年始に「公式サイト作ったで!」と報告してから色々とありました・・・
これ→オフィシャルサイト
まず昨年、コンクールで優勝した生徒さんのお陰で、なんと優秀指導者をいただくことができました!
受賞基準は
①4名以上入選入賞
②2名以上第5位以上入賞
③第1位1名入賞
いうことで、僕は③に該当し受賞いたしましたヽ(=´▽`=)ノ
コンクール公式サイト→第3回東京国際管弦声楽コンクール優秀指導者
優秀指導賞受賞者の中には、8名を入選・入賞に導いた先生もいて、その指導能力の高さに驚くばかりです!
コンクールに関する詳しいことはnoteで公開しておりますので、そちらをご覧いただければと思います
→国際コンクール二冠達成(note)
こうして指導者としての実績を形にして認めてもらえるのは大変うれしいことであります(T_T)
指導者として指導するにあたり大切なことは、(何度も書いている気がしますが)
まずはお前が歌えんと示しがつかんぞ
です笑
僕自身が演奏家としての存在を確立しなければ生徒は付いてきてくれません(しらんけど)
そんなわけで先日町田にて出演したカンツォーネコンサートの模様をこちらの動画にてお伝えします(`・ω・´)ゞ
とあるテノールと《愛と情熱のカンツォーネ》(コンサート映像:5曲まとめて)
僕としては初の試みでして、コンサート映像をそのまま流しております!
(背景の曲名、インタビュー内の一部テロップは編集でつけました)
レコーディング用のコンデンサーマイクとは違い、臨場感あふれるサウンド(物は言いよう)をお楽しみいただければと思います笑
近日中に新しい演奏動画を撮影しますが、もしこのライブ感を気に入っていただけたなら、こちらのコンサートにて生の芹澤の声を浴びることが可能となっております!
何故か二人揃って左手上げてる写真が採用されており「え?ふざけてるの?」と思われるかも知れませんが少なくともこの時の二人は真剣です!
こちらの演奏会、置きチケ&当日精算が可能となっておりますので、「振込の手間と手数料」、「当日チケットを家に忘れるという笑えない不測の事態」に完全に対応しておりますので(演奏会のことは忘れないで来てくださいね)、ご注文頂きましたらあとは当日会場に来てくださるだけでOK!
そして芹澤の公式ウェブサイトと、下の公式LINEからもご注文承っております(`・ω・´)ゞ
または直メールもOKなので、ご興味ある方で「LINEよりもメール派」の方はyoshimichi.serizawa@gmail.comにご連絡下さいm(_ _)m
サーバーがパンクするほどのメール、お待ちしております!
元日より着手し、誕生日の6日にOfficial Web Siteを公開しました!
これまで演奏会情報などはブログ、X(旧Twitter:テノール歌手アカウント)
その他の情報はブログやnoteで発信してきました。
その結果、運用SNSが乱立し
どれ見りゃええねん?
状態になってしまいました笑
なので、「ここさえチェックすれば全部わかる!すべて完結する!」を目指し、オフィシャルサイトを立ち上げたわけです。
例えばチケットの申込みに関してはこの様なフォームをご用意!
チェックボックスにチェックを入れ、残りの必要情報は「お申し込み内容」欄にご入力いただき「送信」ボタンをポチッとな!
これだけで注文が完了し、その後折り返しご連絡いたします。
レッスンのお申し込みも専用フォームをご用意しております(`・ω・´)ゞ
あ、あと大事なことなのですが、
安いプランのサーバーを契約したので
よくサーバーダウンします笑
上の様な画面になりましたら、5~10分空けてから再びアクセスしていただけると表示されるようになります( ゚∀゚)・∵. グハッ!!




常々感じていることですが、人は自分が出来ないことを他者に伝えることは出来ません。
これは
出来ない=理解出来ていない
という非常にシンプルな構図であり、自分が理解出来ていないことを他人に教えることは不可能です。
もちろん知識のアウトプットが苦手な人もいますし、天才肌の人は出来てしまうが故にそれを説明出来ない場合が多いです。

10月に立川サロンスタジオFIXにて収録した3曲、その最後は《Caruso》
何度かコンサートでも披露していますが、未だ僕以外でオリジナルキーで歌っている人にあったことがありません。
これ、おそらく楽譜の問題だと思うんですよね・・・
僕の持っているCarusoの楽譜はイタリア留学中に購入した「パヴァロッティ愛唱歌集」的な曲集に収められたもので、そもそもこの曲集を日本で見たことがありません
この曲集以外だと、アンドレア・ボチェッリの楽曲をまとめた曲集にCarusoは収録されていますが、オリジナルよりかなりキーが低く編曲されています
そんなこんなで《日本におけるCarusoオリジナルキーでの歌唱》はワタクシの独壇場(?)となっております笑
とあるテノールが「Caruso」をオリジナルキーで歌ってみた
短い曲ながら、独特な音程感が難しい「くちなし」
聴くと歌うとでは大きく印象が違い、単純なようなで複雑・・・
音程(ピッチ)が悪いと作品の世界観に没入できなくなる(聴いていて「あれ?」っと思わせてしまう)ので、我々は音程には敬意を払い、常にリスペクトしなければならない(`・ω・´)ゞ
ソルフェージュ能力の高い人や、絶対音感を持っている高レベルの音感保持者なら、正確なピッチを保ちつつ作品に見事な色を出せるのだろうが、如何せん絶対無い音感のワタクシには脳の回路が擦り切れる程度に非常に困難な作業(;・∀・)
一度気になりだすと一事が万事、すべてが気になってしまい疑心暗鬼になってしまう・・・
かと言って、音程ばかりに気を取られていると演奏がつまらないものになってしまう(芹澤の場合)
クラシック音楽の演奏家は(多くの場合)みんな同じ曲を演奏する。
そうなると、どう差別化するか?が個性であり味となる。
「楽譜」というルールの許容範囲内で個性を出すということは意外と難しく、やりすぎれば下品になってしまう。
書かれていることをただ演奏するのは「音の再現」に過ぎない。
大切なことは書かれていることを正しく読み取り、音楽として生み出すこと。(持論)
今やチャットGPTや生成AI、ボーカロイドなど、正確無比な情報、正確無比な演奏を再現するツールは巷に溢れている。
生身の演奏家と、それら「完全無欠の正確性」との違いは「近似値を許容する人間味」という名の温もりであると思う。
つまり、
多少音程甘くても、それはそれで人間がやってることだし良いんじゃない?
ということ笑
とあるテノールと「くちなし」(歌曲集「ひとりの対話」より)
先日、立川サロンスタジオフィックスにて動画撮影をして来ました
実は先だって9月末に同スタジオで収録したのですがその出来に納得がいかず、もう一度収録することに。
演奏において「誰が聴いても完璧な仕上がり」というものは非常に実現困難なものですが、最低でも「自分が納得出来る演奏」をお届けしたいという思いから再収録を決断しました
全部で3曲収録し、完成次第公開していきます(`・ω・´)ゞ
まずは第一弾としてフランチェスコ・パオロ・トスティ作曲の「暁は光から」をお届けします
(この曲、昨年のリサイタルのアンコールで僕が弾き語りした曲です)
とあるテノールが「暁は光から」歌ってみた



























《プッチーニ没後100年記念コンサート》
18時30分開場 19時00分開演
中目黒GTプラザホール
プッチーニのオペラ全12作より、有名アリアを7人の歌手が披露します!
僕が歌うのは
チケットは3種類あり、
1stプレミア席6000円(最前列10席限定)
2ndプレミア席5500円(2列目10席限定)
自由席4500円
となっております。
皆様のお越しを心よりお待ちしております!

プロローグ(弦楽四重奏かオペラか-クリストフォロス伝説の作曲)
第1幕1場(アンゼルムとクリストフ - リーザの選択):劇中劇
師ヨハンの娘でファムファタール的な性質をもつリーザは、作曲を断念して妻子への愛情に生きると宣言したクリストフと結婚する。
第1幕2場(モダニズムオペラの再現 - 心象風景の中のアンゼルムとリーザ)
第2幕(クリストフの覚醒と救済-アヘン窟で瓦解したオペラ構想)
アンゼルムはクリストフの逃走を幇助し、二人はキャバレーに身を沈める。
。
【道徳経28章】其の雄を知り、其の雌を守れば、天下の谿(たに)と為る。天下の谿と為れば、恒徳離れず。恒徳離れざれば、嬰児に復帰す。其の白を知り、其の辱をまもれば天下の模範となる。天下の模範となれば恒徳離れず無極に復帰する[…]。⇒すべてのものには二面性があり、柔軟に対応するべきという中庸、素朴への回帰。
屈折した劇中劇(芸術家の自己意識としてのひとつの形)→劇中劇中劇
「劇」という虚構に複層的な構造が与えられている。しかし各虚構間の境界線は曖昧で、明解な設計図は提示されない。

「登場人物が作曲するオペラ」がマトリョーシカ人形か合わせ鏡のように重なり、台本を読むと果てしなく次元が深化する錯覚にとらわれる。
→アンゼルムはウィーン時代の門下生で前衛的なエルンスト・クルシェネク(1900-1991)、アロイス・ハーバ(1893-1973)等がモデル。
習作の《炎》で当時の恋人ドーラ・レーンの台本を用いたが、出世作となった《遥かなる響き》以降の全ての作品は台本を自作した(最後のオペラ《ヘントの鍛冶屋》以外は原作ストーリーも自作)。第一作の《グラントラム》の自作台本が失敗して以降、文学者に台本をゆだねたR.シュトラウスとは対照的である。ワーグナー以降の作曲家はしばしば自作台本に挑んだが、継続的に成功作を仕上げた例はシュレーカーの他にはほとんどない。
台本自作は、作曲家を主人公とした二作(遥かなる響き、クリストフォロス)に留まらず、全ての作品において、登場人物にシュレーカー自身が投影されていることの基盤となっており、強い自己言及性を形成している。
・題材の特異性
《遥かなる響き》で作者の自画像である作曲家フリッツは、芸術の為に恋人グレーテを顧みず、彼女はやがて娼婦に身を落とす。《烙印を押された者たち》では主人公の貴族アルヴィアーノが私財を投じて芸術の理想郷を作るが、せむし、性的不具という障碍を恥じて自らは近づかない。どちらも濃厚な官能や酒池肉林の騒ぎなど、直截な性描写に臆するところがなく、人物と場面の設定はR.シュトラウスのオペラよりも踏み込んでいる。またオペレッタに反映されていた当時の爛熟したキャバレーの文化も、オペラの中で躊躇いなく再現されている。他にも異常性欲者やいかがわしい霊媒師などの極端な設定は各作品にみられる。
・様々な先行作品の融合。
参照作品の多さと多様さは際立っている。時代も文化圏も易々と超えて縦横無尽に材を求め、筋立て、人物像、心理背景などを自作品に取り入れることに躊躇いがなかった。ことに《烙印を押された者たち》においてこの傾向は以下の通り顕著にみられる。
・「人物設定と劇的構成の概略」が取材された作品
《王女の誕生日》(ベラスケスの絵画《ラス・メニーナス》に基づくオスカー・ワイルドの絶望した小人の死という童話)、シェーンベルクの音楽付きドラマ《幸福な手》(黎明期の表現主義)、フランク・ヴェーデキントの戯曲《小人の巨人カール・ヘットマン》(ブルジョワ批判)など。
・「ディテールが採用された」作品(ダールハウスの分析)
《深き淵より(獄中記)》(オスカー・ワイルド。屈折した人格のモデル) 、《フィオレンツァ》(トーマス・マン唯一の戯曲。ルネサンス期フィレンツェで展開した抗争)、《ボッロメオ家の人》(フェルディナント・フォン・ザールの戯曲。豪華な洞穴(グロッタ)を持つボッロメオ宮殿が舞台であること)。《ペレアスとメリザンド》(メーテルリンクの戯曲。三角関係、女の移り気、男二人の決闘などの筋立て等)、ワイルドの《サロメ》とヴェーデキントの《地霊》(ファム・ファタールとしてのサロメとルルの人物像など)
・台本の精神的背景として参照された哲学・心理学文献
カール・クラウス、オットー・ヴァイニンガー、シグムント・フロイト、フリードリッヒ・ニーチェ等の著作(これらの思想は《烙印》以外の作品にも色濃くみられる)。
2. 《クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」》という転機
【クリストフォロス伝説】
表題のとおり、このオペラはキリスト教の聖人伝説を念頭に置いている。しかし伝説自体は、オペラの筋書には組み込まれていない。聖人クリストフォロスを「同名の祖先」と呼び、強きものを希求する登場人物、クリストフの人物像にシュレーカーは伝説を象徴させた(劇中劇の中にのみ登場する架空の人物)。その対極をなす弱きものには、作曲学生のライバルであるアンゼルムをあて、強きものは凡庸、弱きものは才能豊かと設定した。
したが、1920年以降は差し迫るナチスの圧力と、映画やジャズなど新しい潮流との対峙を余儀なくされ、苦悩の日々を送りました。ユダヤ系の出自に加えて、音楽と台本の双方を自作した彼の躊躇なくエロティックな表現に踏み込む作風は、早くからナチスに忌避されていたのです。 この時期に《クリストフォロス、あるいは「あるオペラの幻影」》は書かれました。初期作品から一貫する後期ロマン派音楽と、様々な新しい手法が融合されて、現実と幻想の両面からオペラ創作の心理に切り込んだ近代的な冒険作です。
作曲にあたって最も重視している。響きの多彩さは同時代の作曲家の中でも傑出しており、管弦楽の楽器、音量、和声などの組み合わせ方は極めて広範に及んでいる。なかでもオーケストレーションを厚く構成し、音価を長めに引き延ばした壮麗なクライマックスを作り上げ、官能的な音響を創出していることは特徴的。
響に没頭していた。[…]例えば、チェレスタがそのまま、そのものとして聞こえてきた
り、クラリネットやオーボエが、下品な競争をして歌声を蹂躙し、時には、管弦楽全体
の波よりも「覆いかぶさったり」してしまうよりも、邪魔なことはない。[…]私が否定
するのは、あまりにも明解すぎて聞き分けが可能な響きであり、そしてオペラという仕
事の中では、ただひとつの楽器だけを認知したいのである。オーケストラそのもの、と
いう楽器だけを。※1
細分化された弦楽器、巧妙に使われる打楽器、そして個々の楽器のアイデンティティーを覆い隠す絶妙の重複によって、プリズムを通したかのような多彩な色彩を生み出すに至っている。※2
→ 特にドビュッシーの和声と管弦楽法の影響に言及している。しかしさらに踏み込んで無調音楽を展開する事もあり、攻撃的な無調性を巧みに覆い隠す効果に寄与している。
私は、印象主義者、表現主義者、国際主義者、未来主義者、ヴェリズモ音楽家である。[⋯]
私は、響きの芸術家、響きの夢想家、響きの魔術師、響きの唯美主義者であり、旋律の軌跡は持ち合わせていない[…]。私は最も純粋な血統の旋律家であり、和声家としては、貧血症で変態だが、しかし純血種の音楽家である!私は、(惜しむらくは)色情狂であり、ドイツの聴衆に対して害悪へと作用してしまう[…]。
私はしかし(幸いなことに!)、理想主義者、象徴主義者でもあり、最も急進的なモダニズム(シェーンベルク、ドビュッシー)を好むが、さほど急進的には指向せず、私の音楽においては害にはならない。三和音はおろか「通俗的な」減七和音まで、いまだに使用して、ヴェルディ、プッチーニ、アレヴィ、マイアベーアなどに寄りかかっている[⋯]。
この正体不明の生命体
白い布に包まれ、その隙間から自撮り棒を天に向かって突き刺しているのは謎の生命体《タジリマン》です
タジリマンは、動画配信者としてとある現場に潜入しております
この様に自撮り棒を駆使し、とある噂のある現場に潜入し、動画配信をしているのです
そう、タジリマンはYouTuber!
しかしそんなタジリマン、潜入現場にて色々なトラブルに巻き込まれます
そして身を隠しているシーンがこれなんです
頭隠して自撮り棒隠さず・・・
まさに配信者の鑑です
そんなタジリマンの活躍はこちらの公演で目にすることが出来ます
子供たちも参加するこちらの公演は、川口オペラ・シンガーズ(近々改名予定だとかどうとか・・・)の第三回定期公演で、タジリマンは《フィガロの結婚》の登場人物です
え?《フィガロの結婚》に【タジリマン】なんて役は無いって?
なければ作ってしまうのが川口オペラ・シンガーズクオリティ!
出演者兼演出の石井一也(Laboratorio141代表)さんによる演出はブラックジョークだけにとどまらず、大胆不敵な発想力と子供たちからのアイデアを採用する海の様に深く広い懐から生み出される唯一無二のものとなっております(特にフィガロの結婚)
みなさんが知っている《フィガロの結婚》はそこには無いかもしれません。。。。
あるのは・・・・
お申し込み、お問い合わせは、フライヤーに記載されている川口オペラ・シンガーズ(kawaguchiopera@gmail.com)
またはyoshimichi.serizawa@gmail.comでも受け付けております