まちづくりはFeel-Do Work!考えるより感じよう、みずから動き、汗をかこう!(旧“まちづくり”便利帳)

まちづくりの支援者から当事者へ。立ち位置の変化に応じて、実践で培った学びの記録。もう一人の自分へのメッセージ。

「風景」が『情景』に変わる瞬間

2005-04-17 04:06:50 | Personal Views
(長岡の風物詩をあしらった絵葉書↑)

現在日本では、国をあげての外国人旅行者誘致に取り組んでいる。
ビジット・ジャパン・キャンペーンやYOKOSO JAPAN!と呼ばれているものだ。
しかしながら、そもそも何故、外国人旅行者を増やす必要があるのだろうか?

国土交通省が始めたキッカケは、「他の国と比較して外国へ行く旅行者の数と、外国から日本にやってくる旅行者の数に、大きな隔たりがあり、訪日旅行者が圧倒的に少ないというアンバランスな状態にある。海外の旅行者を日本に呼ぶことで、地域にお金が落ち、その経済効果が地域の活性化につながる」というもの。
私も外国人旅行者を増やすこと自体は賛成なのだが、その実、経済的なことだけが理由とあっては、裏付けが弱く何か物足りなさを感じることは否めない。
ここに、さらなる意義を付加することで、キャンペーンの価値をより効果的なものとすることができないだろうか。何故やるのか、そもそもの理念を意識して受け入れるのか、それともただ何となく観光客を増やすのかによって、地域に与える結果は大いに変わるはずだ。
私は次のように考える。

これまでの旅行は、美しい自然や町並、珍しいものを「見る観光」から、最近になって「五感で体験する観光」へと変遷してきた。しかし、もっと日本を知ってもらうには、『交わる観光』こそが必要であり、それは同時に新しい地域社会を作る。
日本と他国の差をよく知る韓国人/呉善花(O Sonfa)氏は、外国人が捉える日本人像と、日本人が捉える日本人像には、大きなギャップがあると指摘する。外国人にとっては表面的な部分しか見えないし、日本人にとっては当たり前過ぎて言葉にできない。また、知り合いの日本在住の留学生が口にしたことだが、「私は日本的な景色を求めて来たのではない。日本人そのものを知りたくて来日したが、その機会は非常に少ない。」と言う。滞在の長い外国人でさえ、日本人と交流する機会は、実は非常に少ないのである。
握手から人間関係の距離を測る外国人にとって、徐々に間合いを詰めながら距離を測る日本人は、捉えどころがない。この付き合い方を認識しつつ、内と外のギャップを埋める。これが、個々の付き合いだけでなく、ビジネス、さらには国家の外交にまで大きな損失を与えている。このギャップを埋めていく努力が、地域にもまた大きな利益をもたらすことになる。


 「地域の良さを発見しなさい」

と人は言う。
ところが、地域に長く住む人間にとってはこれが一番難しい。だからと言って、そのために地域の外に出るわけにもいかない。地域に住む私達にとって一番簡単なことは「人の振り見て我が振りを見つめ直す」こと。要するに「鏡」を使うということ。そしてこの鏡を選ぶ際に、自分に近い習慣を持つ人よりも、全く異なる習慣を持つ人の方が、気付きが多く新鮮に学ぶことができる。かく言う私も、日本が嫌いだったのが、好きに転じ始めたのは、実は外国人と交流を始めてからだった。思っても口にしない日本人と違って、彼ら/彼女らは非常に素直で正直だ。嫌なことがあれば、たいていの人は不快感をこちらに伝えてくれる。外国人を我が身の鏡とすることは、多くの気付きに満ちている。まちづくりの三要素「よそ者・ばか者・若者」で言えば、究極のよそ者だ。その意味で国際交流、多文化共生という多様性が果たす役割は非常に大きい。異質なものが地元の文化と交わって、新しい活力を生む。

望むべくは、単に外国人旅行者の誘致を増やすことに留まらず、如何に地元の人々が鏡を通して己の魅力に気付くようになるか。それが地域に対する愛着や誇りを生み、地域全体を育てていくことになる(新潟県村上市の町屋巡りはその好例)。そして外国人旅行者を鏡とするプロセスは、国境、宗教、年齢、性別を超越し、人と人が緊密に触れ合うことを基本とする。この人と人の触れ合いは、旅行者にとって「日本風景の一つ」に過ぎなかったものを「二つとない情景」に昇華させる魔力を持っている。この「風景が情景に変わる瞬間」を持つことが、熱烈なファンを生み、数多くのリピーターを生むことになる。

そのように解釈することで、来たるべき日本旅行の一つの方向性が見えるように思う。
ビジット・ジャパン・キャンペーンは、外国人をターゲットとしてはいるが、長期的には日本人を視野に入れていると私は信じたい。国内に目を向かせるキッカケ、地域の住民が自信を回復するキッカケとして、外国人に活躍していただくという言わば通過点として捉える。そして多くの人が、国内を旅先に選択するようになれば、海外に流失していたお金が国内に留まり、相当な経済効果を生むことは間違いない。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 環境・エネルギー政策に関す... | トップ | 地域が誇る特産品!? »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
観光って何? (某協力課 OB)
2005-06-20 20:57:49
ごぶさたしております。

なかなか観光という分野の地位が低い日本ですが、人がそこを訪れる魅力づくりが観光政策だとすると、観光地は氷山の一角でその下に 人、まちといったものがある訳ですね。それを考えると観光部門だけでどうにかなるというものではなく、地域全体の意思統一がないとだめなんですが、なかなかそこまでいかないですね。先は長いです。

返信する
おー! (管理人)
2005-06-21 01:22:30
おー!某協力課じゃないですか!!

コメント有り難うございます~。でも、誰だろう?



まちづくりにとっては、観光なんて単なる一面でしかないと思うんですが、交流人口があるのとないのとでは、地域に与える影響は全く異なります。

外部の人の視線に晒されるということは、良い意味でも悪い意味でも評価をされるということ。

家の中を見れば住人の性格が想像つくように、地域もまた、見ることでそこの住人が想像できます。沖縄県竹富島の道が大変きれいなのは、住人がそのように心掛けているからでしょう。



鳥生倫さんという人は、ご自身のブログで、

「こと街並みの話となると、表面的な見た目や建築単体で評価される時代は終わって、次のフェーズに来ている気がします。

街並みはそこに住み、活動する人の意識の集積なのですから、詰まるところ、コミュニティーの問題に行き着くのでしょう。」

と発言されてました。

全くそのとおりだと思います。つまり、「地域の姿=その土地で活動する人そのもの」ということ。地域には未練も愛着もないからどうでもいいという輩は放っておけばいいですが、「やっぱりそうだよね」と同意してくれる人は結構いると思うんです。



ご指摘のとおり、時間は掛かるのですが、道のりは遠くても、やるだけの価値はありますし、やるだけの価値はあると思います。
返信する

コメントを投稿

Personal Views」カテゴリの最新記事