真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

祖父・鈴木貫太郎 孫娘が見た、終戦首相の素顔 鈴木 道子 著/保阪 正康 監修・解説 2024/03

2024-06-03 | 読書-歴史

朝日新聞出版 最新刊行物:書籍:祖父・鈴木貫太郎

「もうほかに人はいない。頼む……鈴木」
昭和天皇の、このひと言から全てが始まった!

太平洋戦争の末期――。本土が焼け野原と化し、沖縄本島に米軍が上陸を開...

朝日新聞出版 最新刊行物

 


序章 二・二六事件の朝
第1章 祖父の温もり
第2章 鈴木家の人々
第3章 波乱の海軍軍人
第4章 第一次世界大戦始まる
第5章 終戦内閣への動き
第6章 終戦までの百三十一日間
第7章 終戦後の秘話
終章 消えた銃弾

祖父・鈴木貫太郎―孫娘が見た、終戦首相の素顔

「少しでも平和へのお役に立てれば」92歳の孫娘が、歴史秘話を公開!

紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア

 


第42代 鈴木 貫太郎 | 歴代内閣 | 首相官邸ホームページ
昭和20年|国立公文書館

「祖父・鈴木貫太郎」鈴木道子さん 終戦後の未来、託した祖父

【読売新聞】 自宅は太平洋戦争終戦の日の早朝に焼失してしまったが、庭の灯籠などは終戦時の首相、鈴木貫太郎が過ごした当時のままだ。「よくお庭を歩いたり、池の金魚に...

読売新聞オンライン

 


戦後78年、終戦時首相「鈴木貫太郎」知られざる功績山梨 勝之進(1967年12月17日没) 『歴史と名将 海上自衛隊幹部学校講話集』から一部抜粋・再構成

鈴木貫太郎首相はポツダム宣言を「黙殺するだけ」と答えた|保阪正康 日本史縦横無尽

歴史秘話ヒストリア 天皇のそばにいた男
鈴木貫太郎 太平洋戦争最後の首相- NHK

番組:歴史秘話ヒストリア 第209回放送 「天皇のそばにいた男 鈴木貫太郎 太平洋戦争最後の首相」 - 真似屋南面堂はね~述而不作
自分は易しい方に就く。済まぬが君に難しい方を頼む - 真似屋南面堂はね~述而不作

#139_【読書】祖父・鈴木貫太郎 孫娘が見た、終戦首相の素顔/鈴木道子(朝日新聞出版)|佐藤雄二_ビーコンつしま

p73 写真「道子の曾祖母・トヨ」(第1刷2024年3月20日)
は、祖母・トヨが正解だわね。
曾祖母・きよの写真はP60にあり
大原麗子によく似ていたと強調しているのに、写真のキャプションが残念。

p120 木戸内大臣が、東条英機陸相なら陸軍を抑えられるとして強力推挙して東条内閣を成立させた件に関して、祖父は『木戸君の考えは禍根なり」「大過誤」と評している。
~全く正当な評価。大過誤というほかなし。
「虎穴に入らずんば虎子を得ずだね」と同意した昭和天皇も痛恨の誤判断。
昭和天皇最側近の読み違え「軍人を首相にすれば戦争を避けられる」 「戦争すれば負けると思った」 (3ページ目)
なお、p188で「木戸公」を連呼しているが、ここは「木戸侯」でなければならない。
近衛文麿は公爵 - Wiktionaryだったので「近衛公」、木戸幸一は侯爵 - Wiktionaryだったので、公ではなくて侯になるわけ。
Marquess Kōichi Kido
「家康公」とは違うわけ。

ポツダム宣言「黙殺」問題(鈴木首相が黙殺と言ってしまったので、拒否と受け取られてその後の原爆投下等々に云々との指摘)は、不当な非難だとの主張は理解できた。
もしもその時点で、「前向きに検討したい」などといっていたら、終戦にたどり着く前に殺されていたことは確実との評価も、もっともだと思われた。


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