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遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

鑑定本1 常石英明、古陶磁の鑑定鑑賞本(3冊)

2024年08月27日 | 骨董本・雑誌

しばらく、手元にある骨董関係の書籍のうち、骨董の鑑賞、鑑定、評価に関係した物を紹介します。

今回は、骨董研究家、常石英明氏の古陶磁関係の書籍、3冊です。

私が、伏魔殿のような骨董屋を、おそるおそる覗き入るようになったのは昭和40年代の終わり頃です。当時、本屋で入手できる骨董関係の本は大変少なく、情報に飢えていました。右も左もわからないなかで、手引きになるものは・・・と、たどり着いたのが今回の本です。

この3冊は、趣味の本を多数出版していた金園社で、版を重ねていました。

そして、田舎の骨董屋の帳場には、必ずこの本がありました。どうやら主人も参考にしているらしい。

で、これはどうしても読破せねば、と必死にくらいついたのでした。

陶芸美術の入門書 中国陶磁の鑑定と鑑賞』

400頁以上にわたって、小さな活字で、中国陶磁器について、びっしりと書かれています。「陶芸美術の入門書」とありますが、初心者にはチンプンカンプンで、とても入門書とは思えません。その頃、定窯の白磁に興味をもっていたので、景徳鎮窯と定窯白磁の違いなど、結構つっこんだ内容に感心しました。また、最近、法花の壷を入手しましたが、類書では法花についての記述がほとんど無いのに対して、この本では数頁にわたって書かれているのを発見し、あらためて大したものだと思いました。

『朝鮮陶磁の鑑定と鑑賞』

第一編 高麗青磁、第二編 李朝の陶磁器、第三編 朝鮮の茶碗の三部構成です。今、あらためてページを繰ってみると、なるほどと思う記述が多いですが、初心者の私には、全くチンプンカンプンでした。それでも、青磁や白磁など、普段我々にはなじみが薄かった陶磁器の奥深さを知ることができました。驚いたのは、「第三編 朝鮮の茶碗」が、本の半分以上を占めていることでした。雑器でありながら、茶の湯に取り上げられた朝鮮茶碗について、詳細に書かれています。著者が活躍した時代の骨董界の事情が反映されているのでしょう。

陶芸美術入門 日本陶器の鑑定と観賞』

これは、文字通りの入門書です。330頁の大半を、「二.全国の諸窯と陶工」に費やしています。日本には、それだけ多種多様な焼物が存在することの証しでもあります。いきおい、それぞれの焼物についての詳しい記述はなく、概要の紹介になっています。伊万里焼については、別個に扱われている鍋島焼、柿右衛門焼を含めても、10頁足らずです。一方で、全国の〇〇焼を網羅してあるので、日本の焼物の全体をざっと知るには便利です。ここで得た〇〇焼についての知識は、骨董屋で話をするとき、随分と役に立ちました。〇〇焼を知らないと、なめられる!?(^^;

このシリーズ3冊は、最初、古本屋で買いました。辞書がわりに使っていたので、かなりボロボロになり、後に何度か買い換えました。

『日本陶器の鑑定と観賞』の新旧本を比較してみると・・・

左:平成5年発行、38版、2500円、右:昭和58年発行、33版、1200円。

ずいぶん、版を重ねています。ベストセラーだったのですね。奥付に発行年月は書かれておらず、表紙に小さく表記されているだけです。これなら、版を重ねるごとに、カバーを変えるだけで値上げができます(^^;  ちなみに、最初に古本屋で入手した初版本は、昭和43年発行で、500円ほどの定価だったと思います。

今となってみれば、用語や内容がどうかなと思う所もあります。が、一人で、これだけの物を書いてしまう・・・昔の人はすごいと思います。明治44年生れの著者は、古陶磁だけでなく、書画や刀剣、さらには骨董の評価についても書物を残しています。

それらにつては、次回のブログで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


古美術骨董雑誌『阪急美術』

2024年01月07日 | 骨董本・雑誌

戦前、大阪梅田の阪急百貨店が発行していた古美術雑誌『阪急美術』2冊です。

左:『阪急美術』第十五號(昭和13年12月)
右:『阪急美術』第二十七號(昭和14年12月)
縦 23㎝、横 16㎝。
古書店(資料館?)のラベルが付いています。

 

『阪急美術』第十五號(昭和13年12月)
表紙装丁:芹沢銈介(染色家) 表紙素材:丹波手漉き和紙
表紙題字:山本發次郎(美術コレクター)

目次と口絵写真(諏訪蘇山、兎)

武者小路実篤の記事

阪急美術の出版母体、充美会(古美術店9軒)の展観案内。

茶事の記事。

編集後記と阪急美術部の広告。

 

『阪急美術』第二十七號(昭和14年12月)
表紙装丁:芹沢銈介(染色家) 表紙素材:丹波手漉き和紙
表紙題字:大塚治六(書家、教育者)

目次と口絵写真(芹沢銈介、赤絵大皿)

原色図版(時代裂、波斯もうる裂)。

香合の記事。

茶室の記事。

大津絵の記事。

柳宗悦による芹沢銈介第1回個展の紹介。

 

『阪急美術』は、昭和12年10月に、阪急百貨店から発行(月刊、20銭)され、昭和16年6月まで刊行(45号)されました。そして、その後も装いを変えながら、『汎究美術』(昭和16年7月,45号ー昭和17年3月,54号)、『美術・工芸』(昭和17年4月,1号ー昭和19年12月,31号)、『日本美術工芸』(昭和20年1月,32号ー平成9年1月,700号)の形で刊行されました。

阪急百貨店は、阪急グループの創業者、小林一三(1873〜1957)が、昭和2年(1927)に設立したデパートです。古美術蒐集家、茶人でもあった小林は、百貨店内に阪急美術部を作り、在阪の有力古美術商を集めて(充美会)、店内に古美術店街をつくりました。この充美会が中心となり、発行した月刊古美術誌が『阪急美術』です。茶道具を得意とする古美術店ですし、小林一三自身が茶人でしたから、『阪急美術』に茶関連の記事が多いのは当然としても、注目されるのは、内外の民芸的な品物を積極的に取り上げていることです。また、芹沢銈介装丁の手漉き和紙を表紙に使うなど、『阪急美術』全体に旧来の古美術の枠を超えようとする姿勢が色濃くうかがえます。このように、『阪急美術』には、宝塚歌劇団や東映設立による娯楽の拡大と同じように、古美術品の大衆化をめざした小林一三の趣意が反映されていると思います。文筆にも才を発揮した小林一三です。草葉の陰から、宝塚歌劇団の醜態を鋭い筆致で憂い、たしなめていることでしょう。

もう一つ、『阪急美術』で特筆されるのは、少しずつ形を変えながらも、戦前から戦後へと息長く発行されたことです。特に、戦時体制下でも、古美術の灯を守ることに貢献しました。

昭和13年、『阪急美術』第十五號の表紙題字を書いた山本發次郎は、その頃、画家佐伯祐三の尋常でない才能にいち早く気づき、本格的に蒐集を始めていました。しかし、150点にのぼる日本最大の佐伯コレクションは、昭和20年の空襲でその6割が灰燼に帰してしまいました。山本の死後、残りのコレクションは大阪市に寄贈された後、長い年月眠ったままだったのですが、令和4年、山本發次郎コレクションをもとに、ついに、大阪中之島美術館設立となったわけです。

小さな雑誌『阪急美術』は、大阪の美術界とともに歩いてきたのですね。