遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

呉須赤絵*魁草花紋中皿

2021年12月20日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

先回のブログで、呉須赤絵、印判手天下一乾坤気象文字大皿を紹介しました。それに対して越後美人さんがコメントをよせられ、新潟にある木村茶道美術館でこの皿に似た品物があり、ブログでとりあげたと知らせて下さいました。さっそくそのブログを拝見したところ、非常によく似た呉須赤絵皿が載っていました。そして、その横には、呉須赤絵魁鉢があり、菓子鉢として使われているとのことでした。

そういえば、ウチにも魁の呉須赤絵があったはず、とあちこちを探し回り、やっとみつけたのが今回の品です(^^;

径 20.9㎝、高 台径10.8㎝、高 3.9㎝。中国、明時代末。

なるほど。鉢ではなく皿ですが、この大きさなら茶席に入りますね。

中央に、大きく「魁」の文字。

縁起の良い文字なので、この字が書かれた呉須赤絵は、魁手として茶道では珍重されてきたようです。

周囲の赤絵草花紋も、擦れが少なく、鮮やかに残っています。

 

高台内をみると、やはり二度、化粧掛けをしていることがわかります。先に掛けた薄茶色の釉と、さらにその上にたっぷりと掛けられた白釉は全く混ざっていませんので、ひょっとすると、それぞれを掛けた時点で焼成を行い、赤絵を施す前にすでに二度焼されているのかも知れません。その理由は、おそらく、胎土の鉄分が多いため、一回の白化粧掛けでは、白釉の中に鉄分が入り込んで白色が茶に変色するためではないかと思われます。事実、下側の白釉は、薄く茶色になっています。

上の写真には、大きな茶色の斑点があります。これは、熱により胎土中の鉄分が噴き出したものです。

顕微観察をすると、内部から浸みだしてきた様子がわかります。

 

茶色の斑点のまん中には、鉄の結晶が析出。まるで火山のようですね。これからの茶人は、新火山も愛でるかも(^.^)


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6 コメント

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遅生さんへ (Dr.K)
2021-12-20 12:47:27
私も、今、越後美人さんのブログ記事を拝見してきたところです。
2014年11月27日付けの「志光る 木村茶道美術館」の記事ですね。

確かに、「呉須赤絵印判手大皿」と文様はほとんど同じですね。
でも、この「木村茶道美術館」のものは、写真でみた感じでは、8寸くらいの皿ですね。その大きさなら、確かに茶席で菓子器として使えるでしょうから「菓子器 呉須赤絵印判手皿」となりますね。「大皿」とは表記していませんね。

私も、お茶をしていないので分からないのですが、遅生さん所蔵の「呉須赤絵印判手大皿」のような尺3寸もあるような大皿を、茶席ではどのような用途に使っていたのか、興味があります。

江戸前期の頃は、尺越の大皿を大名が使っていたらしいですが、それはお茶には関係無いようだったようですけれど、お茶席では、どの様に使っていたのか興味がありますね(^-^*)

故玩館からは、続々と、オーソドックスな名品が登場してきますね(^_^)
今度は、魁手の呉須赤絵の皿の登場ですね(^-^*)
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Dr.kさんへ (遅生)
2021-12-20 14:04:28
大皿はどのように使われたのでしょう。多分、実用ではなく、飾りではないでしょうか。茶室の床は狭いのですが、飾ろうとすればなんとかなると思います。故玩館改修の時、ウチにあった茶室(実質、物置)は撤去したので、実証することができません(^^;

江戸前期、伊万里の大皿は大名など上層階級の需要に応えて作られたのでしょうが、私にはその後、上流階級は変わらずにあったのに、どうして大皿が消えてしまったのかわかりません。江戸後期の町民が力をもつまで、んぜ大皿に冬の時代が続いたのか不思議です。

オーソドックスな品は、後発組にはもはや入り込む余地は無いです。後を辿るだけでは面白みがありません。何よりも先立つもので勝負になりません(^^;
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遅生さんへ(その2) (Dr.K)
2021-12-20 19:53:45
お茶では、大皿をどのように使ったのでしょうかね?
寄付に飾ったのでしょうか?
私は、お茶に招かれたことなどありませんので、さっぱり分かりません(><)
でも、何か、気になります。

江戸中期には、伊万里の大皿がどうして消えてしまったのか、これも不思議ですね。
これも、何故か、気になります。

そうですよね。オーソドックスな品は、「後発組にはもはや入り込む余地は無いです」よね。それに、「後を辿るだけでは面白みがありません」よね。
でも、一通りのものは集めたくはなりますよね。
遅生さんは、それを、ちゃんと実行されていますから凄いです(^_^)
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Dr.Kさんへ(弐) (遅生)
2021-12-20 20:55:24
そうですね、寄付なら飾れますね。
でも、呉須赤絵は相当派手ですから、いくら奔放な絵付けが詫び錆びに通じるからと言っても、これを飾るのはどうかと思うのですが・・・・やはり、唐物への憧れが底にあったのでしょうね。

一通り集めたい、図録の隅っこに載っている物を手にしてみたい、というのはもう収集家のサガですね(^^;
そのくせ、手に入ったらもう、ろくに見もしない(私のケースです)。ブログあっぷ時には、否応なく眺めざるを得ないです(^.^)
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遅生さんへ(その2) (Dr.K)
2021-12-21 09:51:47
>一通り集めたい、図録の隅っこに載っている物を手にしてみたい、というのはもう収集家のサガですね(^^;
そのくせ、手に入ったらもう、ろくに見もしない(私のケースです)。ブログあっぷ時には、否応なく眺めざるを得ないです(^.^)

私も全く同じです(^_^)
コレクターというものは同じ様な性格の人が多いのでしょうか(^-^*)
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Dr.Kさんへ(参) (遅生)
2021-12-21 10:44:37
物と人間の関係は、言葉ではうまく表せない微妙なものがありますね。

同類相哀れむ、ではないですが、なんせこの種の人間は、1万人に一人の割合しかいない稀少種だそうですから、フィーリングなどがおのずと似通ってくるのかもしれません(^.^)

ps. 自分の品は入手したらそれっきりですが、Drの品物は、穴のあくほど眺めます(写真を通してですが)。おかげで、少し伊万里に明るくなりました。
工藤吉郎さんの記事、探し中です。もう少し時間をください。
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