ニーハオ!
一先ず、長男がインフルエンザから脱出しました
次男は、朝は熱が下がり、夜になると熱が出るを今のところ繰り返しています。まだまだ隔離です
娘にはまだ感染してないようですが、次男がまだ菌を持っているので、油断は禁物です
さて、今日は伏見のお話
先日酒造について書きましたが、酒造の他にも見どころがあるんですよ
何と言っても、「寺田屋」でしょうか
とは、言うものの、正直私もあまり詳しくないんです。
坂本竜馬が襲われそうになった、ということくらいしか・・
でも、酒造に並んで最も観光客が集まっていたところです。
日本人なら誰でも知っている「坂本竜馬」ですが、外国人はここに来たとして、興味持つのでしょうか?
台湾人は日本の歴代人物も比較的知っているほうなので、興味を持ってくれるかもしれませんが、中国人やその他の外国人はどうなのでしょうか?
実際、一度もご案内はしたことがありません
でも、私は伏見稲荷よりこちらの古い町並み、運河を見てもらいなぁと思ってるんだけどなぁ
まず寺田屋の駐車場ですが、小さいです。正直大きめの車は停めにくいです。
酒造には大型バス用の駐車場があります。もし、寺田屋に行こうと思ったら、そこに停めされて頂けるのでしょうか?
寺田屋の外観です。街に溶け込んでいるし、看板も目立つようなものじゃないので見過ごしてしまいそうです。
では、中を見て行きます。
幕末維新カレンダーとかも売られています。幕末好きな人はほしくなるものなのでしょうか?
2階へ上がります。この階段は有名な「お龍が裸で駆け上がった」階段ではありません
2階です。1階も階段にも至るとこに竜馬のパネルや写真、ポスターなどが飾られています。売られているものもありました。
寺田屋は元はお宿ですから、この部屋にもたくさんの方が宿泊したんでしょうね
竜馬が襲われたときに利用していたお部屋です。
写真右下には高杉晋作にもらったピストルの模造品が展示されています。竜馬はこのピストルで応戦したそうです。
ピストルで撃った弾痕(竜馬が撃ったものでしょうか?)
こちらは刀痕
そしてこちらがかの有名な階段。
お風呂に入っていたお龍が幕府伏見奉行の捕り方にいち早く気づき、裸のまま飛びだし、この階段を駆け上がり竜馬たちに知らせたという階段です。
そしてこちらがお龍が入っていたとされるお風呂です。
左手がお風呂で、奥が裸で駆け上った階段です
竜馬や幕末に関する資料や本が置かれています。ちょっとした資料館ですね。
ここで、スタッフの方が当時の様子や竜馬のことについて話を聞かせてくれます。
さく~っと写真で寺田屋を見てきましたが、実は・・
ニュースでも取り上げられたらしいので、ご存じの方も多いのでしょうが・・
実は
なんと
この寺田屋
本物じゃないんだって~
なんじゃそりゃ~
ですよね?
以下、Wikipediaより抜粋です
現在寺田屋を称する建物(同一敷地内)には、事件当時の「弾痕」「刀傷」と称するものや「お龍が入っていた風呂」なるものがあり、当時そのままの建物であるかのような説明がされている。しかしながら、現在の寺田屋の建物は明治38年(1905年)に登記されており、特に湯殿がある部分は明治41年(1908年。お龍はその2年前に病没)に増築登記がなされているなどの点から、専門家の間では以前から再建説が強かった[13]。平成20年(2008年)になって複数のメディアでこの点が取り上げられ、京都市は当時の記録等を調査し、同年9月24日に幕末当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており、現在の京都市伏見区南浜町263番地にある建物は後の時代に当時の敷地の西隣に建てられたものであると公式に結論した
まぁ、平安神宮的な感じでしょうか?
昔の宮殿を再現した・・みたいな感じですかね?
じゃ、弾痕、刀痕、お龍のお風呂とかも全部ウソなんでしょうか?
それだけは焼失されなくて、移築したということでもないってことなんですよね?
全く、全くの無関係?
これを知ってからだと見学しても心に響かなくないですか?
確かに、明治の建物なので古い日本家屋っちゃ、そうですが、それ以上でもそれ以下でもない、120年前の古い日本家屋
と、ガイドとしては説明すればいいのでしょうかね?
で、実際の寺田屋、今の寺田屋に隣接している庭園にあったそうです。
寺田屋の事実はともかく、酒造や古い町並み、運河・・
この伏見の雰囲気は私は大好きですよ
一先ず、長男がインフルエンザから脱出しました
次男は、朝は熱が下がり、夜になると熱が出るを今のところ繰り返しています。まだまだ隔離です
娘にはまだ感染してないようですが、次男がまだ菌を持っているので、油断は禁物です
さて、今日は伏見のお話
先日酒造について書きましたが、酒造の他にも見どころがあるんですよ
何と言っても、「寺田屋」でしょうか
とは、言うものの、正直私もあまり詳しくないんです。
坂本竜馬が襲われそうになった、ということくらいしか・・
でも、酒造に並んで最も観光客が集まっていたところです。
日本人なら誰でも知っている「坂本竜馬」ですが、外国人はここに来たとして、興味持つのでしょうか?
台湾人は日本の歴代人物も比較的知っているほうなので、興味を持ってくれるかもしれませんが、中国人やその他の外国人はどうなのでしょうか?
実際、一度もご案内はしたことがありません
でも、私は伏見稲荷よりこちらの古い町並み、運河を見てもらいなぁと思ってるんだけどなぁ
まず寺田屋の駐車場ですが、小さいです。正直大きめの車は停めにくいです。
酒造には大型バス用の駐車場があります。もし、寺田屋に行こうと思ったら、そこに停めされて頂けるのでしょうか?
寺田屋の外観です。街に溶け込んでいるし、看板も目立つようなものじゃないので見過ごしてしまいそうです。
では、中を見て行きます。
幕末維新カレンダーとかも売られています。幕末好きな人はほしくなるものなのでしょうか?
2階へ上がります。この階段は有名な「お龍が裸で駆け上がった」階段ではありません
2階です。1階も階段にも至るとこに竜馬のパネルや写真、ポスターなどが飾られています。売られているものもありました。
寺田屋は元はお宿ですから、この部屋にもたくさんの方が宿泊したんでしょうね
竜馬が襲われたときに利用していたお部屋です。
写真右下には高杉晋作にもらったピストルの模造品が展示されています。竜馬はこのピストルで応戦したそうです。
ピストルで撃った弾痕(竜馬が撃ったものでしょうか?)
こちらは刀痕
そしてこちらがかの有名な階段。
お風呂に入っていたお龍が幕府伏見奉行の捕り方にいち早く気づき、裸のまま飛びだし、この階段を駆け上がり竜馬たちに知らせたという階段です。
そしてこちらがお龍が入っていたとされるお風呂です。
左手がお風呂で、奥が裸で駆け上った階段です
竜馬や幕末に関する資料や本が置かれています。ちょっとした資料館ですね。
ここで、スタッフの方が当時の様子や竜馬のことについて話を聞かせてくれます。
さく~っと写真で寺田屋を見てきましたが、実は・・
ニュースでも取り上げられたらしいので、ご存じの方も多いのでしょうが・・
実は
なんと
この寺田屋
本物じゃないんだって~
なんじゃそりゃ~
ですよね?
以下、Wikipediaより抜粋です
現在寺田屋を称する建物(同一敷地内)には、事件当時の「弾痕」「刀傷」と称するものや「お龍が入っていた風呂」なるものがあり、当時そのままの建物であるかのような説明がされている。しかしながら、現在の寺田屋の建物は明治38年(1905年)に登記されており、特に湯殿がある部分は明治41年(1908年。お龍はその2年前に病没)に増築登記がなされているなどの点から、専門家の間では以前から再建説が強かった[13]。平成20年(2008年)になって複数のメディアでこの点が取り上げられ、京都市は当時の記録等を調査し、同年9月24日に幕末当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており、現在の京都市伏見区南浜町263番地にある建物は後の時代に当時の敷地の西隣に建てられたものであると公式に結論した
まぁ、平安神宮的な感じでしょうか?
昔の宮殿を再現した・・みたいな感じですかね?
じゃ、弾痕、刀痕、お龍のお風呂とかも全部ウソなんでしょうか?
それだけは焼失されなくて、移築したということでもないってことなんですよね?
全く、全くの無関係?
これを知ってからだと見学しても心に響かなくないですか?
確かに、明治の建物なので古い日本家屋っちゃ、そうですが、それ以上でもそれ以下でもない、120年前の古い日本家屋
と、ガイドとしては説明すればいいのでしょうかね?
で、実際の寺田屋、今の寺田屋に隣接している庭園にあったそうです。
寺田屋の事実はともかく、酒造や古い町並み、運河・・
この伏見の雰囲気は私は大好きですよ
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