チャリポタ DAITAI WEEKLY

健康の為はじめた自転車が高じて、街や郊外を探訪するようになると、普段は見えていなかった景色が見えてきた。

チャリポタ しずおか史跡散策(その11) 高林寺 

2006年12月07日 | 史跡散策
冬晴れの穏やかな休日だ。今日は手越(安倍川西)の高林寺→徳願寺→羽鳥の洞慶院→見性寺などを拝観する予定。

駿府公園から中町、本通りを西へ向かう。安倍川橋を渡り、少将井神社を過ぎ、直ぐの左手が高林寺。手越の街道は狭いので注意して走る。


一般に「ごりょうさん」と呼ばれている、「御霊山高林寺」の山門


昔は「手越の灸」で知られていたお寺である。寺史によると1653年(承応二年)頃、人々の治療のため始められたものという。今はお灸も若い人達にはあまり関心がなくなっている。
臨済宗妙心寺派、高林寺は寺紋が「武田菱」(たけだびし=四つ割菱とも)で、武田信玄の家臣、一条信龍の三代目松井正近による開基という。



1800年当時の手越街道の絵巻物の一部。街道筋に「高林寺」(御霊社)、山手に「徳願寺」、藁科川に「木枯らしの森」、安倍川中洲に「船山」などが描かれている。右手の街道下には「弥勒町」上には「安倍川村」と書かれている。



駿河百地蔵 第五番霊場 子育地蔵尊がある。(駿河百地蔵は知りませんでした)

境内には本堂の横に御霊尊のお堂、その右手には「白馬堂」がある。これには伝説があり、白馬(木像)は浅間神社の神馬であった。ある時浅間神社が火事になり、その時神馬の一頭がこの寺まで逃げてきたという話が人々の間に伝わっている。
お話をご住職に伺うと、ご住職は笑って「何時ここ(当寺)に払い下げられたかは、さだかではありません」とおっしゃられた。
いつか浅間神社を拝観するときに聞いてみたいと思っている。



またここには、明治二十二年に開通した東海道本線の「大崩トンネル」の工事で亡くなった人達(12名)の供養塔がある。
いつの世でも大工事となるトンネルやダム等の建設現場では、多数の殉職者がでる。その人々の犠牲もあり出来上がった公共施設の恩恵に与る私たちは、時にはその事実に心を傾ける事も大切であるとしみじみ感じた。

続く・・・・




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