遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

貫名海屋『水墨山水 杜甫「復愁十二首」』

2023年10月05日 | 文人書画

江戸後期の儒者・南画家・書家、貫名海屋の水墨山水画です。海屋の書は、以前のブログで紹介しました。今回は水墨画です。

全体、47.2㎝x170.5㎝、本紙、31.7㎝x97.0㎝。天保3年。

貫名海屋(ぬきなかいおく(安永七(1778)年ー文久三(1863)年):阿波生。江戸後期の儒者、画家、書家。主に京都で活躍。市河米庵、巻菱湖とともに、幕末の三筆と呼ばれた。近世の日本の書に大きな影響を与えるとともに、南画家としても活躍した。

海原(陸水?)にポツンと釣船が一隻、岸には一軒家が描かれています。長閑ですが、どこか物寂しい風景です。左上には讃。

このようなタイプの絵は、文人画とよばれる絵画です。

 賛は、杜甫の五言絶句です。

「復愁十二首」其の二
 
釣艇收緡盡
昏鴉接翅稀
月生初學扇
雲細不成衣

釣艇、緡を收めて盡き、
昏鴉、翅を接すること稀なり。
月、生じて初めて扇を學び、
雲、細くして衣を成さず。

緡:音、ビン、訓、いと、意、釣り糸。
昏:音、コン、訓、くれ、意。暮れ。
鴉:音、ア、訓、からす。
月生:月(三日月)が出る。

(夕暮れになると)釣船は糸を片付け、
夕鴉も翼を接するほどの群れではなく、まばらにねぐらへ帰る。
新月が過ぎて姿を現した月は、扇のように丸くなろうとする。
雲は細かく薄っすらとあるのみで、これを布にして衣を作れそうにもない。

杜甫の居があった中国、瀼西の夕暮れ、どこか愁いを帯びた情景が詠まれています。

貫名海屋は、杜甫のこの詩に詠まれている光景を、自分なりに描いたのです。

「壬辰春仲寫幷録少陵之詩 海客」

とあるので、この水墨山水画は、天保三年(1832)、貫名海屋が55才の時のものであることがわかります。当時としては、最もあぶらがのった時期です。文人画としてほぼ完成の域に達していると思われます。

文人画は、職業画家ではない知識人が、いろいろなしがらみにとらわれず、自分の理想とする情景を自由に描いた絵です。深山幽谷の山水画が多いですが、花鳥画もあります。

日本では、江戸時代中期、池大雅が文人画を大成させたと言われています。彼は中国への憧れが強く、初期の画は中国の故事や詩を題材に描いたものが多いです。

池大雅の時代からほぼ100年後、貫名海屋が大雅を意識して描いたとしても不思議ではないでしょう。

次回は、江戸時代の文人たちに大きな影響を与えた池大雅の作品の一つを紹介します。 

コメント (2)
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