遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

大橋秋二?作『黄瀬戸桜紋徳利』

2022年08月21日 | 古陶磁ー国焼

よくわからないものシリーズ、第5弾。

今回の品は、江戸後期の陶芸家、大橋秋二作と言われる徳利です。

胴径(最大) 5.4㎝、口径 3.9㎝、底径 5.3㎝、高 12.6㎝。江戸時代後期。

【大橋秋二】寛政7(1795)年~安政4(1857)年。尾張国津島(現愛知県津島市)稲垣家の長男として生まれ、後に大橋家の養子となり医者となる。趣味で作陶を行い、多彩な作品を残す。晩年は、岐阜県養老の滝に窯を設け、養老土産として売り出した(養老焼)。

黄瀬戸の徳利です。薄造りで、落ち着いた黄瀬戸肌になっています。桜の花が表に二つ、裏に一つ、釘彫りされています。完成度の高い品です。

底には、流麗な筆致で、「秋二」「秋二造」とあります。

さすが趣味人の作、非常に雅味のある器です。

愛酒家ならずとも、一献傾けたくなりますね(^.^)

それほど有名な作家ではありませんが、中部地方では人気があり、秋二銘の陶磁器を時々みます。ところが、大橋秋二は風流人として気の向くままに作陶し、知人などに与えた物がほとんどで、残された品物はそれほど多くはないことがわかりました。

かつて、津島市で大橋秋二愛好家の所蔵品を展示する会がもたれました。その時、代表の人が鑑定をするというので、今回の徳利を見てもらいました。すると・・・・「これは、◯◯のものだがや」(名古屋弁丸出し(^^;)と一言(人名◯◯は忘れてしまいました(^^;)。◯◯は、秋二と同郷の人で、生前から秋二に憧れ、師事した人とのことでした。また、その出来栄えは、秋二に勝るとも劣らないものであったそうです。

うーん、なかなかにマニアックな世界ですね。

言い訳がましいですが、何にでも手を出してすぐに引っ掛かる遅生ならずとも、大橋秋二で通る品でしょう(^.^)

 

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大皿・大鉢・壷34 鎌倉時代?『常滑壷』

2022年08月19日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

よくわからない物シリーズ第4弾、今回の品は、鎌倉時代の壷として買った物です。

胴径(最大) 25.2㎝、口径 20.9㎝、底径 17.0㎝、高 35.6㎝。重 6.6㎏。

縦長の壷です。特にこれといった特徴はありません。平凡な姿形のためでしょうか、図録などに載っているのを見たことがありません。

底に現われている陶土は、砂けの多い常滑の土そのものです。

所々に石咬みがあります。

古い常滑焼といえば、肩がギュッと張った鎌倉時代の壷、特に不識壷が有名です。ソロバン型のこの壷は、いかにも質実剛健な鎌倉武士をおもわせ、人気があります。灰が降っていて、茶室に入るほどの小型壷となると、かなりの高額になります。

そんな訳ですから、何でも屋の遅生が手を出さないはずがありません(^^;

ところが、不識壷は江戸時代も、ずっと作られ続けていました。特に、江戸後期には、鎌倉物の精巧な写しが作られ、よほど精通した業者でないと見分けがつかないほどです。ましてや、素人のガラクタコレクター、見事に引っ掛かってしまいました(品物はもう手もとにはありません(^^;)

ということで、鎌倉の常滑壷がずっとトラウマになっていました。そこで、比較的最近入手したのが今回の壷でなのです。

うーーーーん、これが鎌倉? よくって室町後期か?

内部を覗くと、粘土紐で輪を積み上げて壷を作っていく時の跡が残っています。一気に積んでいくと自重で崩れるので、いくつか積んだ後、少し乾かします。そして、また輪積み成型を続けていきます(段継ぎ)。この時にの段差が幅広の帯状に残ります(下写真)。

段継ぎの痕跡は、外側にも表れます。下の写真の左端の形をみると、3段ほどの段継ぎになっていることがわかります。

おお、そこそこ古い造りの壷か、と気をよくして、上部を観察すると、歪みのある胴体に対して、首部はスッキリと整っています。

ひょっとして、別々に作った?

再度、内側を覗いてみると、

あっ、ありました。指で押さえた痕が。口部分を別に作っておいて、ここで接合したのですね(中国の胴継ぎと同じ)。

この技法は、鎌倉時代の瀬戸の瓶子でもみられます。

どうやら、時代は鎌倉として良いようです。そういう目でみると、この平凡な壷は、その形から、土師器末期の壷の延長線上にあるようにも見えてきました(^.^)

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大皿・大鉢・壷33 法花騎馬人物紋大壷

2022年08月17日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

今回は、「イケナイ物にも胴継ぎ?」の品です。

以前に、法花三彩樹下人物紋瓶子を紹介しました。法花とは、中国明、清時代に造られた特殊な色絵陶磁器で、器の表面にイッチンで縁取りをして模様を描き、三彩釉薬を差して焼成した物です。

今回も、その技法を使った大壷です。

胴径(最大) 40.7㎝、口径 21.0㎝、底径 25.4㎝、高 35.9㎝。重 7.8㎏。

この品の本歌は、東博にあります。

高30.8cm、口径17.8㎝、底径24.2㎝。明時代。江戸幕府重臣、青山家伝来。重要文化財。

 

今回の品は、東博の法花三彩壷の写しです。一回り大きいです。

青、紫、黄(茶)、白釉をつかって、

騎馬人物と、

二人の唐子が表されています。

 

反対側も似たデザインですが、人物や周りの模様が若干異なっています。

騎馬人物と、

二人の唐子。

以前に紹介した法花三彩樹下人物紋瓶子に較べると、色釉に深みがありません。もちろん、オーラを感じ取ることはできません。

ただ、全体に色調は落ちつき、近年のコピー品に見られる、妙なテカリはありません。

少しは時代を経ているのでしょうか。

内側を覗くと、胴継ぎの痕がクッキリと見えます。写真では上部に見えますが、器の中央部です。

ものの本には、「中国の古い陶磁器は胴継ぎで・・・」とあります。確かに、中国の古い壷や花瓶は、上下のパーツを貼り合わせて作られています。しかし、この技法がいつ頃まで行われていたかについては、はっきりしません。ひょっとしたら、今も一般的なやり方なのかも知れません。

それがわかれば、今回の品の評価も定まり、もやもやが晴れてスッキリするはず(^.^)

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敗戦特集 12.迫撃砲弾

2022年08月15日 | 敗戦特集

この品は、数か月前に『戦争と平和』で登場しました。今回、戦時の遺物として、もう少し調べてみました。

長さ 31.7㎝、胴径(最大) 8.1㎝。重さ 3.0㎏。1940年代。

実はこの品、先のブログでは、焼夷弾(爆弾?)として紹介しました。

しかし、いろいろと調べていくと、どうも、焼夷弾や爆弾ではないようなのです。焼夷弾では発火性の薬剤、爆弾では爆薬を内部に詰め込んでいます。なるべく多くを入れるためか、弾の形は筒形がほとんどです。ところがこの品は、見事な流線形です。飛ばすための物ですね。

どうやら、これは迫撃砲の弾丸らしいとの結論に至りました。迫撃砲は、近距離戦に用いられる軽火砲で、敵の陣地などを攻撃するための火器

この品は、その形状から、旧日本軍の九九式81㎜迫撃砲弾と思われます。

 

 

中はカラです(よかった(^^;)

底部に特徴有り。

内部の発射薬からガスが発生し、砲身からロケットのように飛んでいきます。丸い穴があいています。ここからガスが噴出します。姿勢の安定と飛距離をかせぐために、フィンがついています。風車のように回転しながら飛んでいくのでしょう。

迫撃砲は、大正時代に開発されたそうです。そんな物がまだ使われているとは、何か人間の業を見るような気がしますね。

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胴継ぎ陶磁器2点

2022年08月14日 | 古陶磁ー中国

先のブログで『樹下高士琴弾図玉壺春瓶』を紹介しました。この品は、伊万里焼か中国物か判断がつかなかった物です。最終的に、中国明末の品ということで決着しました。決め手は、器を作る時に、上下二つのパーツを接合する胴継ぎの技法が使ってあったことです。

そこで、他にも胴継ぎの器がないか探したところ、2点見つかったので報告します。

以前紹介した旅持ち茶籠に入っていた茶道具の一つです。

径 5.4㎝、口径 2.1㎝、底径 3.7㎝、高 5.6㎝。17-19世紀。

中国南部民窯かその影響を受けた東南アジアの品でしょう。

胴のまん中(写真では下から三分の一の位置に見える)の凸帯が見られます。これは胴継ぎの痕に違いない・・・・・

で、内部を覗くと、

筋状の接合痕がはっきりと見えます。

こんな小さな壷まで、上下二つのパーツを合わせて造るなんて驚きです。

もう一つは、青磁尊式花瓶です。

高30.0㎝、外径17.2㎝、底径12.5㎝。中国明時代?

中央の帯部に、片切彫りで細かな模様(花びら?)が刻んであります。この帯の上側凸帯が怪しい(^^;

内部を覗いてみると、

接着部が帯状にはっきりと見えます。

今回、内部を穴のあくほど覗いて気がつきました。この花瓶には青磁釉が内側にもたっぷりとかかっています。しかし、中央より下は、青磁色がほとんどなく、白っぽい状態です。これは、花瓶の内側下部にまで酸素がまわらず、還元が進みすぎて、青磁色を示す酸化第一鉄からさらに金属鉄へと変化したためと思われます。青磁を焼成する時は、やみくもに酸素を絶って熱するのではなく、最後に空気を入れて一焚きするそうです。微妙な酸化ー還元調整が必要なのですね。

こんなに大きさが違う品ですが、両方とも同じ胴継ぎの技法が使われていることにあらためて驚きました(^.^) 

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