遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

伊万里葡萄栗鼠紋中徳利 ~色絵の深い闇~

2021年08月21日 | 古陶磁ー全般

昨日、古伊万里コレクターDr.Kさんのブログで、藍九谷皿に古九谷様式の色絵をあしらった「色絵 牡丹菊文 輪花形小皿」が紹介されていました。問題となったのは、色絵がはたして、皿の製造時に描かれたのか、それとも、後世、余白部分に描きくわえられたもの、いわゆる後絵かどうかです。紹介された皿は、当初から色絵の皿として作られた古九谷であろうという結論になりました。

そういえば、故玩館にも、どうしたもんかと保留になっていた品があったのを思い出しました。

今回の色絵徳利です。

最大径 11.1㎝、口径 3.4㎝、底径 6.5㎝。高 21.8㎝。江戸時代?

 

江戸中期くらいはありそうな伊万里焼の徳利にみえます。器表全体にみられるジカンもそれなりの時代を感じさせます。

 

狐のような奇妙な動物ですが、栗鼠でしょう。

画題は、「葡萄に栗鼠」。蔓を広げて沢山の実をつける葡萄と、多くの子を産むとされる栗鼠は、多産多幸、子孫繁栄のおめでたい図柄として、中国で人気の画題でした。日本でも好まれ、江戸時代には、葡萄=>武道、栗鼠=>律す、から「武道を律す」との語呂合わせで武家好みの意匠となりました。

反対側にも、葡萄が描かれています。

 

しかし、絵を見ているうちに、腑に落ちない点が出てきました。

 

 

色絵の部分、あちこちに擦れが見られます。擦れは、色絵から無地の部分に及んでいます。

この擦れがどうも怪しい。無地だけの部分にはこのような擦れはみられないのです。

江戸時代には、膨大な量の無地の徳利が作られました。大量に存在するので、骨董的にはほとんど価値がありません。しかし、そこに洒落た絵があれば話は別です。そこで、色釉で絵付けを行い、再度焼成すれば、立派な色絵徳利ができあがります。いわゆる後絵です。

このような後絵の物を見分ける方法は基本的には無いのですが、それでもいくつかの事が言われてきました。

1.全体のバランスが悪い。

2.表面に妙なテカリやシミがある。

3.器体表面の状態が不自然である。

1.については、特に、染付の器に色絵を描きくわえると、余分な物が加わって絵全体のバランスが崩れるので、後絵と判断できることがあります。今回の品の場合、無地の徳利に描くわけですから、曲面の絵付けに慣れていれば、後絵ときづかれないような絵付けが可能です。今回の品の判断には向いていません。

2.に関しては、絵瀬戸や石皿のような陶器では有効な場合もありますが、磁器の場合は、二度窯の影響はそれほど表れません(色釉焼付の温度は低い)。今回の品の判断には使えません。

3.器体表面の状態、これが一番有効です。今回のような日用品には、必ず使用痕があります。もし、色絵に小さな疵もなく、きれいな状態であれば怪しい。透明な上釉よりも、色釉、特に赤釉は擦れ疵がつきやすいからです。表面に自然な疵があり、しかも、色釉と地を繋がって疵になっていれば、後絵でない可能性が高いと言えるでしょう。それが、Dr.Kさんの「色絵 牡丹菊文 輪花形小皿」です。

しかし、これを逆手に取れば、人為的に疵を付けて、本物らしくすることが可能になります(^^;

で、今回の品の表面を拡大して見ると・・・

 

細かい擦れがいっぱい見られます。よく見ると、鋭い物で引っ掻いたような線がたくさんあります。引っ掻き疵は、色の無い部分にまで続いています。このような疵部が一カ所ではなく、色絵のあちこちにあります。しかし、無地だけの所に疵はありません。

これは、非常に不自然です。どうやらこれらの擦れは、近年、サンドペーパーのような物でこすってつけられたと考えるのが妥当です。今回の品は、江戸時代の白磁徳利に、後年、色釉で絵付けをし、さらに人為的に擦れ疵をつけた物と思われます。

この品がどういうものか、長年、悶々としてきましたが、一応の結論がでました。

それにしても、なかなかの出来栄えです。

故玩館を訪れ、この品のファンになる人は結構いるのですが・・・・(^^;

コメント (4)
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