遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

能画1.作者不詳 墨絵『卒都婆小町』

2022年04月09日 | 能楽ー絵画

このところしばらく、能関係の工芸品、特に漆器を紹介してきました。まだまだあるのですが、故玩館の品は横に果てしなく広がっているので、少し方向を変えないと、(紹介が)終わる前に(人生が)終わってしまいます(^^;

そんなわけで、能楽関係の絵画に移ります。

能の絵(版画も含む)は、大きく2種類に分けることができます。一つは、能や謡いに登場する情景を描いたもの、もう一種は、能の舞台で演じられる場面を描いたものです。江戸時代には両方のタイプみられます。それに対して、明治以降は能舞台で演じられる場面の絵画が多いです。それも、シテのみ描かれたものがほとんどです。

ここでは、江戸の能絵画を中心に紹介し、必要に応じて明治以降の絵も入れます。

 

初回は、墨で描かれた小品の絵画です。

全体:43.2㎝x110.8㎝。本紙:31.0㎝x23.1㎝。江戸時代中期。

非常に味わい深く、私の愛蔵品です。

よく見ると、襤褸をまとった一人の老婆が、卒塔婆に腰を掛けています。

能には、女性を主人公とした演目が多くあります。なかでも、『関寺小町』『鸚鵡小町』『卒都婆小町』『姥捨』の老女ものは、研鑽と修練を積み重ねた老練の能楽師のみ演ずることがゆるされた最高位の能です。

上の絵は、このうち、『卒都婆小町』の一場面を描いています。

襤褸をまとった老女は、やつれ果てた百歳の小野小町です。

実際の能でも、古木(卒塔婆)に腰掛ける場面が出てきます。が、実際に座っているのは、それに見立てた葛桶です。舞台上の主人公も、このようにうらぶれた格好をしているわけではありません。ですから、この絵は、作者が描いた能『卒都婆小町』の情景と言って良いでしょう。

旅僧が、倒れた卒塔婆の上に座る老女を見とがめて、声をかけます。

「仏体を表す卒塔婆に座るとは。すぐに立ち退きなさい」

老女は言います。

「仏体であるからこそ、卒塔婆も疲れて臥している。その上に自分が休んで何が悪かろう。見方によっては、悪も善、煩悩も菩提となる。衆生も仏と同じではないか」

そして、老女は和歌を詠みます(絵の右上部)。

極楽乃内

 ならは

  こそ

   あし 

    からめ

そとハ

 何かハ

  くるし

   かるへし

極楽の 内ならばこそ 悪しからめ 外は(卒塔婆)何かは 苦しかるべき

 

 

絶世の美女ともてはやされた小町が、老いさらばえて最後に得たのは、娑婆と極楽、両方の世界を行きかう境地でした。

卒塔婆は、二つの世界の境界を象徴しているのですね(^.^)


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
遅生さんへ (Dr.K)
2022-04-09 16:17:39
以前も、能楽関係の絵画が何点か登場しましたが、能楽関係の絵画も、まだまだ所蔵されているのですね。

今回は、江戸中期の『卒塔婆小町』の絵ですか。
虫喰いもなく、保存状態もよく、大切にされてきたことが伺われますね。
情景がよく描かれていますし、なかなかの絵師が描いたものであることを感じさせますね(^-^*)
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Dr.kさんへ (遅生)
2022-04-09 18:19:33
江戸時代、絵画は絵師への注文品でしたから、どのような人物が依頼したのかとても興味深いです。

絵のタッチも◯◯流を超越しています。俳人など職業絵師に属さない人が描いたのかも知れません。
ニッチ好きにはたまらない一品です(^.^)
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遅生さんへ (みこと)
2022-04-11 10:58:30
さすがは遅生さんのご愛蔵品。見飽きることのない、というか目をそらせられず、すみずみまで見てしまいたくなる、味わい深く奥深い一点ですね。

なによりも小町の疲れ切った、生き切ったような表情がなんとも言えません。それでもまだお迎えは来ないのですね。

西洋社会にいるせいか、卒塔婆と彼女の持つ竹の杖の構図が十字架に見えてしかたなく、十字架に腰を掛けていても同じ展開が想像でき、洋の東西を超えた普遍的な生死感を見るような気がしました。
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みことさんへ (遅生)
2022-04-11 16:05:26
うまくまとめていただいて、ありがとうございます。
確かに、洋の東西を問わず、人間の原罪のようなものを老小町の表情から感じてしまいますね。
それを隠せない、隠さなくても良いのが老いというものでしょうか。
この能ができた当時、100歳などは夢のまた夢だったに違いありませんが、今では女性ならそう珍しくもない。
600年以上前の歌舞劇が、リアルな現代劇になってきました(^.^)
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