遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

能画3. 菊池容斎『卒都婆小町』

2022年04月13日 | 能楽ー絵画

今回は、日本画家、菊池容斎の『卒都婆小町』です。

全体:49.5㎝x186.8㎝。本紙(絹本):35.6㎝x96.7㎝。幕末~明治初期。

菊池容斎(きくちようさい):天明八(1788)年―明治十一(1878)年。江戸後期から明治初期にかけて活躍した日本画家。狩野派、土佐派、丸山派などのみならず、漢画、洋画など、広く学び、独自の画風を確立した。歴史画にみるべきものが多い。

今回の絵画は、先に紹介した、二つの『卒都婆小町』とほぼ同じ構図ですが、表現は写実的です。

季節は秋。大きな松の木の下に、老小町が卒塔婆に腰をかけています。

月が出ています。もう夜です。

薄暗い月光の中、小町は遠くを見つめています。

まわりには、ススキや女郎花が生い茂っています。

持物は、杖と破れ傘(後ろに負っている)のみ。これは、能『卒都婆小町』の舞台設定と同じです。

驚くのはその衣裳。とても襤褸には見えません。十二分に彩色された衣服です。月明かりのもとで、上品な着物に包まれた小町は、老いの中にも、ほのかな色香をただよわせているかのようです。

小野小町は、言い寄る男性に一度も返事をしませんでした。ただ、深草少将には、まんざらではなく、自分のもとへ百日夜通いつめれば・・・と難題を出します。彼は、雨の日も風の日も通いつめましたが、あと一日というところで病に倒れ、無くなってしまいます。

能『卒都婆小町』では、小町が仏道問答で僧たちをやりこめた後、身の上を明かし、さらに僧たちに物乞いをするうちに、次第に狂っていきます。そして、自らが深草の少将に憑依して、百夜通いを果たせず、死んでいく苦しみを表現します。

自分のせいで亡くなってしまった深草少将。その怨念が小町にとりついたのは確かでしょう。しかし、小町は、深草少将の苦しみを自分のものとすることによって、華やかであった頃に自分を引き寄せてもいるのです。今回の絵に描かれた、少々華やいだ小町の衣裳は、それを象徴しているのではないでしょうか。

能『卒都婆小町』の前半、100歳となった小町が、僧を説き伏せるほどの深い境地に至ったのは、叡智がもたらした老いの花。一方、後半、深草少将の霊がのりうつり、もだえる様は苦しみの花。いずれもが、老境になって初めて咲く心の花と考えれば、歳を重ねることの意味が少しは見えてくる気がします(^.^)

 


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2 コメント

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遅生さんへ (Dr.K)
2022-04-13 16:06:34
いろんな卒塔婆小町の絵をお持ちなんですね(^_^)
この絵はちょっと華やかですね。
前の2枚の絵は、現実の老いた小町を赤裸々に描いたのでしょうけれど、ちょっと目を背けたくなりますね(~_~;)

私のように、十分に老いてきますと、現実の自分の近い将来を想像してしまい、前の2枚の絵からは目を背けたくなってしまいます。
願望も含めて、ボロを纏った小町ではなく、少し華やかで、まだほんのりと色香も残っている小町であって欲しいと願ってしまいます(^_^)
そんな自分の願望も込めて、菊池容斎もこの絵を描いたのでしょうか、、、。
そう思いますと、この絵は、菊池容斎の晩年の作ではないかと思ってしまいます(^-^*)
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Dr.kさんへ (遅生)
2022-04-13 17:27:59
これらの絵が『卒都婆小町』のすべてではないにしても、時代と共に大まかな変化はあるように思います。近現代になるにつれ、絵画は大衆化するわけですから、多くの人を満足させるような、救いのある描き方になっていったのだと思います。

老いてなお、というより、老いたればこその花をもちたいものですね(^.^)
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