清ちゃんには「男のロマン」を感じます。
PL学園時代から清原は絶対ジャイアンツに入る選手と思い続けていました。
ところが運命のドラフト会議。
1985年11月20日
「第1回希望選択選手、ヨミウリ…桑田真澄 18歳、投手、PL学園高校」。。
涙した彼!ジャイアンツファンではあるけれど、
さすがにあの日は「読売最低」と
思わざるを得ませんでした。
日本シリーズでの涙。そしてFAでジャイアンツに移籍。
ミスターの横で、少年のように はにかんだ笑顔。さらにうれし涙。
清ちゃんが、ジャイアンツに移籍するとき、一部のマスコミ、一部のファンは
「何で裏切った読売に!」「なんでいまさら!」「あいつには男の意地がないのか!」
かなりの批判もありました。
私も、ずっとスポーツをやってきた人間なのでわかります。
子供のころからの”あこがれ”は、けっして消えることがないんです。
FAで移籍。憧れのジャイアンツへ移籍。とは云っても一流であり続けなければFA移籍も
叶うはずもなく、ましてミスターが彼に「ジャイアンツに来い!」とも言わなかったはず。
そんな、「男のロマン」を感じさせる彼が大好きです。
2004年9月29日
東京ドーム最終戦!
試合終了後選手全員がグランドに
出てきてサインボールを投げます。
私はライトスタンドの中央付近、確か8列目あたり。
そこへ、目の前に「清原和博が!」
キヨチャーン!!
と叫んで持参のグラブを差し出すと
私に向かってストライク!!涙があふれ出てその場で倒れこみそうになったのを覚えています。
そのボールを見るたびに
「清原がんばれ!!」と。
ジャイアンツに来て、力以上の力を発揮せねば!
満員のファンの前で大きなホームランを打たねば。。
そんなプレッシャーが、清原和博を肉体改造へ走らせたのでしょうか。
体は必要以上に大きくなり、太もも、膝。と、故障、故障の連続。
それでもライトスタンドの「トンボ」の大合唱が彼を勇気付けたんだと信じています。(もちろん私もフルに合唱)
2005年、シーズン中、対横浜戦
横浜ベイスターズのストッパー・佐々木主浩の引退試合で、彼と最後に相対する打者として指名され、
清原は明らかなボール球に対しても全球フルスイングで真っ向勝負し、最後はフォークで空振り三振。
そしてピッチャーマウンドに駆け寄り二人で握手を交わした。
そんな清原和博・・・・・大好きです。
でも、どうしても許せないことが。。。。
2005年8月4日の対広島戦での出来事です。
この日の清原は打順は7番で起用され、4回表にホームラン。
ダイヤモンドを一周した後、ベンチでチームメイトとのハイタッチを拒否。
確かに打順は7番(降格?)堀内恒夫監督との確執、コーチ陣とのすれ違い。
でも、チームメイトは違うはず。ナインは一つのはず。。
かつて、二岡がベンチでバットを叩きつけ、折ってしまった時、それを諭した清原がいたはず。
私は、寂しいやら、悲しいやら。。。
今は、一軍のグランドで、試合で、バットを振る喜びを感じているはず。
もう一度、少年の様な気持でバットを振っているはず。
もう一度、純粋にスタンドへほうり込みたいはず。
今年も、残り40試合!「引退覚悟でバットを振り続ける」と言った彼の生きざまを
しっかりと目に焼き付けて。。。
応援します。。。最後まで。。。
PL学園時代から清原は絶対ジャイアンツに入る選手と思い続けていました。
ところが運命のドラフト会議。
1985年11月20日
「第1回希望選択選手、ヨミウリ…桑田真澄 18歳、投手、PL学園高校」。。
涙した彼!ジャイアンツファンではあるけれど、
さすがにあの日は「読売最低」と
思わざるを得ませんでした。
日本シリーズでの涙。そしてFAでジャイアンツに移籍。
ミスターの横で、少年のように はにかんだ笑顔。さらにうれし涙。
清ちゃんが、ジャイアンツに移籍するとき、一部のマスコミ、一部のファンは
「何で裏切った読売に!」「なんでいまさら!」「あいつには男の意地がないのか!」
かなりの批判もありました。
私も、ずっとスポーツをやってきた人間なのでわかります。
子供のころからの”あこがれ”は、けっして消えることがないんです。
FAで移籍。憧れのジャイアンツへ移籍。とは云っても一流であり続けなければFA移籍も
叶うはずもなく、ましてミスターが彼に「ジャイアンツに来い!」とも言わなかったはず。
そんな、「男のロマン」を感じさせる彼が大好きです。
2004年9月29日
東京ドーム最終戦!
試合終了後選手全員がグランドに
出てきてサインボールを投げます。
私はライトスタンドの中央付近、確か8列目あたり。
そこへ、目の前に「清原和博が!」
キヨチャーン!!
と叫んで持参のグラブを差し出すと
私に向かってストライク!!涙があふれ出てその場で倒れこみそうになったのを覚えています。
そのボールを見るたびに
「清原がんばれ!!」と。
ジャイアンツに来て、力以上の力を発揮せねば!
満員のファンの前で大きなホームランを打たねば。。
そんなプレッシャーが、清原和博を肉体改造へ走らせたのでしょうか。
体は必要以上に大きくなり、太もも、膝。と、故障、故障の連続。
それでもライトスタンドの「トンボ」の大合唱が彼を勇気付けたんだと信じています。(もちろん私もフルに合唱)
2005年、シーズン中、対横浜戦
横浜ベイスターズのストッパー・佐々木主浩の引退試合で、彼と最後に相対する打者として指名され、
清原は明らかなボール球に対しても全球フルスイングで真っ向勝負し、最後はフォークで空振り三振。
そしてピッチャーマウンドに駆け寄り二人で握手を交わした。
そんな清原和博・・・・・大好きです。
でも、どうしても許せないことが。。。。
2005年8月4日の対広島戦での出来事です。
この日の清原は打順は7番で起用され、4回表にホームラン。
ダイヤモンドを一周した後、ベンチでチームメイトとのハイタッチを拒否。
確かに打順は7番(降格?)堀内恒夫監督との確執、コーチ陣とのすれ違い。
でも、チームメイトは違うはず。ナインは一つのはず。。
かつて、二岡がベンチでバットを叩きつけ、折ってしまった時、それを諭した清原がいたはず。
私は、寂しいやら、悲しいやら。。。
今は、一軍のグランドで、試合で、バットを振る喜びを感じているはず。
もう一度、少年の様な気持でバットを振っているはず。
もう一度、純粋にスタンドへほうり込みたいはず。
今年も、残り40試合!「引退覚悟でバットを振り続ける」と言った彼の生きざまを
しっかりと目に焼き付けて。。。
応援します。。。最後まで。。。