 杜甫「復愁十二首」』

2023年10月05日 | 文人書画

江戸後期の儒者・南画家・書家、貫名海屋の水墨山水画です。海屋の書は、以前のブログで紹介しました。今回は水墨画です。

全体、47.2㎝x170.5㎝、本紙、31.7㎝x97.0㎝。天保3年。

貫名海屋(ぬきなかいおく(安永七(1778)年ー文久三(1863)年):阿波生。江戸後期の儒者、画家、書家。主に京都で活躍。市河米庵、巻菱湖とともに、幕末の三筆と呼ばれた。近世の日本の書に大きな影響を与えるとともに、南画家としても活躍した。

海原(陸水?)にポツンと釣船が一隻、岸には一軒家が描かれています。長閑ですが、どこか物寂しい風景です。左上には讃。

このようなタイプの絵は、文人画とよばれる絵画です。

 賛は、杜甫の五言絶句です。

「復愁十二首」其の二
 
釣艇收緡盡
昏鴉接翅稀
月生初學扇
雲細不成衣

釣艇、緡を收めて盡き、
昏鴉、翅を接すること稀なり。
月、生じて初めて扇を學び、
雲、細くして衣を成さず。

緡:音、ビン、訓、いと、意、釣り糸。
昏:音、コン、訓、くれ、意。暮れ。
鴉:音、ア、訓、からす。
月生:月(三日月)が出る。

(夕暮れになると)釣船は糸を片付け、
夕鴉も翼を接するほどの群れではなく、まばらにねぐらへ帰る。
新月が過ぎて姿を現した月は、扇のように丸くなろうとする。
雲は細かく薄っすらとあるのみで、これを布にして衣を作れそうにもない。

杜甫の居があった中国、瀼西の夕暮れ、どこか愁いを帯びた情景が詠まれています。

貫名海屋は、杜甫のこの詩に詠まれている光景を、自分なりに描いたのです。

「壬辰春仲寫幷録少陵之詩 海客」

とあるので、この水墨山水画は、天保三年(1832)、貫名海屋が55才の時のものであることがわかります。当時としては、最もあぶらがのった時期です。文人画としてほぼ完成の域に達していると思われます。

文人画は、職業画家ではない知識人が、いろいろなしがらみにとらわれず、自分の理想とする情景を自由に描いた絵です。深山幽谷の山水画が多いですが、花鳥画もあります。

日本では、江戸時代中期、池大雅が文人画を大成させたと言われています。彼は中国への憧れが強く、初期の画は中国の故事や詩を題材に描いたものが多いです。

池大雅の時代からほぼ100年後、貫名海屋が大雅を意識して描いたとしても不思議ではないでしょう。

次回は、江戸時代の文人たちに大きな影響を与えた池大雅の作品の一つを紹介します。 

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こんな事有り?!😲二度採りで美味😋季節外れのマクワウリ

2023年10月03日 | ものぐさ有機農業

なが~~~かった夏が終わり、季節が急に秋になりました。

猛暑が続くと、野菜たちにも異変が起きるのでしょうか。以前のブログでも少し紹介しましたが、普通ならとっくに栽培が終わっているはずの小玉スイカやマクワウリが、収穫が終わって枯れた後、いつのまにか復活して、再び実を結んでいたのです。

六月初めにマクワウリの苗を植えつけ、七月末から八月初頭にかけてどさっと収穫しました。当然、ツルは枯れましたが、あまりの暑さで片付けるのをさぼっている間に、新しいツルと葉がどんどん伸び出したのです。あれよあれよという間に、以前と同じくらいに繁って畑を覆いつくし、花が咲き、実がなりました。

1回目収穫

2回目収穫

急に気温が下がり、さすがに終盤。

3回目収穫

数では、7月末~8月初の収穫に及びませんが、特筆すべきは味です。秋収穫のマクワウリは、夏のものに較べて、味が濃厚なのです。

 

季節外れの御褒美は、外へ出られない程の酷暑の産物でした。

このような季節外れの二度目の収穫は、二毛作、二期作でもありません。いったいどう呼んだらいいのでしょうか。ずっと農業を続けてきた古老に尋ねても、全く聞いたことがないとのことでした。

もとはと言えば、枯れたツルを片付けなかったサボリ体質が福を招いた!?

😋ものぐさ有機農業に幸あれ😋

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