ちょいちょい追記してます。ご了承下さい
「飛騨の匠と家具の歴史」....、偉そうなタイトルですが
「2012 飛騨高山 暮らしと家具の祭典」が行われた 飛騨・世界生活文化センター ↓↓ に
同タイトルの展示室があり そこから拝借しました。
決して 私が語るワケではありません、笑。
その「飛騨の匠と家具の歴史」という展示室に入って
展示品(トップの写真 ↑ )を見た瞬間 テンションマックス!!
これはヤバい。ドンピシャだ!
「落ち着け 私!」と心の中で繰り返しながら すぐさま入口に引き返し
案内係のおばさんにダメもとで 写真を撮りたい と(出来るだけ可愛く )訴えてみた。
返ってきた答えは意外にもあっさり「どこにもダメって書いてないものね、まぁいいわ 」。
....やった !! 小さくガッツポーズ !!
ちなみに トップの写真 展示物ヨコにて禁止しているのは手を触れることのみ。
確かに 写真については何も書かれていない。
落ち着いて見てみると 飛騨の家具=飛騨木工(現在の飛騨産業株式会社)の歴史らしい。
まぁ歴史から言えば そうだろうね。
個人的には こういうの もうたまらんのです ↓
「日満華親善を真の目的とせる 東亜新秩序の共同建設に貢献をめざす」
「依然世界的に独歩して 光輝を保有する 飛騨木工折畳椅子(日満国 新案意匠特許)」
「魂を打込める製品は 工芸美の絶大と耐久堅牢の責に任ず」
いやー、すごい。
(余談ですが 日本語を横書きするの際 左から右に向かって書く様になったのは
アメリカの文化が入ってきた戦後だと思っていましたが
これって ↑ 戦前・戦中のカタログですよね?その辺り どうなんでしょう?)
そして それがこの ↓ 折り畳み椅子の現物なのが もっとすごい。
戦中の高山高等女学校、戦闘機用 燃料補助落下タンク製作風景 ↑
昭和17年 夏頃から 浜松の河合楽器の指導にて 落下タンクの製作を開始、
(むむ、家具屋はやはり曲面に弱いのか? 解説によると 合板を使用したらしい。)
昭和18年に入り 飛騨木工に隣接していた高山高等女学校を工場化し
生徒を動員して 簡易的な木工技術を指導していった。
この頃の飛騨木工は 弾薬箱や要具函なども製作している 関連記事「写真に見る家具百年史」
名機と言われた(らしい )陸軍4式戦闘機「疾風(はやて)」↑
コイツの模造機、いわゆる「木製戦闘機」の製作も行われた(実機は当然 金属製)。
昭和19年には 飛騨木工を中心とした「高山航空工業株式会社」が誕生し
終戦までに10機の試作機が完成しているが 期待された性能に及ばず 終戦を迎える。
終戦後 木製の試作機は全て 宮川の川原で焼却されたとのこと。
ちょっと調べてみたら 北海道 北日本製紙(旧王子製紙から分離した王子航空機が全身。
1970年に王子製紙に合併)呉羽紡績、立川飛行機が この模造機(キ106)を作っている。
飛騨木工は立川飛行機の流れをくんでいた模様。
木工屋のみならず 紙屋や布屋まで木製戦闘機を作っていたことになる!
ちなみに当時 既に イギリスのモスキート、
ソビエトのミグ、ヤグと言われる木製戦闘機が 実際に飛んでいたらしい
(何故イギリスに出来て 日本に出来なかったのか?← 単純に技術面での疑問です!)。
日本はそれらを参考に 研究とテストを繰り返し 設計していった。
木製戦闘機生産のための資料 ↓↓
そして 戦後は 進駐軍の家族用住宅に置く家具の生産が始まる。
秋岡芳夫によるカードチェア ↓ 飛騨木工とマルニ木工で製作された。
高度成長期の飛騨産業は 葭原基さん一色(笑) ↓ 原寸図面も展示されていました。
手前から3脚目の ↑「EIGER(アイガー)」は創業90年の記念で復刻され
4脚目でスタッキングされた「CASCADA(カスケード)」はリ・デザインされている様です。
すごく充実した展示、これらは常設展示だろうか?
飛騨で家具に関わるというのはやっぱりすごい環境なんだろうな。
そのまま「日本の家具(木工)の歴史」でもあるからね。
本当は高山滞在中に飛騨産業のショールームに行こうと思っていたけれど
ショールームで写真撮影は出来ないだろうし この展示で充分こと足りてしまった。
これだけで高山に来た価値があったー
そしてここから「日本の美 飛騨デザイン」の展示 ↓ 照明は全てイサム・ノグチ。
飛騨産業の佐々木さん ↑ と 柏木工の岩倉さん ↓
日進木工の矢島さん ↓ (奥は柏木工)
大学の卒業制作、続く展示会に出品する作品の製作をお願いしたことで
実はすごくお世話になった 中村さん ↓ お元気だろうか?
飛騨産業を退職後、曲げ木工房を構え 主に椅子の製作をされていた。
塗装と椅子の張りは違えど コレ ↑ 我が家のダイニングチェアなのです
奥の赤い座面の「チューリップ」は 製作当時 嬉しそうに見せて下さったのを覚えている。
なんて 懐かしいんだろう!
しかし 驚いたのはコレ ↓ 原研也さん。
これはカッコイイ。これには完敗。
グラフィックデザイナーにここまでされちゃったら
プロダクトデザイナーは明日から何をしたら良いのか(笑)?
グラフィックデザイナー、と、言えば とあるスツールのデザインに
「松永真」とあったけれど あの松永さんだよね?
同姓同名かな?いや 松永さんだよね?
松永真さん、プロダクトもやるの?
やるなぁ。
やるなぁ 松永さん。
やるなぁ 飛騨高山。
....そんなことを考えながら また日常へと戻っていく次第です。
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