シュガーブログ

増田カイロプラクティックセンター勤務のカイロプラクター、NAET施術者、名ばかり鍼灸師、時々ランナーによる様々な情報発信

津田梅子

2022-04-21 15:12:48 | 日記
先月3月上旬に「津田梅子~お札になった留学生」という津田梅子の半生を描いたTVドラマが放送されました。
全て夜の時間帯に見られそうになかったため録画したものの、2時間のドラマをゆっくりと見る時間がなかなか取れず、本日やっと見ることができました。
いやぁ~勉強になりました、感動しました。

津田塾大学の創始者であり、女子教育の先駆者であるという業績は何となく知っていたものの、ドラマではそこに至るまでの苦悩が分かりやすく表現されていて、大変勉強になりました。

津田梅子は6歳(明治4年)から11年間、アメリカへ留学をしていました。
帰国してからはアメリカと日本の社会のギャップに悩み苦しみます。
日本では女性の社会的地位は低く、女性自身も「女性はそういうもの」として育てられているので疑問を抱く人もおらず、いくら留学していたといえども、国に恩返しがしたいと思えど女性が活躍できる分野は非常に限られていました。
理想と現実のはざまで苦しんでいたのでしょう。
なんで自分を留学させたのかと親を責めるシーンもありました。
その後再び留学し、帰国後は自分の軸をブラすことなくさらに柔軟な思考で女子教育の発展に注力しました。
そんな過程があったことなど全く知りませんでした。

津田梅子と言えば、、、
私は中学受験の面接対策で「尊敬する人物は?」と聞かれたら「津田梅子」と答えなさいと母親に吹き込まれました。
言われるがままに、理由を全く知らないままに。
そして大学受験時、親の強い希望で津田塾大を受験しました、行きたい学部がないのに・・・。
理系だったので数学科を受験しましたが、傾向と対策は何もしてませんし、メインの問題が考えても解けそうになかったので試験中寝てました。
親としてはこのような素晴らしい人物がつくり上げた大学に行ってほしかったのだと思いますが、親の心子知らず、というか学力足らずです。
津田塾大学の歴史

この歳になってやっと、母親が大プッシュしてきた津田梅子に関して深く知る機会が得られ感謝感謝。
私はひそかに中・高・大学と10年間女子校でしたから、彼女の功績に感謝するのは今からでも遅くないはず。
私の通っていた中学高校の学院長は「男女は同権であっても同質ではない」、特に色々と学び成長するこの時期に男女別の教育をするのは大切であるとよく仰ってました。
「女性の力が育って、はじめて国も発展していく」という創立者の思いがあるようですが、創立135年以上経つ現在、諸外国と比べるとまだまだ道半ばといったところでしょうか。

そして2024年から5千円札の肖像が樋口一葉から津田梅子に変わるそうです。
だからこのドラマのタイトルだったのですね。
恥ずかしながら1万円札が諭吉さんから渋沢栄一に変わる事ばかりに気をとられていました。
これから取り上げられることも増えるでしょうから、引き続き注目していきたいと思います。