パート2・56 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 02/03/06 13:16 ID:moeovbN2
昭和35年3月中央公論社刊行
北杜夫著「どくとるマンボウ航海記」
のなかでこのような文章があります。
シンガポールでの話だそうです。(新潮社文庫版P.43 8行-18行)
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翌日は領事館の出してくれたバスであちこち見物できたが、
こうした観光バスは便利なようでいて、あとから思い返してみると
単に何々を見たということにすぎないことになりかねぬから、
でき得れば一人で迷い歩いた方が好ましい。
マライ人の対日感情は非常によく、植物園の中で、こちらに向かって
「カシラー、ナカ!」などというのを聞いたときには皮肉っているのかと思ったが、
だんだんと 話を訊いてみるとむしろ懐かしがっているので、
かえって妙な気持ちにならざるを得ない。
昼から領事館のレセプションに出たが、居合わせた商社の人に訊くと、
「カシラー、ナカ!」などというのはおそらく昭南島当時日本軍がつくった
兵補というマライ人部隊の連中だろう、彼らは極めて親日的で、この前
ニホンがきたのは1941年だ、今度はいつくるか、などと言ったりすると
話した。彼らがそういう表現をするのを私はあとで自分でも聞くことができた。
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昭和30年代に親日的で、今反日であったのなら、
問題は今の日本人ということに・・・。
昭和35年3月中央公論社刊行
北杜夫著「どくとるマンボウ航海記」
のなかでこのような文章があります。
シンガポールでの話だそうです。(新潮社文庫版P.43 8行-18行)
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翌日は領事館の出してくれたバスであちこち見物できたが、
こうした観光バスは便利なようでいて、あとから思い返してみると
単に何々を見たということにすぎないことになりかねぬから、
でき得れば一人で迷い歩いた方が好ましい。
マライ人の対日感情は非常によく、植物園の中で、こちらに向かって
「カシラー、ナカ!」などというのを聞いたときには皮肉っているのかと思ったが、
だんだんと 話を訊いてみるとむしろ懐かしがっているので、
かえって妙な気持ちにならざるを得ない。
昼から領事館のレセプションに出たが、居合わせた商社の人に訊くと、
「カシラー、ナカ!」などというのはおそらく昭南島当時日本軍がつくった
兵補というマライ人部隊の連中だろう、彼らは極めて親日的で、この前
ニホンがきたのは1941年だ、今度はいつくるか、などと言ったりすると
話した。彼らがそういう表現をするのを私はあとで自分でも聞くことができた。
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昭和30年代に親日的で、今反日であったのなら、
問題は今の日本人ということに・・・。