大学・学部・学科の新設
大学・学部・学科の新設は、文科省の大学設置審査会が審査する。
審査内容は多岐に渡っているが、当然にも、カリキュラム内容も審査される。
与える学位と、カリキュラムの内容が一致していない場合、審査は通らない。
審査は新設の場合だけなされるのではない。
4年制大学の場合、事業完成年度、すなわち4年が経過した段階で、
通称「アフター・ケア」委員会といわれる委員会が再審査している。
その後の審査が特に制度化されているわけではないが、
違反する事実が明らかになったときには、当然、審査の対象に付される。
与える「学位」と、カリキュラムの内容は、絶対に一致していなければならない
というのは、まさに常識であり、大学設置基準法19条の命ずるところであり、
これを認識していない大学人など、どこにもいない。
(昨今のどこかの大学の法学部は別である)
たとえば、医学教育をほとんどおこなわないカリキュラムを編成して
医学部医学科の新設を申請しても、審査には絶対に通らない。
同様に、工学部に、工学関係の科目を履修させない
スポーツシステム学科の新設を申請をしても、絶対に審査は通らない。
もっとも、こんな申請をする大学は、絶対にない。
仮に、医学教育をしない医学部医学科があったとしても、
学生はそんな大学には絶対に入学しないだろう。医師免許をとるための国家試験に
パスしないからであり、医師国家試験に受かるような能力をつけてくれない
大学の「医学士」学位をもらっても、何の意味もないからである。
こんなことは健全な悟性さえ有していれば誰にでも分かるはずであるが、
中央学院大学法学部の一部教員はどうやら理解できないらしい。
課程ないしはコースの新設、カリキュラム変更
課程ないしはコース(以下、「コース」と呼ぶ)の新設には
当該コースのカリキュラム新編成を伴い、大学の学則の変更が必要である。
通常のカリキュラム変更も、すべて学則の変更を伴う。
学則の変更は、その都度、文科省に届け出る義務があり、
その際に当然にも文科省は、変更されたカリキュラムの検討を行い、
当該コースのカリキュラムが学部の教育内容、与える学位に一致しているか、
につき審査している。
早い話が、中央学院大学法学部法学科に「スポーツと法コース」が新設された際に、
その審査をしているのである。
我々が当ブログで指摘したように(「スポーツなんたらコースの軌跡」)、
このコースは新設時には50単位以上の法律科目の履修を義務付け、
審査をパスした。
ところが、2011年度のカリキュラム改革により、
同コースの法律科目の履修必須単位は20単位に、
つづく2013年度のカリキュラム〈改悪〉により、
大村芳昭・現法学部長(こういうヤカラを学部長に戴いたままで良いのか)の主導の下、
さらに(卒業要件127単位のうち、たったの)16単位(即ち法律科目4科目分だけ)
に引き下げられてしまった。
もちろん中央学院大学は文科省に学則変更を届け出たのであるが、
文科省は、同コースが「法学士」という学位の乱発機関と化したことを見逃したようだ。
カリキュラム改革は、毎年、何百という大学で行われており、それを細かく審査するのは
大変であることは想像にかたくない。
学問の府である大学においてかような逸脱はありえぬ、との「思い込み」が、
文科省をして中央学院大学法学部の「不埒(ふらち)な悪行三昧(ざんまい)」を
見逃させてしまったのであろう。
当ブログの指摘の反響
当ブログの指摘の反響は非常に大きい。
中央学院大学法学部「スポーツシステムコース」の出鱈目(でたらめ)さ
加減については、心ある大学関係者から疑念や批判の声が寄せられている
のみならず、一般の人士もその行く末を見守っている。
もはや中央学院大学法学部「スポーツシステムコース」は、
大学の内外でその名(悪名?)を馳せている。注目の的となっているのだ。
聞くところによれば、こうした情報は既に文科省にもたらされ、
所管部局においてしかるべき対応が検討されている、との由。
ならば、いずれマスコミの耳にもはいることであろう。
それにしても、法学部教員の反応がなんと鈍いことか。
こうした事実が当ブログで何度も指摘されているというのに何の問題も感じず、
教授会の議題にもなっていないというではないか。
なかには「嵐をやり過ごす」とキメコんでいる悠長な御仁も居るようだ。
だが文科省から大学へ問い合わせがあり、万一「是正措置」などの処分が加えられた
場合、そうした御仁の責任が真っ先に問われることになろう。
近時問題になった○○の件(ここでは敢えて記さない)は、
大学の自浄能力を信じた我々が問題を公にする前に大学トップへ善処を促した結果、
いわばトップ・ダウン方式で法学部の悪弊が除かれた、という経緯がある
(教授会構成メンバーはとくとご存知であろう)。
しかし今般の「スポーツシステムコース」をめぐる一連の問題に関しては、
ひとえに法学部教員の無思慮・無配慮が、そうした解決方法を難しくしてしまっている。
文科省の指導が入るとなれば、大学の信頼は失墜するに違いない。
その際には、「スポーツシステムコース」にまつわる問題を惹起した
現法学部長・スポーツシステムコース配属教員に対して、
厳正な処分(諭旨免職・降格・減給)が下されねばなるまい。
なぜなら、2011年度以降に入学し、同コースを選択した学生が、
早くも2014年度末に卒業し、実体のない「法学士」という学位を手にして、
世に送り出されるからである。
処分されるべきは、彼らに追随した法学部「教育戦略委員会」の一部
メンバー、また不当な〈改悪〉を「我関せず」として放置した教員も同様である。
「嵐をやり過ごす」ためには、相応の器量・能力・胆力が求められる。
自己を過信し、あるいは問題の重大さを読み違えたヤカラは、
むしろ嵐に呑み込まれ、『風とともに去りぬ』という仕儀(しぎ)に至るであろう。
現学部長、大村芳明・大先生の果たした役割
大村芳昭・現学部長は、実は、「スポーツシステムコース」に所属する責任者として、
2011年度の同コースのカリキュラム〈改悪〉を行った張本人である。
そう、彼こそが法律科目の必須履修単位を20単位に引き下げたのである。
この大村芳昭・現学部長が、
2013年度のカリキュラム改革の音頭もとり、
法律科目の必修履修単位をさらに16単位にまで引き下げてしまった。
彼はまた、2013 年度カリキュラム〈改悪〉に際して 、
「キッズ・スポーツ論」「トップ・スポーツ論」「シニア・スポーツ論」(各4単位)
という、なんとも(学問的裏づけも)アヤシイ科目の新設を認め、
他方では、多数の法律専門科目を廃止・統合し
(しかし不要と看做されうる科目のうちで、専任教員が担当している分については
それだけの理由で存置 ← これで何が「改革」か! 基本的なビジョンの欠如。
実は科目廃止=非常勤の大量雇い止め=「経費削減」とやらが目的)、
語学の必修単位数をほぼ半減させた(例:必修8単位→4単位)のである。
過去2度の学部長選挙を戦い、スポーツ専任教員や語学担当教員に担がれた
大村芳昭・大先生には、
法学部の危機的状況
――それは、定員確保の問題というより、法学部の存在の意義、
すなわちその教育内容にかかわる危機である――
についての認識はないようである。
担いでくれた専任教員の利益を代表する学部運営はやめろ、
と彼に進言しても無駄、なのか?
ならば大学外部(文科省・大学基準協会・報道機関など)からの働きかけを
俟(ま)つしかないのか?
よろしい。我々は他力本願の徒ではない。
「俟つ」のではなく、積極的に働きかけよう。
だがその前にもう一度、一部の心ある法学部教員の奮起を促したい。
法学部教員自ら、カリキュラム〈改悪〉を全面的に見直しなさい。
「一度決まったことだから・・・」などというおためごかしの保身を図る言い訳は、
もはや通りませんよ。
そして、学内外の情報ーーたとえば、組合が団体交渉で指摘した事項や、
その席での常務理事による学部長への勧告の内容ーーを、
適切に教授会に開示し、教授会をきちんと運営できるような、
しかるべき人物を学部長に据えた方がいい。
ただちに、現法学部長を解任すべきである。
このままでは事態は悪化するばかりだ。