先々回のブログで、投網図の彫られた木盆を紹介しました。
その時、どこかで見たことがある図柄だと思いましたが、はっきりとはわかりませんでした。
梅雨で外の仕事もできないし・・・・・
本棚の脇に、雑に積んである本の山をゴソゴソしていたら・・・・・・
・・・・あるではありませんか!
野口裕教、沼野国典、沼野信子『明治・大正・昭和の図変り印判』光琳社出版、平成5年
その、48頁目。
古伊万里ではなく、印判(銅判染付)でした。
こちらは、先に紹介した投網図木盆です。
船の上(印判)と桟橋(木盆)との違いはありますが、非常によく似ています。
この印判皿の産地は不明です。たいていの印判は、美濃か瀬戸の産ですが、ひょっとすると、伊万里かも知れません。人物を除けば、網目皿。網目皿は、伊万里では、多く作られましたから。
時代は、明治より下るでしょう。
さて、この二つの品、どう考えてみても、職人が図柄を考案したとは考えられません。
二つの品の元になる絵が、どこかにあるのでしょうか?
北斎のタッチに似ている? 北斎の有名な投網図は、富士をバックに海へ投げ入れた網を引き上げている場面で、今回の構図とは異なります。数多い北斎の絵手本も調べれみる必要がありそうです。
この印判皿、大きさは10㎝ほどの小皿です。
かなりの珍品であることは事実ですが、やはり、印判、そこそこの数つくられたのでしょう。ネットオークションにも、複数出品されています・・・・・・
値段をみてビックリ。5000円ほどの開始価格。いくらなんでも、10㎝の印判皿にこの値はないでしょう。
というわけで、故玩館の投網木盆は、当分、相方不在のままです。
なお、この印判皿、他のブログでも紹介されています。
『明治・大正・昭和の図変り印判』という本に載っていましたか。
私は、明治以降の伊万里にはあまり興味がないものですから、この本を持っていないんです。
明治以降の印判では有名なんですね。
印判は、図柄が良く、人気のある物は高いようですね。
確かに、このような一瞬の動きを捉えた見事な図柄を職人が考えたとは思えませんね。
木盆彫りの職人が印判の図柄を真似たとは考えられませんし、かといって、印判の絵つけをした陶工が木盆の図柄を真似たとも思えませんよね。
私も、もともとこのような図柄が別にあって、それを、それぞれ、木盆の彫師が写し、印判作りの陶工が写したと考えるのが順当なように思います。
確かに、北斎のタッチに似ていますね。絵のオリジナルは、その辺に鍵がありそうですね。
元々、古伊万里も横目で通りすぎてきたので・・・本だけは少々・・・一回目を通したかな?(^_^;)
親鸞聖人の言葉ではありませんが、「古伊万里なおもてスルーす、いわんや印判をや」ということで、もっているのは、デルフトの印判だけです。うーん、そういえば、行き掛かり上買った丈夫な印判皿を、カレー皿に使っていた事を思い出しました。この頃見ないですが、全部割れてしまったのでしょうか(笑)。
並べてみると彫りがある分動的な印象ですね。
できれば、両者を並べて展示したいのですが・・・
今見ても良い図案だと思います。
これは美濃でなく多分伊万里かとおもうのですが?
他のブログみてみましたらpadaもコメントを入れていました。
ホンマに懐かしいです。
それにしても、この図柄がどこから来たのか知りたいところです。