遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

能画2.狩野栄信『卒都婆小町』

2022年04月11日 | 能楽ー絵画

今回は、狩野栄信による『卒都婆小町』です。

全体:49.5㎝x186.8㎝。本紙(絹本):35.6㎝x96.7㎝。江戸時代後期。

先回紹介した江戸中期の墨絵とほぼ同じ構図の卒都婆小町です。

筆者は、狩野栄信。江戸後期に活躍した狩野派の絵師です。狩野派は、江戸時代、絵師集団として隆盛を誇りました。いくつかの分派に分かれ、鍛冶橋狩野派以下、15以上、◯◯狩野派があったといわれています。狩野栄信は、そのうち、格式の高い奥絵師4家の一つ、木挽町狩野派の絵師です。

狩野栄信(かのう ながのぶ):安永四(1775)年~文政十一(1828)年。木挽町狩野派8代目。享和二(1802)年に法眼、文化十三(1816)年に法印となる。法印叙任後の号は、伊川院、玄賞斎。

落款には、「玄賞斎法印栄信筆」とありますから、文化十三(1816)年以降の作であることがわかります。

狩野派らしい特徴のある線描です。

先回の墨絵と大きく異なるのは、控えめにさされた淡彩です。  

年老いた小町の左上方には、赤い蔦がからまった枯木が一本。時節が秋であることを表しています。

疲れ果てて卒塔婆に腰を下ろした自分に、旅僧たちが説教をし、立ち退きを迫ります。しかし、老女は、僧の説く難解な仏教教理を逆手にとり、僧たちを論破してしまうのです。

百歳になっても、都で活躍していた時の矜持と心の花を持ち続けた小町。その内面が、くすんだ肌色の彩色によってうかがえるかのようです。

さて、この絵をもう少し詳しく見てみます。

老小町が腰をかけているのは、先が五輪塔になった卒塔婆。粗末な衣服をまとった彼女は、大きな袋をもっています。その脇には、破れた傘と蓑。

能『卒都婆小町』の舞台で、小町が持っているのは、傘と杖だけです。では、この袋は一体何?

先回紹介した墨絵『卒都婆小町』では、さらも多くの袋などが描かれています。

謎を解く鍵は、『卒都婆小町』の謡いにあります。

能の展開を追ってみます。

卒塔婆に腰を掛ける不埒な老婆ながら、僧たちが繰り出す難解な仏法教理を次々と論破したので、僧たちは「本当によく悟った乞食だ」と、頭を地につけて、三度礼拝しました。
僧たちを論破したその勢いで、小町は戯れ歌をのこします。「極楽の内ならばこそ悪しからめ。そとは何かは、苦しかるべき」
ここまでは、姿形は衰えたとはいえ、美貌の教養人、小野小町、さもありなんの出来事です。
しかしその後、能の流れは徐々に変化し、意外な展開となっていきます。

戯れ歌を詠んだ後、僧から身の上を尋ねられます。自分は、小野小町の成れの果てであると明かしたあと、地謡いとシテ(小町)との掛け合いによって、現在の小町の哀れな状態が明らかになります・・・・・


地『首に懸けたる袋には。如何なる物を入れたるぞ』
シテ『今日も命は知らねども。明日の飢えを助けんと。粟豆の乾飯を袋に入れて持ちたるよ
地『後に負へる袋には
シテ『垢膩(くに、あか)のあかずける衣あり』
地『臂に懸けたる簣(あじか、竹や葦で編んだザル)には
シテ『白黒の慈姑(くわい、芋)あり
地『破れ蓑
シテ『破れ傘
地『面ばかりも隠さねば
シテ『まして霜雪露
地『涙をだに抑さうべき袂も袖もあらばこそ。今は路頭にさそらひ。往来の人に物を乞ふ。乞ひ得ぬ時は悪心。また狂乱の心つきて。聲かはりけしからず。
シテ『なう物たべなうお僧なう  (佐鳴謙太郎『謡曲大観 第三巻「卒都婆小町」』)

襤褸の服と破れ傘、杖以外にも、小町は多くのものを身に着けていました。
首に懸けた袋には粟豆の乾飯が、背中に負った袋には垢の付いた衣服が、臂に懸けたザルにはクワイが入っています。これらを持ち歩きながら、破れ蓑をまとって、破れ傘で顔を隠そうにもかなわず、雨露もしのげません。袖や袂の無い襤褸衣では、涙さへ抑えることができません。彼女は、このような状態で往来の人々に物乞いをしていたのです。物をもらえなかった時には、悪心、狂乱の心がついて、聲も異様なものに変わってしまいます。そして、小町は、傘を両手に持ち、「ねえ、何かめぐんでください、ねえ、お坊様、何かめぐんで」と、僧に物乞いをするのです。

頭では僧たちに完璧に勝っていた老小町。しかし、現実には、僧にさえ物乞いをする乞丐人であったわけです。
このように、能『卒都婆小町』では、主人公、小野小町は、天から地へと堕ちていきます。老女ものながら、この能は、劇的な展開をみせるのです。
能『卒都婆小町』は、観阿弥の原作を、世阿弥がアレンジしたものと言われています。毀誉褒貶の人生。それを自分がどう総括するか。老いについて考えさせられる名作です。

 

 

 

 

 

 


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8 コメント

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Unknown (jikan314)
2022-04-11 19:47:46
玉造小町子壮衰書は、小野小町とは全く関係の無いのに、卒塔婆小町まで続いてしまいました。
私は、美女にふられたモテない男が作り上げた伝説と思っております。もちろん私は、ふられ続けたモテない男ではあります。😭😭😭
又々押し付け俳句
衰えてながめせしまに花もなく
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Unknown (美恵子)
2022-04-11 19:49:32
いままで何の素養もないことを知りました。この年になってもしらないことが多いです。
とても心に染みたお話でした。
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jikan314さんへ (遅生)
2022-04-11 20:56:11
観阿弥が、玉造小町子壮衰書からどこまでのヒントを得たかは私にはわかりませんが、いずれにせよ創作劇、面白くないと成り立ちません。
当時、この劇を面白いと感じる人が相当数いたことに驚きます。
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遅生さんへ (Dr.K)
2022-04-11 21:01:13
こうして、同じテーマの絵を続けて見せられますと、さすが今回の絵は専門の絵師の描いた絵だなと感じさせますね。
描線、タッチ、構図等などにスキがありませんものね。
それに反し、前回の絵は、あまり囚われず、自由に、その雰囲気を表現していますよね。
今回の絵が正装した絵だとすれば、前回の絵は普段着の絵というところでしょうか。
今回の絵の方が格式も高く、お値段も高いでしょうけれど、私は、前回の絵のほうが好きです(^_^)
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美恵子さんへ (遅生)
2022-04-11 21:07:16
こういう観念的な事柄を主題にした歌舞劇が、600年以上も前に作られていた事に驚きます。
人生100年時代です。当時より現代の方が、『卒都婆小町』を深く味わえるのかも知れませんね。
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Dr.Kさんへ (遅生)
2022-04-12 06:57:33
絵にもいろいろあるので、というよりありすぎるので、何10年も手が出せず、ダルマさん状態でした(^^;
で、漆器や陶磁器を集めていたのですが、それらにも絵が描かれていました。絵の勉強になりました。で、掛け軸へ進出となった訳です😅
値段もお安いので、今は絵ばっかし。
例によって、数打ちゃ当たるの信念😅
Dr と同じで、狩野派の完成した絵より、どこのだれだか不明の者が、やけくそで描いたような卒塔婆小町にひかれます。
陶磁器の嗜好と似ているように思います☺️
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卒都婆小町 (FUSA)
2022-04-13 10:11:17
能の小町ものの中では「卒都婆小町」に一番興味があり、何度かテレビでは見ましたが、まだナマの舞台は見ていませんので一度見てみたいと思っています。
大変貴重な史料をご紹介いただきありがとうございます。
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FUSAさんんへ (遅生)
2022-04-13 14:31:57
老女もののような小難しい能は苦手です。演じる側からした究極の曲は、『姥捨』のようです。ストーリーらしいものがほとんどなくなると、観ている方も何か人生問答を突き付けられているかのようで苦しいです。その点、『卒都婆小町』は変化に富んだ展開なので救われます(^.^)
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