明治七宝の大皿です。
この品は、以前、大皿として一度紹介しました。
今回、七宝として観察し直したところ、いくつかの興味深い事柄が見つかりましたので、あらためてアップした次第です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/57/624bb18c4110a1c93fd224ab0d2d8321.jpg)
径 36.0㎝、高台径 19.5㎝、高 4.9㎝。明治時代。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/64/13e0bfcb2d64d7e79766f2e67804989f.jpg)
典型的な輸出品です。
明るいブルーが、明治の時代を表しているようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/ad/5f3a024dbc618f746e46d6e32f572e88.jpg)
皿吊り金具は、外国で付けられたのでしょう。不思議なのは、オリジナルの幅広金具のうち、3本が折れ、針金パーツに変えられていることです。針金には糸か細布が巻かれていた痕跡が残っています。幅広金具で傷がつくのを嫌ったのでしょうか。ならば全部変えてしまえばいいように思うのですが(^^;
裏面は、全面に青海波。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/9e/b44a8997c4ca93e58aa34d25e4d63495.jpg)
この皿の売りは、やはり、表の花鳥図です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/92/d973baa60cfa58159ba2034978af07db.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/d1/2daf0cd9d535a796a9e5eaffd2b3fd84.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/c2/95d71fc45a2cbe40786b8d9f86254abc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/c1/93a5d95c805118c0b30fd12f03e7c748.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/ee/161406be62a750851f6d84318ac8520b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/f0/760b0e41886a720f18c91093fb714d7a.jpg)
絵が単純なので、七宝の描き方がよくわかります。
金属線で縁取りをして、その中に色釉鉛ガラスを入れ、焼き付けます。グラデーションも一部ありますが、基本的には、金属線で囲まれた部分は単色です。その結果、色釉が混ざり合うことなく、シャープな絵ができあがります。丁度、友禅染めの場合に、糊で縁取りをして、色をさすのと同じです。白い糸目が、七宝の金属線に相当します。
この品の場合、金属線は、葉脈や花びら、青海波模様も表しています。
さて、今回はじめて気がついたのですが、表面のあちこちに、◯が点在しています。中小かなりの数あります。白っぽいのがほとんどですが、茶色っぽいのもいくつかあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/95/ad1ac68c7cc36bbda72960e4c0e36e1f.jpg)
伊藤若冲にならって、病葉を描いたのでしょうか?
じっと見ると白い部分が輝いているような・・・
拡大して見ると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/28/c41a0eec59ff8954cfcf318943794441.jpg)
ぽっかりと穴があいています。中は、ピカピカと銀色に輝いています。
針の先でつついてみると・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/42/d85a7d1905735d57b934bc8514fd77c8.jpg)
白い部分は取れて、茶色が出てきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/6f/8b746db952b2c33f8596cc00ca6e2eaf.jpg)
確かに削れています。
どうやら、表面の濃紺色釉が剥げた後には、銀粉が残り、その下にさらに茶色の色釉があるようです。
他の場所に、もっと深くえぐれた穴がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/5a/321d17660bbcd98db030addc99e453e9.jpg)
茶色で、銀粉は見られません。
ピンセットでつついてみると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/a8/9af5dd9f02087c2505adb60d7893860d.jpg)
茶色ガラスの小塊がポロリととれ、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/06/61839eeca502eada93e27981e30837eb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/a8/9af5dd9f02087c2505adb60d7893860d.jpg)
ポッコリと穴があきました。
拡大して見ると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/8f/e246bc1335dfb5db552cea8345e92c5f.jpg)
ボディの銅が見えます。
七宝の解説書には、銅などのボディに、金属線で細かく縁取りをした後、鉛ガラスを糊で溶いて輪郭線の内側を埋め、焼成する、とあります。
しかし、この皿の傷からは、もっと複雑な工程が浮かんできます。
いきなり色釉をさして絵を描くのではなく、下地を茶色釉で作っておき、その上に銀粉(?)をまいた後、各種色釉で最終的に花鳥図を描いたと推定されます。
どうしてこのような工程をふむのでしょうか。
銀粉は、ひょっとしたら、日本画の胡粉のような役割をしているのかも知れません。材質も、銀ではなく、胡粉そのものの可能性があります。白いキャンバスに色ガラス釉で描かれた花鳥画が、より映える効果を狙ったのではないでしょうか。
裏面も含め、青色の地には、◯型の剥離は全く見られません。銀粉(胡粉)が下に撒かれていないからでしょう。その分緻密で、剥離し難い。
この推定が合っているかどうか、青色部分を少し傷つけて調べてみる必要がありますね(^^;
それにしても、これだけきれいな◯形に、色釉が剥離するのはなぜでしょうか。
疑問だらけですが、一度の焼成で済むようなものではないことは確かです(^.^)