『日本人の骨とルーツ』
埴原和郎/角川ソフィア文庫/2002年
文庫化に際して 1997年の単行本 に加筆・訂正したもの。
目次
アジア人の系譜
日本人のルーツ-二重構造モデル
寒冷適応-日本人形成のキーワード
エリザベス・サンダース・ホームの子供たち-日米混血児の歯
歯の人類学
日本人の顔
アイヌ研究事始め
日本の中の異民族-エミシとハヤト
奥州藤原氏四代の遺体
「ヒマラヤの雪男」を推理する
古代人の心を読む
人類の現在、そして将来
週刊誌のobituaryの引用を見つけた:骨と歯を見続けた人類学者埴原和郎さん現代人への遺言/墓碑銘 『週刊新潮2004.10.28』
埴原氏らが従事した朝鮮戦争の際の米兵戦死者の個体識別については、『骨はヒトを語る 死体鑑定の科学的最終手段』 (2008/5/31にちょっとだけ紹介) に詳述されている(本書中にも言及あり)。
また、エリザベス・サンダース・ホームでの調査をもとにした「日米混血児における歯の人類学的研究」については本書記載の通り。いずれも、大学院に進んで研究者としてスタートする前後に転がり込んできた(望んで得られるものでない)チャンスを生かしたものだな。
上記「墓碑銘」記事中に、“骨に人間の進化を見てきた埴原さんが心配していたのが、顎が細い小顔をもてはやす風潮だった。
「人間の遺伝子は今、負のフィードバックをしている、と。たとえば母親が胸の形が崩れるという理由で哺乳ビンを使えば子供は咀嚼できず、顎が細くなり、歯が生える位置がなくなって虫歯になり、全身の疾患にもつながる。そういうことが起こりうるんだと。我々は文明人である以前に生物としてのヒトであるのを忘れてはいけないと、強調していました」(長男で佐賀医大教授の恒彦さん)”
という記載がある。
じつは本書の中に“最近は歯のデータに基づいて集団の系統を分析する研究が増えてきた。その典型的な例の一つとして佐賀医科大学の埴原恒彦教授(解剖学)の研究を紹介しよう。”という書き出しで、歯冠の長さをもとに日本人と太平洋民族の系統関係を統計的に分析した研究が図表とともに紹介されている。さらりと書かれているだけなのだが、やはりそうだったのね。立派な後継者が育っておられたのでした、と。
研究開発支援総合ディレクトリ(ReaD) read.jst/埴原恒彦教授
kagakunavi/頭蓋骨が語る人類の進化 2007年08月20日 橘悠紀(科学ライター)
佐賀新聞「佐賀大学探訪」69/生体構造機能学講座(医学部-3)
2005/6/15掲載、らしい
読み進んで第7章「アイヌ研究事始め」では、「私事で恐縮だが」と恒彦教授が登場される。
慶応年間、英国政府が研究者の求めに応じてパークス公使にアイヌ人骨の入手を命じる。命を受けた箱館(函館)領事は、館員と日本人小使を派遣、アイヌ集落の墓地から密かに数体の遺体を盗掘し持ち去る。アイヌたちからの訴えを受けた箱館奉行小出大和守の猛抗議にもかかわらず、英国側はこれを本国宛に送付してしまう*。
大正年間に人類学専門誌に掲載された論考などから、この事件に興味を持った大先生は、今も英国自然史博物館に保存されているその標本の調査(計測と標本番号などの確認)を当時ロンドンに滞在し研究中だった息子さんに指示する。その結果、英国の学者はこれらの盗掘骨標本をもとに「アイヌの人類学的研究論文の第1号」を書いたことが確実とわかる。子供が同じ分野に進むと便利だな。
*英国側は、「遺骨は海中に投棄した」⇒「回収したから返却する」などと称して別の骨を返して寄越すなど、「骨になってしまえばわかりゃあしない」との甘い考え。近年もどこかの国が同様の発想?
箱館奉行小出大和守が登場する、アイヌ民族の歴史年表: ここのずっと下の方に「アイヌ人骨盗掘事件」記載がある…実際はより複雑な顛末で、遺骨を返還したと称してじつは何体分かは英国に送ってしまっていたことが(130年後の人類学者親子の調査により)わかる。
その他関連:
藤本英夫, 『アイヌの墓 : 考古学からみたアイヌ文化史』1964年
日本の学者だって…
2007年に出た小説: bungeisha/『アイヌ墓地をあばいたイギリス人たち 一八六五年箱館』2007年刊…謎の事件の真相に迫る歴史小説、だそうで。この小説の「主な参考文献」リストに上掲埴原著書は記載されていないな。 Googleブック検索
埴原和郎/角川ソフィア文庫/2002年
文庫化に際して 1997年の単行本 に加筆・訂正したもの。
目次
アジア人の系譜
日本人のルーツ-二重構造モデル
寒冷適応-日本人形成のキーワード
エリザベス・サンダース・ホームの子供たち-日米混血児の歯
歯の人類学
日本人の顔
アイヌ研究事始め
日本の中の異民族-エミシとハヤト
奥州藤原氏四代の遺体
「ヒマラヤの雪男」を推理する
古代人の心を読む
人類の現在、そして将来
週刊誌のobituaryの引用を見つけた:骨と歯を見続けた人類学者埴原和郎さん現代人への遺言/墓碑銘 『週刊新潮2004.10.28』
埴原氏らが従事した朝鮮戦争の際の米兵戦死者の個体識別については、『骨はヒトを語る 死体鑑定の科学的最終手段』 (2008/5/31にちょっとだけ紹介) に詳述されている(本書中にも言及あり)。
また、エリザベス・サンダース・ホームでの調査をもとにした「日米混血児における歯の人類学的研究」については本書記載の通り。いずれも、大学院に進んで研究者としてスタートする前後に転がり込んできた(望んで得られるものでない)チャンスを生かしたものだな。
上記「墓碑銘」記事中に、“骨に人間の進化を見てきた埴原さんが心配していたのが、顎が細い小顔をもてはやす風潮だった。
「人間の遺伝子は今、負のフィードバックをしている、と。たとえば母親が胸の形が崩れるという理由で哺乳ビンを使えば子供は咀嚼できず、顎が細くなり、歯が生える位置がなくなって虫歯になり、全身の疾患にもつながる。そういうことが起こりうるんだと。我々は文明人である以前に生物としてのヒトであるのを忘れてはいけないと、強調していました」(長男で佐賀医大教授の恒彦さん)”
という記載がある。
じつは本書の中に“最近は歯のデータに基づいて集団の系統を分析する研究が増えてきた。その典型的な例の一つとして佐賀医科大学の埴原恒彦教授(解剖学)の研究を紹介しよう。”という書き出しで、歯冠の長さをもとに日本人と太平洋民族の系統関係を統計的に分析した研究が図表とともに紹介されている。さらりと書かれているだけなのだが、やはりそうだったのね。立派な後継者が育っておられたのでした、と。
研究開発支援総合ディレクトリ(ReaD) read.jst/埴原恒彦教授
kagakunavi/頭蓋骨が語る人類の進化 2007年08月20日 橘悠紀(科学ライター)
佐賀新聞「佐賀大学探訪」69/生体構造機能学講座(医学部-3)
2005/6/15掲載、らしい
読み進んで第7章「アイヌ研究事始め」では、「私事で恐縮だが」と恒彦教授が登場される。
慶応年間、英国政府が研究者の求めに応じてパークス公使にアイヌ人骨の入手を命じる。命を受けた箱館(函館)領事は、館員と日本人小使を派遣、アイヌ集落の墓地から密かに数体の遺体を盗掘し持ち去る。アイヌたちからの訴えを受けた箱館奉行小出大和守の猛抗議にもかかわらず、英国側はこれを本国宛に送付してしまう*。
大正年間に人類学専門誌に掲載された論考などから、この事件に興味を持った大先生は、今も英国自然史博物館に保存されているその標本の調査(計測と標本番号などの確認)を当時ロンドンに滞在し研究中だった息子さんに指示する。その結果、英国の学者はこれらの盗掘骨標本をもとに「アイヌの人類学的研究論文の第1号」を書いたことが確実とわかる。子供が同じ分野に進むと便利だな。
*英国側は、「遺骨は海中に投棄した」⇒「回収したから返却する」などと称して別の骨を返して寄越すなど、「骨になってしまえばわかりゃあしない」との甘い考え。近年もどこかの国が同様の発想?
箱館奉行小出大和守が登場する、アイヌ民族の歴史年表: ここのずっと下の方に「アイヌ人骨盗掘事件」記載がある…実際はより複雑な顛末で、遺骨を返還したと称してじつは何体分かは英国に送ってしまっていたことが(130年後の人類学者親子の調査により)わかる。
その他関連:
藤本英夫, 『アイヌの墓 : 考古学からみたアイヌ文化史』1964年
日本の学者だって…
2007年に出た小説: bungeisha/『アイヌ墓地をあばいたイギリス人たち 一八六五年箱館』2007年刊…謎の事件の真相に迫る歴史小説、だそうで。この小説の「主な参考文献」リストに上掲埴原著書は記載されていないな。 Googleブック検索