真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

米国諜報文書ウルトラin theパシフィック ジョン・ウィントン著/左近允尚敏訳 1995.11

2024-08-09 | 読書-歴史

米国諜報文書ウルトラin theパシフィック

日本軍の通信解析、暗号解読、鹵獲文書等から得られた情報は“特別情報”として1941年、コード名『ウルトラ』と名付けられた。本書は、ワシントン国立公文書館に残された...

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ワシントン国立公文書館に残された29万908通におよぶウルトラ情報をもとに

極東の災厄―真珠湾
東方の災厄―シンガポール
珊瑚海海戦
ミッドウェーの対決
ガダルカナル―サボ島から東ソロモン
ガダルカナル―“魚雷交差点”と“鉄底海”
墜ちた孔雀―山本長官の待ち伏せ
ソロモン諸島
潜水艦戦―“丸”暗号の解読
環礁の戦い〔ほか〕

米国諜報文書ウルトラin theパシフィック | 昭和館デジタルアーカイブ

Ultra in the Pacific : how breaking Japanese codes & cyphers affected naval operations against Japan 1941-45 : Winton, John, 1931- : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive

247 p. ; 24 cm

Internet Archive

 


Naval War College Review掲載のBook Review

著者のウィントンは元英海軍少佐
John Winton - Wikipedia
訳者は元帝国海軍大尉で海自元海将
左近允尚敏 - Wikipedia

【語り継ぐ戦争体験】第4回:巡洋艦「熊野」航海士 左近允尚敏 ~その①~

【語り継ぐ戦争体験】第4回:巡洋艦「熊野」航海士 左近允尚敏 ~その①~ [解説・講座] 大東亜戦争の終結から70年以上もの長い年月が経ち、当時の戦闘や戦場がどのようなも...

ニコニコ動画

 


第11章 マリアナ沖海戦の大成果
マリアナ沖海戦 破綻した必勝戦法 ~三重県・鈴鹿海軍航空隊~|戦争|NHKアーカイブス
Battle of the Philippine Sea - Wikipedia
The Naval History and Heritage Command (NHHC) The Battle of the Philippine Sea

Marianas Turkey Shoot—Plus Seventy-Five

It was those U.S. Navy airmen who won that the penultimate fleet engagement in world history.

U.S. Naval Institute

 


マリアナ沖海戦/Battle of the Philippine Sea において、日本側第1次攻撃隊の前方には攻撃調整官の機がいて、約70マイル手前で攻撃目標を割りあて、経験不足なパイロットたちにレクチャーしたという。
レキシントンに配乗されていた無線情報班のチャールズ・シムズ中尉は、日本軍の攻撃調整官の周波数をキャッチし、彼の指示を戦闘機要撃管制将校たちにつたえたため、F6F隊には要撃に十分な空間と高度があたえられたという。
レキシントンでは、「調整官ジョー」とあだ名をつけた日本軍の指揮官機を落としてしまおうとの提案がでたが、むしろ飛ばせておいて仕事をさせるべきということになり、存在に気づかぬふりをして放っておくようにとされたという。

へぇ!
そんな話、日本側の戦記等で語られていたことはあったのかな?

Japanese strike coordinatorを落とさないでおけとMitscherが命じた件は、米側記録に記載ありだわね。
ジョーが少なくとも2人いて云々との記述から、固有名詞というより、「その役割を担っていた日本の空中指揮官」というぐらいの感じかな。
H-032-1 Operation Forager and the Battle of Philippine Sea
19 June, the “Great Marianas Turkey Shoot”
Another key weakness of the inexperienced Japanese pilots was very poor communications discipline, which made for a field day for U.S. radio intelligence personnel in TF 58, whose extensive role in providing early warning and Japanese intentions is not mentioned in most histories of the battle. However, at one point, Mitscher declined a recommendation to vector fighters to shoot down a Japanese strike coordinator (so prolific he was known as “Jo”) because Mitscher was getting too much valuable information from him.
モリソンの戦記を引用する形で、米軍は「調整官ジョー」を感謝を込めて見送ったとのくだりがあるが、脚色臭い?

当時すでに日本パイロットはベテランが払底してしまい、やっと飛べるレベルの技量の劣る搭乗員が主体だったため、目標を指示する指揮官機(調整官ジョー)を落としてしまえば日本側はさらに混乱に輪をかけること必至だったが、混乱してぐちゃぐちゃになられるよりも、目標を指示して飛行隊を向かわせてくれるジョーに仕事をしてもらった方が、要撃側としてはお迎えしやすい!という冷静な計算がなされたわけね。
狡猾千万!

どちらがより日本軍を困らせるかとの視点では、指揮官機を落として指示役を除去してしまった方が困らせることができただろう。
ところが、その場合は(統制が取れなくなった)日本軍機がやみくもにうろうろする結果となるので、それよりもある程度指示に従って集団でやってきてもらえる方が、要撃側が準備しやすいので好ましいわけだったのではないか。三次元の問題(高度が重要)なので、相手方の手の内をわかっていることの価値は大きい。
どの高度でどういうルートで来るのか、ほぼ聞いていた通りにやってきてもらえるので、こんなにやりやすいことはない!
(指示が筒抜けとはつゆ知らない)日本側も、指揮官機が仕事ができて攻撃隊が整然と敵艦隊に向かっていったので、その方が好ましかったのかもしれない~結果として被撃墜機数は多くなったのだろう、という根本的問題ががが
~整然と突撃していくまでが重視されたと思われるので、(実際は飛んで火に入ったのだが)「武人として美しい最後を遂げた」と前向き評価だったのではないか?と疑っている。

strike coordinator 、もしかしてこの辺の記載も関係あったりするの?
『垂井明(第1731回)』
「前路索敵隊指揮官」とかが該当しそうかな?

いずれにせよ、無線情報班、U.S. radio intelligence personnelの活躍は特筆されていて、上記に登場したLieutenant (j.g.) Charles A. Sims(シムズ中尉)はしばしば言及される。
日本語を解し、日本側の通信内容を聞いて理解し、その意図を的確につかんで司令官に報告していた。

訳者あとがきがしみるというか、海軍中将(戦犯として処刑死)の子息にして兄上も海軍士官(戦死)という生粋の海軍軍人が、日本の軍や外交関係者の暗号の強度に関する根拠のない過信を嘆く。
情報戦の完敗ぶりを描いたのが本書。
軍艦、商船を問わず、行く先々で米潜に遭遇してしまうのは、怪しいと思わなかったのかね。
カバーストーリー(あの時ちらっと見えた米飛行艇が当方を発見して通報したものであろう等々)なんて、まやかしじゃん。
不安を感じた偉い人が担当者を呼んで「暗号、大丈夫か?」と尋ねることにまったく意味がなかった。
ドイツ人と一緒?

太平洋戦争 暗号作戦―アメリカ太平洋艦隊情報参謀の証言〈上〉〈下〉エドウィン・レイトン(1987) - 真似屋南面堂はね~述而不作
米海軍から見た太平洋戦争情報戦 ハワイ無線暗号解読機関長と太平洋艦隊情報参謀の活躍 谷光太郎 - 真似屋南面堂はね~述而不作

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