先回のブログで、江戸後期土佐派の絵師、土佐光孚による能画『張良』を紹介しました。例によって、『張良』の江戸時代の絵は他にもあったはず、と引っ張り出したのが今回の品です。狩野派の絵師、勝部如春斎による『張良』(双幅)です。
全体(の半分)、一幅、62.0㎝x187.3㎝。本紙(紙本)、51.4㎝x129.3㎝。二幅対。江戸中期。
【勝部如春斎】(かつべ じょしゅんさい)享保六(1721)年ー天明四(1784)年。江戸中期、上方で活躍した狩野派絵師。近年再評価がすすむ。
江戸中期の狩野派絵師、勝部如春斎の墨絵『張良』です。
先回の土佐光孚『張良』と同じ場面ですが、今回の品は能舞台の一場面ではなく、物語の情景を描いています。
馬に乗った黄石公が沓を川に落とし、それを激流から取り戻した張良が沓をかかげているところです。
狩野派らしい筆致で、
黄石公、張良、そして馬が描かれています。
黄石公の左足が裸です。やはり、左の沓を落としたのですね。
作者、勝部如春斎は大阪周辺で活躍した絵師ですが、一般に広く知られてはいません。私も、この品を入手するまでは知りませんでした。資料が少なく、真贋を云々する段階にはないのですが、この絵から伝わる画力から、真と信じたいです(^.^)
江戸時代には、全国各地に、このようにローカルに活躍した絵師がたくさんいたのですね。
濃い墨の線はまるで書みたいだし、薄い墨はためらいがなく一筆書き。だから力強いのでしょうね。昨日のどちらが好きかと問われれば、断然こちらが好きです。
狩野派は、中国の漢画の系統を引いている訳ですから、やはり、中国故事を表現するのには向いているのでしょう。
狩野派はまた紛本主義で、伝えられてきた画題を引き継ぎながら、画業を習得していったそうです。
おそらく、張良はそのなかの代表的画題の一つだったのだと思います。
いかにも狩野派という印象ですね(^_^)
狩野派が粉本主義で画業を習得していったとはいえ、やはり、人には天性の上手下手がありますよね。
このかたはは上手ですね(^-^*)
現代でも、中央画壇で活躍している有名なかたは、ほんの一握りの人ですものね。
地方で活躍している人は、広く一般には知られていませんものね。
江戸時代でも同じような状況にあったと考えられますよね。
これからは、このような人を発掘してゆくべきなのでしょうね。
出来上がった尺度を基にすれば、安全で安心ですが、それ以上にはなりえません。それに制約は財布だけですから、ビンボーコレクターの行きつく先は知れてます(^^;
リスク無くして栄光無し(オオゲサ^.^)
江戸期の美濃派を集めています。俳句には簡単な絵を添えるのが普通です。自画讃でない場合は、絵師の絵になります。しかし、そのほとんどがわからりません。地方の無銘絵師なのですね。
権謀術数とハッタリを重ねて有名になるよりも、ローカルでひっそりとmy way(^.^)