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龍馬をゆく

2014-06-07 | 京都旅行

ブログ見て下さっているみなさま、覚えていらっしゃいますでしょうか?

この読書(が「苦手」の領域を越えてもはや)嫌いな私が

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み始めて もう一年半ほどになります。

途中 宮本武蔵を描いた「バガボンド」にハマってたり(むーさーしーすきー

新選組の「燃えよ剣」を読んだり、会津 松平容保の「王城の護衛者」を読んだり 

いろいろしてましたが 先日の京都旅行を目前にして いよいよ8巻、最終巻に入ってました!!

 

 

 

さて 今回の京都旅行の関連記事は これで最後。

老舗の喫茶店でホットケーキ(あくまでも カフェでパンケーキではない )なモーニングをしつつ

ちょっとだけゆったりした気分で「竜馬がゆく」を読んでみました。トップの写真参照。

本の中の舞台も京都。竜馬と中岡が 大政奉還の為に奔走を始めたところ。

その後に訪れる「酢屋」(海援隊屯所ス)↓↓ なんて なんだかドキドキでした。

朝 早かったので開いてませんが、当時は材木屋、現在は木工工芸品を扱うお店だそうですね。

昭和に入ってから ここ酢屋さんの梁の上から 海援隊日誌が見つかり

そこには龍馬暗殺から中岡の死、実葬、犯人の情報集めをする様子などが書かれていたそうです。

維新後、ここを訪れた睦奥宗光は 感慨にむせんだ、とか....  むつー。

       

龍馬の仇討ちとされる 天満屋事件の史蹟にも行ってきました。

龍馬と中岡の暗殺犯を いろは丸事件で多額の賠償金を払わされた紀州藩だと疑い

交渉の中心人物を狙う海援隊 陸援隊の15人。

一方で紀州藩側は 会津藩を通して新選組を護衛に雇う。

直接対決ではないと思いますが 睦奥宗光 VS 斉藤一 なんであります!

すごー。ホントすごー。

でも、思うんですヨ。陸奥や隊士の気持ちはよく分かりますが

龍馬は決して 仇討ちを望むタイプじゃないですよね....(完全な司馬史観デスが)。

 

 

 

武市半平太が京都にいた際に使っていた料亭「丹虎」の跡地 ↓↓

       

ココは池田屋事件の際に 二手に分かれた土方隊が御用改めに入った方なんだとか....!!

実際の位置関係も、池田屋の角を曲がってすぐです。

武市半平太がいた頃は ここに来なかった尊王攘夷派の志士はいない と言われたほど

そっち系の来客が多かったそうだから そりゃ新選組も真っ先に目を付けるよね。

でも今は料亭も閉鎖されて かなりさみしー感じになってました 

残して欲しいなぁ。誰か 料亭を開いて下さい。

そこいくと コチラさすがデス ↓↓ 

酢屋さんが開いてないほど朝早かったのに もう打ち水されてて(←合ってるかなこの表現

チリひとつ落ちてない感じ。じゃじゃーーん、幾松っ ↓↓    

       

桂を逃がすために あの近藤にタンカをきった幾松が 最高にカッコいいです 

参考までに、ランチが14000円でした  ってゼロ1個違う....一体どんなヒトが食べるのか?笑。

この辺りは 高瀬川がめっちゃキレイ  癒されます!

しつこい様ですが 朝早くてカフェとか開いてない....。

可愛いカフェ 幾つかありました!昼間は混むんだろうけど 行ってみたいです。

 

 

そして ついに来ました!!近江屋跡地 ↓↓

       

       

先読み禁止の「竜馬がゆく」8巻を ぎゅっと握りしめる私。

で 最後に ↓↓ 締めくくりにふさわしい場所へ。

土佐に行っても会津に行っても お墓っつう場所の観光だけは なんとなく避けてきたのだけど

ここだけは行ってきました。

お墓って ヤバくない?あんまり良くないって言うよね。って話してる観光客とすれ違いながら、

いっそのこと 龍馬なら乗り移ってしまえ、そして社会を変えてしまえ、とか思う私。

ふたりのお墓が見守る京都の町並み ↓

 

 

 

 

 

....っと、まぁ、龍馬龍馬 言うほど 龍馬が飛び抜けて好きなワケでもなく

史蹟が多いので自然とこういうカタチになるだけなのですが

土佐も薩摩も長州も会津も、みんな好きです  

そんな平和な世の中になって、ホント良かったヨね 

 

 

 


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