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サワノのお気に入りだけで構成するブログ

伏見 寺田屋

2014-05-12 | 京都旅行

ずいぶん前になりますが ブログの読者登録して下さっている 4459さんの

「KOTO KYOTO」という めっちゃツボな記事を拝見してから

私も幕末の歴史を中心に京の都を歩きたくなり

(3日間くらいで)あたためにあたためた(?)史蹟巡り  敢行してきました!

帰宅して、よしブログ書くぞー!っとパソコン開きましたら

4459さんのブログに「日野に行きます」とありました。

....うそぉ!!

いつか私も日野に....と願いつつ 今日はおとなしく京都の報告書を書きます 

 

さて、 まず降り立ったのは伏見。

伏見という土地が いままでの京都旅行では完全ノーマークでしたが、今回は外せません!

御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ) ↓↓ は鳥羽伏見の戦いで 薩摩藩が拠点にしたトコロ。

この神社から出た水が 非常に良い香りがしたことから 御香宮という名前が付いたらしいです。

現在でも名水百選のうちのひとつで、軒下も水のモチーフ ↓↓↓

対する 旧幕府軍 新選組の本営は 伏見奉公所 ↓↓↓ 双方 歩いて数分の距離に本営を置いてます。

この辺りにはいまもまだ 当時の激戦の様子が残る民家が 幾つもあるらしい 

料亭「魚三楼」の格子窓に残る弾痕 ↓ は のちの新政府軍のもの。

新選組はこれに対して 白刃で立ち向かったそう。

土佐の山内容堂公は、薩摩 長州と会津 桑名の私闘であるとし 藩兵に戦争への参加を禁じていましたが

板垣退助が「何かあったら薩摩と行動を共にする様に」と密命を出していたとか!

板垣退助と後藤象二郎も 個人的に興味深い土佐のやんちゃキャラです。

        

 

 

 

んで、ついに来ました 寺田屋ーっ  ↓↓↓

鳥羽伏見の戦いから 少々さかのぼりますが、坂本龍馬が伏見奉公所の捕り方に踏み込まれた宿です。

一度は焼失しているとか 復元とか そういうの深く考えずに 楽しんできました。

撮影OKでした。

驚きですが、素泊まり6500円です。暗殺される夢を見そうでコワい。笑。

実際に寝泊まりするであろう二階の部屋は こんな感じ ↓

右の階段から一階に向かって 三吉慎蔵が手槍で、龍馬が高杉から贈られた銃で防戦 ↑↑↑

龍馬愛用の「梅の間」 ↓↓↓ ココだけは泊まれないらしい。笑。

更に一階奥には おりょうのお風呂 ↓ 

        

寺田屋を囲む不穏な空気に いち早く気付いた入浴中のおりょうが

この裏階段を駆け上がって龍馬達に危機を知らせた ↓↓↓

        

寺田屋で負傷した龍馬は材木小屋に身を隠し 三吉は薩摩藩邸に助けを求める。

        

       

薩摩はこれに応じ 川船を出して龍馬を迎えに行き、三吉 おりょうの三人を保護。

奉公所の引き渡し要求を拒否して 三人は鹿児島に脱出することになる。

        

寺田屋から避難した材木小屋、薩摩藩邸までの距離を

実際に歩けたのは なかなか良い体験だったと思います。

 

 

寺田屋のまわりはとてものんびりしていて 散策には良いと思います♪

お弁当食べてる人達もいましたー 

私は龍馬通りのカフェで 京野菜のロコモコなど食べながら

伏見には4時間ほどの滞在でした  

 

 

 


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