パート4・335 :文責:名無しさん :02/04/17 01:01 ID:dW21dxRq
ビルマ顕彰
亜細亜独立 ビルマ
支那事変当時、中国・蒋介石軍の物資調達は、英国からビルマを通じて行われていた。
日本はビルマ・ルートを立ち切るためにビルマの独立を画策し、
鈴木敬司陸軍大佐はビルマ独立の志士:ウォン・サン、ラミヤンと秘策を練った。
昭和16年2月、鈴木大佐を長とする「南機関」を設立、
バンコクで140名の精鋭からなる「ビルマ独立義勇軍(BIA)」を編成した。
日本軍のビルマ進撃と共にBIAへの志願者は増え続け、27,000人にも達した。
鈴木大佐は、一時も早いビルマ独立を参謀本部に進言したが、参謀本部は
これを認めず鈴木大佐に北海道への転属を命じた。
鈴木大佐の転出を嘆き悲しんだBIAは、肖像画と刀剣に添えて感謝状を贈っている。
「我等はビルマ独立軍の父、ビルマ独立軍の庇護者、ビルマ独立軍の恩人のことを
忘れない。たとえ世界が忘れるとも、我々の感謝の心が滅びる事は無い。」
ビルマ顕彰
亜細亜独立 ビルマ
支那事変当時、中国・蒋介石軍の物資調達は、英国からビルマを通じて行われていた。
日本はビルマ・ルートを立ち切るためにビルマの独立を画策し、
鈴木敬司陸軍大佐はビルマ独立の志士:ウォン・サン、ラミヤンと秘策を練った。
昭和16年2月、鈴木大佐を長とする「南機関」を設立、
バンコクで140名の精鋭からなる「ビルマ独立義勇軍(BIA)」を編成した。
日本軍のビルマ進撃と共にBIAへの志願者は増え続け、27,000人にも達した。
鈴木大佐は、一時も早いビルマ独立を参謀本部に進言したが、参謀本部は
これを認めず鈴木大佐に北海道への転属を命じた。
鈴木大佐の転出を嘆き悲しんだBIAは、肖像画と刀剣に添えて感謝状を贈っている。
「我等はビルマ独立軍の父、ビルマ独立軍の庇護者、ビルマ独立軍の恩人のことを
忘れない。たとえ世界が忘れるとも、我々の感謝の心が滅びる事は無い。」