チャリポタ DAITAI WEEKLY

健康の為はじめた自転車が高じて、街や郊外を探訪するようになると、普段は見えていなかった景色が見えてきた。

甲州・石和を行く(初めての輪行)その2

2009年06月16日 | サイクリング
昨夜から降り続いた小雨が、今朝も降っています。
「今日はだめかな?」雨のサイクリングは苦手です。雨に濡れて走り難いこともありますが、細いタイヤはスリップが怖いんです。

雨なら近くをゆっくり観光する予定でいましたが、空が明るくなって雨も止んできました。
「これなら出発の頃には道も乾いてくるかもしれないぞ!」メンバーは走る気満々です。とりあえずバイキングの朝食をとる為に食堂へ行きます。和・洋・中なんでも有りの朝食バイキング、朝から豪華です。
食事が終わって満腹です。(こんなんで大丈夫かな?・・・腹が一杯では走れません 笑 )

出発予定の頃には道も乾いてきました。「今日はどこへ行きますか?サクランボ狩り?それともワイナリー見学?」
昨夜の夕食を考えれば、言うまでもありません。即ワイナリーツアーです。

まずは、ホテルの目の前にあるワイナリー、「モンデ酒造」の見学です。今はワイン造りのオフシーズンなので、製造ラインは稼動していません。無人のラインを見た後は売店の入り口に入る順路になっています。

なにか、遠回りしながら土産物屋に入るって感じ。 (笑)

ワインボトルを担いでサクリングをするわけにもいかないので、早々に次なるワイナリーへ。


これから甲州市勝沼町にある「ぶどうの丘」ワイナリーへ。昼はバーベキューの予定です。

「モンテ酒造」を出て、国道411号線を笛吹川沿いに上ります。笛吹橋を渡り笛吹川支流の日川沿いを勝沼方面へ走ります。そのまま県道34号線に入り、県道214号線と交わる、上町の交差点を左折する。暫くすると前方に小高い丘が見えてきます。その頂上に「ぶどうの丘」があります。







ちょっとしたヒルクライムです。一汗掻いてぶどうの丘に到着です。
素晴らしい景色です。眼下には緑の葡萄畑が広がり、雨上がりの盆地の向こうに石和、更に甲府方面が見渡せます。まさに360度のパノラマです。






ランチタイムには少し間がありますので、レストラン、売店などがある建物の、地下にあるワインカーブを見ます。ここには180銘柄、2万本のワインが貯蔵されていて、タートヴァン(試飲容器)を買うとすべてのワインが試飲できます。

アルコールに弱い私はタートヴァンは買わなかったのですが、メンバーはしっかりと購入し、試飲を楽しんでいました。







さあ、お昼になったので、バーベキューガーデンに行きます。葡萄畑が広がる戸外のガーデンテラスでの食事は何ともいえません。まさに至福のひと時、これぞサイクリングツアーの醍醐味です。あれ、ビールなんか飲んじゃって・・・これってよっぱらい運転になるんじゃないかな?(いえ、酔う前にみんな発散しちゃいます)


昼食も済んで、一休みしてスタミナもバッチリです。次なるワイナリーへ出発します。丘を下って少し行った所にあるワイナリー、「メルシャン」のワイナリーです。昔からよく知られたワイナリーなので、規模も大きいんです。

ここもオフシーズンのため、ワインの仕込みは見られませんが、専属の女性ガイドが工場を案内してくれます。


「皆さん、サイクリングで来られた方たちですね」

「はいそうです」

「それでは試飲はできませんのでよろしくお願いします」

「・・・・」

まあまあ、そこまで落ち込まなくても・・。さすが大企業です。規則はちゃんと守られている、と関心しきり。

美女ガイドさんの案内に、くだんのシニアライダー達から的外れの質問が次々と飛び出します。・・が、さすがプロのガイドさん、にっこり笑いながら、やさしく答えてくれました。シニアライダー達はその笑顔に・・・「納得!」(笑)


ワイナリーツアーに満足して、帰路につきます。帰りは石和温泉駅から静岡に向かいます。

帰りの身延線に揺られながら、

「次は何処へ行きますか」

「また、何処か遠くの方へ行きたいですね」

「富士山静岡空港も出来た事だし、沖縄か北海道を走りたいですね」

「いいですね、いいですね」

夢は段々大きくなっていきます。


=本日の行程=

ホテル慶山 → モンデ酒造経由 → 勝沼ぶどうの丘 (15Km)

勝沼ぶどうの丘 → メルシャン勝沼ワイナリー (5Km)

メルシャン勝沼ワイナリー → 石和温泉駅 (10Km) 


走行距離合計  (約30Km)








甲州・石和を行く(初めての輪行)その1

2009年06月13日 | サイクリング
「JR東海ツアーズの特別企画で、山梨県の石和温泉が1泊¥11,000円!」しかも往復は特急「ワイドビューふじかわ号」の指定席、石和駅近くの露天風呂つき温泉ホテルに宿泊、豪華な夕食にはワインのボトルがサービスで付くプランなんです!

「これはもう、行くっきゃない!」っと、シニア5人組は、山梨県の石和温泉へとサイクリングツアーに出かけることになりました。

今回は電車を利用するので「輪行」(自転車を分解して電車に乗せて旅行する事)します。

仲間は輪行のベテランですが、私は今回が初めてです。サイクルトレイン(自転車をそのまま乗せられる電車)は何回か利用したことがあります。JRもヨーロッパ並みに自転車専用車両を付ければいいのですが、今は私鉄の一部の路線で運行されています。





「おゝ・・!案外簡単にバッグに詰められるんだ、これなら行動範囲もずっと広がるぞ!」

早速「ふじかわ号」に乗り込みます。平日のためか、車両は半分以上が空席です。それでJRが観光地のホテルとタイアップしてこのような企画をたくさん用意してあるんですね。利用する我々にはラッキーです。






身延線に乗るのは久しぶり、山間のくねくねと曲がった線路(単線)を富士川に沿ってゆっくりと走ります。






甲府駅前にある武田信玄公の銅像の下で自転車を組み立てて出発です。
今日は天気があまり芳しくないので、早めに今日の目的地、「恵林寺」(えりんじ)と、出来れば「西沢渓谷」入り口の広瀬ダムまでの予定で走ります。

まずは「武田神社」に寄って、今回のツーリングの無事を祈願して参拝して行くこととなりました。






甲府駅から北へ、3kmほどだらだら坂を上ったところに武田神社があります。ここは元の武田氏の城「躑躅ヶ崎館」のあった場所です。堀を廻らした館の規模は当時の武田の力を示す立派なものです。神社にツーリングの無事を祈願していよいよ出発です。

武田神社から県道6号線、411号線を通って約9Km、石和のホテル「華やぎの章、慶山」に向かいます。石和温泉はJR中央線で2駅の距離です。ホテルに荷物を預けて今日の目的地に向かいます。

国道140号線を笛吹川に沿って、西沢渓谷方面へ走ります。この道は国道20号線と違って交通量も少なく、快適に走行できます。
万力公園を過ぎればもう直ぐです。宿から約12Km、乾徳山「恵林寺」に到着しました。



甲斐の古刹「恵林寺」は夢窓国師によって開かれたお寺で、武田信玄の菩提寺でもあります。夢窓国師(疎石)は京都の天龍寺や、西芳寺(苔寺)など多くの寺を開山、中興された名僧で、同時に数々の寺の庭も造っています。中でもここ恵林寺や天龍寺、西芳寺、鎌倉の瑞泉寺の庭などが知られています。







なんと言ってもこの寺が有名になったのが、快川(かいせん)和尚の「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」(あんぜん かならずしも さんすいをもちいず しんとうめっきゃくすれば ひもおのずからすずし)の遺偈(いげ=禅僧が臨終に際してその心境を遺したもの)ですね。

天正十年(1582年)武田を滅ぼした織田信長の軍勢(嫡男信忠の軍勢)はここ恵林寺に押し寄せ、逃れていた武田の武将を引き渡すよう迫った。快川和尚の拒否に怒った信長は、和尚をはじめ、大勢の僧侶を三門に閉じ込めて火を放った。快川和尚が壮絶な火定(かじょう=僧が自ら火の中に身を投じて死ぬこと)を遂げた時の遺偈と言われています。

これから約2ヵ月の後に、本能寺の変で信長は自刃することとなる。明智光秀と快川和尚とは、美濃の同族であったともいわれ、この事件が本能寺の変の引き金ともなったとかならなかったとか・・・いやはや、戦国時代というものは「一寸先はなんとやら」ですね。日本各地で語られている出来事を調べてみると、何らかの形で繋がっていることが多いんです。だから”歴史”って面白いですね。


境内には、四足門、三門、開山堂等があり、本堂に入り、「うぐいす廊下」(こんなに綺麗な声?(音)で鳴る廊下は初めてでした。二条城の鴬張りの廊下よりいい音色です)を抜けると、大河ドラマ「風林火山」で有名になった武田不動尊(不動明王)が安置されています。







夢窓国師の庭園も四季折々に美しい風情を見せてくれるそうです。




庭園から差し込む光のコントラストで、幻想的な趣の大広間


なかなか見応えのあるお寺でした。一度は拝観すべきお寺です。お勧めです。

恵林寺を出て、さらに上流に向かって走ります。巨峰で知られる牧丘地区に入ると坂も急になってきます。でも安倍奥に比べればまだ楽勝です。

3~4Kmほども走ったところでしょうか、室伏トンネルの中でメンバーの1台の自転車が小石を踏んで「バーン!」みごとなパンクです。チューブは交換したんですが、バースト寸前のタイヤは予備の持ち合わせがありません。
やむなく今日はここで中止!。ゆっくりと宿に戻ります。

今日は行けませんでしたが、ここから12~13Km程走ると広瀬ダムに着きます。水が綺麗なのでびっくりします。ダムの突き当たりは「西沢渓谷」の入り口です。美しい滝が沢山ある渓谷は紅葉の名所として秋には大勢の観光客が押し寄せますが、ここはそれだけではないんです。春の新緑、夏は涼を求めて、秋は見事な紅葉、そして冬は凍り付いた滝に、ブルーアイス(水が澄んでいるので青くみえる)が輝きます。1年中楽しめる渓谷なんです。

あ~今日は本当に残念だったなぁ、でも無事に宿についてよかった!。楽しみは別の機会に取って置こう。


=本日の行程=

甲府駅 → 武田神社 (3Km)

武田神社 → 石和「華やぎの章 慶山」 (9Km)

ホテル → 恵林寺 (12Km)

恵林寺 → 牧丘(室伏トンネル)ここでパンク (3.5Km) 

(あと12Kmで残念)

 走行距離合計 = 約43Km

                =続く=

























大鐘家

2009年06月10日 | Weblog
所用の帰りがけに、以前から気になっていたところに寄って来ました。牧之原市片浜にある”花庄屋”「大鐘家」です。



 正面の長屋門



国定重要文化財となっている屋敷です。大鐘家は元柴田勝家の家臣で、福井県丸岡城、城代家老だった大鐘藤八郎貞綱がこの地相良に移り住み、十八世紀ごろより大庄屋となる。と、屋敷の案内にありました。

当時の面影を伝える、重厚な長屋門と母屋などなかなか見応えがあります。




 母屋から庭を挟んで長屋門


庄屋と大庄屋?、庄屋と名主?むかし話などによく出てきますが、どう違うんでしょう?ちょっと調べてみました。

江戸時代の、地方三役(じかたさんやく=村役人の総称)のひとつで、西日本では主に「庄屋」、東日本では「名主」と言われることが多いそうです。村で年貢の徴収などを命じられていた代表者ですね。町にも「町名主」「町庄屋」などいろいろな呼称があり、「肝煎」(きもいり=東北や北陸地方の呼称)、とか静岡(駿府)では「丁頭」(ちょうがしら)などと呼ばれていたようです。(清水に残されている古文書で見たことがあります)。三役ですから、他に組頭、百姓代の三つですね。

「大庄屋」は数十の村をまとめる役目で、一般の庄屋さんの上のランクの人のようです。大庄屋は武家の家系の者が任ぜられる事が多く、大鐘家も元、旗本三千石の格式を持っていたと言う事で、大庄屋となったのでしょう。




 座敷へっつい(主人用)。普通のへっついは向かい側にある。


母屋の中は、昔懐かしい”竈”(へっつい=昔のかまど)がありましたが、珍しいのは、主人専用の「座敷へっつい」なるものもあるんです。昔は商家などでも、家人と使用人とでは、台所も食べる部屋も違うという場合が多く、家人は畳の敷かれた部屋で食事をし、使用人は一段低い板の間の部屋で食べるということが普通で、農家である大鐘家もきっとそうではなかったのかと、想像して拝見していました。




 屋敷前の旧田沼街道。


屋敷の前は昔の田沼街道が通っていたそうで、今は農道としてその名残が見られる程度でした。




 今は農道となっている。



帰り際に売店でお茶をご馳走になると、なんとそこには”大鐘餅”(おおがねもち)なるものがありましたが、食事をしたばかりなので、食べずに帰って来ちゃいました。

”おおがねもち”をパスする様では、やっぱり ”リッチ” にはなれそうもないですね。 (笑)