大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

関林2016~⑤三殿 その壱

2017年01月10日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

三殿は春秋殿。春秋を読む関羽と、寝台で寝ている関羽か居るはず…。
と思って入ると、以前の通り、春秋関羽と寝台関羽が居たが、黄色い衣を着た
お坊さん(?)も居た。

……関林は寺だったのか???

以下の春秋を読む関羽の写真を撮ったら、このお坊さんに憤怒の形相で叱られた。

えーっ、写真撮影禁止って書いて無いじゃん…。

と思いつつも叱られたので、反射的に謝ると、

「おまえどこの人間だ」

「日本人です」

憤怒の形相から、「ああ、日本人か」て顔で少し笑ったお坊さん。 

中国人は謝らないから、確認したのか?


▲2016年版春秋を読む関羽

▼1986年版春秋を読む関羽

1986年当時は殿内には何もなく、春秋関羽は作成中だった。
何も無かったので、洛陽市の地図に載っていた関林図は三殿という表記だったのだろう。 

▼春秋を読む関羽の塗装モデル/これを見ながら色を塗っていたように見えた(笑)。


新・旧龍門石窟

2017年01月09日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

関林の途中ですが、龍門石窟の昔の写真を発掘したので似た様な角度のものを
並べてみました。

以下は'88年12月の写真。こう見ると当時から龍門石窟の整備は行われていた。
下段に出てくる同年2月に比べると歩道が大幅に拡張されて、木が植えられ、
売店も造られていた。 


石窟から伊河を望む▲1988/12▼2016/8

 


伊河越しの奉先寺大仏▲1993/4▼2016/8

石窟は変わらないが、岸辺の歩道に街路樹が増えた。
シーズンが違うとはいえ、以前の伊河は結構浅い川のように思えるが
 今では冬でも観光船が通れるほどの深さになっている模様。
浚渫工事もしたのかだろうか? 


石窟から南側の橋方面を望む▲1988/2▼2016/8

'88年2月は観光地とは言いがたい様な歩道だった。これはこれで趣があったが。
上下を比べると、観光道がかなり拡張され、植樹されている。
あれから何度整備を繰り返したのか…。
中国全土に言える事だが、昔は本当に緑が少なかった。 


龍門橋の東側▲1986/3▼2016/8…本当に30年(笑)

馬車が邪魔で良くわからないかもしれないが、当時はただ舗装された道で
整備された歩道はなかった。


▲1993/4
以前奉先寺大仏の下には売店は無かったが、元々何かの穴があったように石で
埋められていた。  


▲2016/8


関林2016~④二殿

2017年01月06日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

この辺で、関林の配置図を。

▲関林全景('86年版 洛陽地図より)

大門、儀門、大殿を抜けると、左右に配殿をもった二殿が現れる。 


▲二殿

二殿に入ると、なじみの無い関羽像立っていた。

………えーーーーーっ!!

その昔、二殿内の関羽像は結構格好よかったのだが、新しくなった関羽像は
私の好みでは無かった。

………これって、大殿の関帝聖君像の屏風裏にあるレリーフと同じじゃないの?? 

なんか、違和感。と思ったら、現在二殿は「財神殿」になっていた。

そういえば、前回(1998年)来たときに、キンキラキンの関羽財運お守りが売っていた。
黄金のカード型お守りと、日本の神社にあるような守り袋の形状で関羽が織り込まれて
いる紺色のものと二種類あった。
三国志ファンの土産に良いので、何個か購入して帰ってきたが、
思えばこの頃から怪しかったのだ。 

………関林、変わったな。


▲二殿の新しい関羽像

一昨年(2015)行った荊州の関帝廟でもガッカリしたが、ここもガッカリ。

ちなみに、以下が80年代後半の関羽像。
個人的には、当時回って見た中では抜群の出来だと思っていた。

さすが、関林!!と思っていたのに~(T^T)

▼90年代に入ると背景がついてちょっと豪華になる(笑)


関林2016~③大殿の関羽像

2017年01月05日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

大殿の関羽は関帝聖君イメージで作られた像のよう。
冠には玉すだれがジャラジャラついて顔は金ぴか。北斗七星の笏を持っている。
このタイプは80年代後半に整備された関帝廟に見られるように思う。

この関帝聖君は左手に周倉と廖化、右手に王甫と関平を従えている。
いつの頃からか、足元にはミニ関羽像がずらっと並んでいた。


▲関帝聖君座像/これを見ると関羽は神様だねぇ。


▲周倉と廖化/周倉像は張飛と同じ扱いだよね。


▲王甫と関平


▲大殿背面の関羽像/レリーフっぱい作りです。


関林2016~②儀門と大殿

2017年01月04日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

昔は「関林」、現在は「関林廟」と改名(?)した関林の入場料は
40元(約640円)。
30年前は2角(0.2元/当時約12円)だったから、何と!200倍!!!

以前は山門脇で入場券を売っていたが、現在は広場に入る前に
「入場券売場」が新設されている。
我々のような三国志ファンは必ず訪れるのだから、
ここも龍門石窟に並ぶドル箱(死語?)なのね~。 


▲儀門(ぎもん)  …門前にはためく三角の赤いビニールの旗は
 景観を損ねている気がする


▲大殿▼ …やっぱり赤旗はいらない…


▲変わらないのは大殿脇に置かれた、偃月刀のみなのか
 …錆に磨きがかかった気がする


関林2016~①山門と戯楼

2017年01月03日 | 三国志・水滸伝・史記の旅

龍門石窟から関林はタクシーで10~15分。
以前は対向二車線の、舗装された龍門大道沿いに「関林」という停留所があり、
龍門大道を行き来するバスは必ず止まっていた。
停留所「関林」 傍の舗装されていない脇道を入って暫く歩くと右手に関林の「戯楼」、
左手に赤い「山門」があった。
この舗装されていない脇道には、旧暦の3の付く日に市が立っていた。 
いつもは静かな脇道だったが、市の立つ日は賑やかだった。

現在は片側三車線になった龍門大道から延びる脇道も舗装され、71路がそのまま
関林前まで連れて行ってくれる。停留所は「関林廟」という。
71路は龍門石窟~関林廟を運行する観光路線。


▲関林山門前の広場…無駄に広い

雨が降るとドロドロだった脇道がすっかり舗装されて幅広な道に変わっていたように
関林もすっかり整備されてしまった。
関林の周りにひしめいていた民家はすっかり無くなり、山門と戯楼の間にはだだっ広い、
石が敷き詰められた広場に変わっていた。 


▲関林前の広場 其の二 中央の建物が戯楼


▲関林の山門 2016年版 すっかりキレイになっている


▲戯楼 こちらも昔はボロボロでかなり趣のある佇まいだったが、すっかりキレイ…