真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

盗まれた情報 ヒトラーの戦略情報と大島駐独大使 カール・ボイドCARL BOYD 訳左近允尚敏1999/12

2024-08-21 | 読書-歴史

盗まれた情報―ヒトラーの戦略情報と大島駐独大使

情報源は大島駐独大使!!暗号電報が傍受解読され、欧州戦線のヒトラーの戦略を見透す情報を提供し続けた。信じ難い情報戦の実際を全公開。

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序章 
第1章 大島と真珠湾に至るマジック
第2章 真珠湾後の大島の電報
第3章 1942年の戦略変換とマジック情報
第4章 マジックと東部戦線の謎
第5章 1943年のぢ棟梁旅行中のマジック情報
第6章 オーバーロード作戦のマジックとアルデンヌ奇襲
第7章 マジックと独ソ分離和平の問題
第8章 マジックと第3帝国の終焉
付録 フランスにおけるドイツ防備状況視察についての在ベルリン日本大使のマジック電報

U.S. Naval War College Digital Commons-review
Hitler's Japanese Confidant: General Ōshima Hiroshi and MAGIC Intelligence, 1941–1945. By Carl Boyd.

confidantの意味・使い方・読み方
単に「信頼した」どころではなくて、秘密の聞き役だったのよ。
他の誰にも打ち明けられないことも、この人物ならと見込んで隠さずうちあけたヒトラーやリッペントロップ。
(じつは大島に告げれば彼はそれを本国に報告するはずだと織り込み済みではあった筈だとはいえ、ナチス思考に心から賛同してドイツ語で心安く話せる相手として、孤独な独裁者は大島を好んだ可能性があり、confidantに好適だった)
なので、大島は晩年まで、「ヒは天才だった」と称賛を惜しまなかったわけだろう。
「自分の才能を本当に見抜いてくれた人」なのでね。

情報が米国に「盗まれ」ていたのは事実なのだが、最高機密をするすると打ち明ける相手、confidantだったことの価値の高さが、邦題に十分反映できているとは言いにくいのでは?
「ヒトラーの戦略情報」にそれが表れているとの主張だろうが、「君なら分かってくれるだろうから話すんだけど」と独最高幹部たちが踏み込んだ打ち明け相手には、実はドイツ人では無理~なぜならば、ヒのご機嫌を損ねるような応対はしにくい(戦術にまで口出ししたがる元伍長のヒに、「軍事的にその選択はありえない」などと待ったをかけようとした名門出身の生粋の軍人たち<見下された方は、そのことがわかるのよ>は、次々と外されたので)。
そこが外国人の強み。ヒの精神を支える一助だったのではないかね。
Hitler's Japanese Confidant: General Ōshima Hiroshi and MAGIC Intelligence, 1941–1945 は、
『ヒトラーの秘密の打ち明け相手だった駐独大使の大島中将~連合軍の最重要情報源』とか、
『ヒトラーの秘密の打ち明け相手だった駐独大使の大島中将~連合軍のマジック情報源』くらいがよかった気がする。
長いけど、まあそんなところでは。
「秘密の打ち明け先は、なんと日本の将軍だったんですよぉ!」というびっくり感が消えないようにしたかった。

訳者あとがきが簡にして要を得た優れもの。
連合国の勝利に大きく貢献したのは、
①独ソ戦の情勢
②ドイツのフランス沿岸防備状況
③ヒトラーの戦略構想
これに次いだのは、
①日本が対ソ戦に踏み切るかどうか
②日本の独ソ和平のための働きかけ
③視察旅行の成果を含むソ連の国内情勢の分析
についての外相と大島大使間の通信だった。(p256)

陸海軍暗号が解読されたことは日本の敗北を早めたが、外交暗号が解読されたことはドイツの敗北を早めた。
ヒトラー・ドイツの没落が早まったことは人類のために良かったと言えるであろうが、日本が同盟国ドイツの足をひどく引っ張った事実を私たちはどう見たらいいのであろうか。(同)
とくるわけ。
外務省、陸軍、海軍に共通しているのは、戦争が終わるまで暗号が解読されているとは考えず、したがって暗号の抜本的な変更はしなかったことである。(同)
今も外務省が批判されるのは最後通告の遅れであるが、私にはそれよりも、開戦の1年以上前から戦争が終わるまで外交暗号の電報がことごとく解読され、かつそれに気づかなかった責任の方がはるかに重大だったと思える。(p261)
ご指摘のとおり。

大島の連合軍への貢献は他の追随を許さない絶大なものだった。
ソ連は英米に独ソ戦の状況を子細には伝えていなかったが、大島電の解読により、英米首脳はドイツ首脳経由の情報を子細に把握できた。
ベルリンまで陸路やってきた日本の一行が途中見聞きしたソ連領内の様子なども、大島電により連合軍は把握。
「ドイツが1941年6月以降東部戦線に配備した兵力が軍の2/3以下だったことはなく、4/5だった時期が長かった。」
ので、もし独ソが和を結んだりしたら、独がその兵力を西側に振り向けられるので大変なことになる、というわけ。
連合軍のオーバーロード作戦を前にした独軍の仏海岸防備状況の詳細は、現地視察結果を報告した大島電(兵士らへのインタビューなども許され、士気の高さを称賛)の解読により判明し、アイゼンハワーらは侵攻の準備に万全を期すことができた。
連合軍がベルリンを爆撃し始めた時期、効果を確認する写真が天候によりなかなか撮影できなかったが、大島電の解読により市民生活への影響まで詳細に判明。
等々
オーバーロード作戦に関して、近年は欺瞞作戦の紹介(なんちゃってのパットン軍団や、二重スパイを使ったニセ情報提供等々)は見られるようになったが、大島電の貢献にはあまり触れたくないのかね、やはり。

Another entry in the excellent Modern War Studies series of the University Press of Kansas, this volume examines in detail what Allied intelligence learned from ...

Foreign Affairs

 


暗号戦史

朝日新聞デジタル:(133)駐独大使・大島浩、晩年の言葉 - 神奈川 - 地域
本人は晩年まで、傍受・解読された自分の報告が米情報関係者を夢中にさせていた価値のあるものだったとは知らず。

なお、東京からの無理難題やモロトフらの引延ばし戦術やらに翻弄された佐藤尚武|近代日本人の肖像駐ソ大使の活躍については、『コードガールズ』でも特筆されていたと思うが、本書でも、アーリントンホールの情報分析員たちは
「彼らの多くは佐藤をすこぶる尊敬していたが、これは彼が人間的な温みと理解を示しただけでなく、分析が著しく優れていたからだった。」
との記載。手放しの褒めよう。

外務省外交史料館 企画展示 「岐路に立つ外交官」
終戦 最後の意見電
1945(昭和20)年7月20日
佐藤尚武駐ソ大使の「最後の終戦意見電」
 救国唯一の方策が卑見の如くならざるを得ずと信ずるが故にして、仮令之が為本使は敗戦主義者を以って非難せらるるも、之を甘受すべきに依る如何なる責任に問わるるも謹んで御受けすべきことを申し添ゆ。


大嶋の写真など
軍事的諜報=軍事インテリジェンス

A級戦犯・大島浩(元駐独日本大使)の真相を求めて

米国大統領選挙が衝撃の結末を迎え世界中が共振している最中、早くも米国では新政権の大統領補佐官や各省庁の閣僚クラスの人事に対して関心がにわかに高まっている。米国で...

Nichimy Corporation U.S. Office ニチマイ米国事務所

 


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