
ずいぶん前になりますが ブログの読者登録して下さっている 4459さんの
「KOTO KYOTO」という めっちゃツボな記事を拝見してから
私も幕末の歴史を中心に京の都を歩きたくなり
(3日間くらいで)あたためにあたためた(?)史蹟巡り 敢行してきました!
帰宅して、よしブログ書くぞー!っとパソコン開きましたら
4459さんのブログに「日野に行きます」とありました。
....うそぉ!!
いつか私も日野に....と願いつつ 今日はおとなしく京都の報告書を書きます
さて、 まず降り立ったのは伏見。
伏見という土地が いままでの京都旅行では完全ノーマークでしたが、今回は外せません!
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ) ↓↓ は鳥羽伏見の戦いで 薩摩藩が拠点にしたトコロ。
この神社から出た水が 非常に良い香りがしたことから 御香宮という名前が付いたらしいです。
現在でも名水百選のうちのひとつで、軒下も水のモチーフ ↓↓↓
対する 旧幕府軍 新選組の本営は 伏見奉公所 ↓↓↓ 双方 歩いて数分の距離に本営を置いてます。
この辺りにはいまもまだ 当時の激戦の様子が残る民家が 幾つもあるらしい
料亭「魚三楼」の格子窓に残る弾痕 ↓ は のちの新政府軍のもの。
新選組はこれに対して 白刃で立ち向かったそう。
土佐の山内容堂公は、薩摩 長州と会津 桑名の私闘であるとし 藩兵に戦争への参加を禁じていましたが
板垣退助が「何かあったら薩摩と行動を共にする様に」と密命を出していたとか!
板垣退助と後藤象二郎も 個人的に興味深い土佐のやんちゃキャラです。
んで、ついに来ました 寺田屋ーっ ↓↓↓
鳥羽伏見の戦いから 少々さかのぼりますが、坂本龍馬が伏見奉公所の捕り方に踏み込まれた宿です。
一度は焼失しているとか 復元とか そういうの深く考えずに 楽しんできました。
撮影OKでした。
驚きですが、素泊まり6500円です。暗殺される夢を見そうでコワい。笑。
実際に寝泊まりするであろう二階の部屋は こんな感じ ↓
右の階段から一階に向かって 三吉慎蔵が手槍で、龍馬が高杉から贈られた銃で防戦 ↑↑↑
龍馬愛用の「梅の間」 ↓↓↓ ココだけは泊まれないらしい。笑。
更に一階奥には おりょうのお風呂 ↓
寺田屋を囲む不穏な空気に いち早く気付いた入浴中のおりょうが
この裏階段を駆け上がって龍馬達に危機を知らせた ↓↓↓
寺田屋で負傷した龍馬は材木小屋に身を隠し 三吉は薩摩藩邸に助けを求める。
薩摩はこれに応じ 川船を出して龍馬を迎えに行き、三吉 おりょうの三人を保護。
奉公所の引き渡し要求を拒否して 三人は鹿児島に脱出することになる。
寺田屋から避難した材木小屋、薩摩藩邸までの距離を
実際に歩けたのは なかなか良い体験だったと思います。
寺田屋のまわりはとてものんびりしていて 散策には良いと思います♪
お弁当食べてる人達もいましたー
私は龍馬通りのカフェで 京野菜のロコモコなど食べながら
伏見には4時間ほどの滞在でした