チャリポタ DAITAI WEEKLY

健康の為はじめた自転車が高じて、街や郊外を探訪するようになると、普段は見えていなかった景色が見えてきた。

足助その⑤(足助寒茶)

2008年10月30日 | Weblog
いよいよ幻の?「足助寒茶」に会える!(ドキドキッ、と言うほどでもありませんが 笑 )
「いただけるんですか」 期待がふくらみます。
「そのヤカンに入っているから、自由に飲んで」 ・・・えぇぇ???

小学校の給食時か工事現場の飯場にでもありそうな大きなヤカンが置かれていました。

ここ桧茶屋に食事に来るお客さんには、自由に足助寒茶を飲んでいただいているんだそうです。

そうなんですよね、足助寒茶とは言っても”只の番茶”、その昔は日本全国どこでも、農家でその地方独特の番茶が作られていました。日本一のお茶の産地、静岡でも一般の家庭では農家も、商家も、サラリーマン家庭でも番茶が普通でした。

それが一般家庭で煎茶が普通に飲まれるようになったのは、戦後も高度成長期以後の事なんですね。お金持ちは別として、戦前までは煎茶(高級茶)は輸出産業の花形として、また戦後は戦争の賠償品として使われていて、一般庶民はあくまで番茶が主でした。

お茶一つとっても”日本は豊かになったな”と、ノスタルジックな気分に浸るのは私だけなんでしょうか・・・? 笑

煎茶が一般的になった今は、商品としての番茶はあまり作られなくなりました。それでも一部の地方では伝統的な番茶が幾つか作られていて日常のお茶として飲まれています。足助寒茶もその一つです。

桧茶屋のご主人も、毎年冬になるとお茶の葉を採取して寒茶を作り、観光客に提供しながら、その伝統を守っているそうです。大寒の頃には、毎年茶摘み体験と寒茶作り体験が行なわれているそうです。

「あのう、足助寒茶を少し分けて頂けないでしょうか」 ずうずうしくもお願いをする。
「どちらからみえられたんですか?」

「静岡からです。実は私、○○なんですが・・・」
「そうなんですか、時々みえられるんですよ、全国からそうゆう方が」 ぬゝ?ライバルが、いや違った、仲間が・・・

「少しでいいんですが」 だんだん低姿勢になります。
「じゃあこちらに来てください、お分けしますから」 と言う事で2階に上がります。なんと2階には機織り機がずらっと数十台並んでいます。
「ここでは予約で機織りの実習教室が開かれるんです。小学校の課外授業なんかでよくみえるんですよ」 ( ~してみえる。とは尾張地方ならではの表現です) 一番奥の納戸(倉庫)に、ビニール袋に入った沢山の足助寒茶がありました。お客さんに出す、1年分のお茶の葉です。




これが足助寒茶です。(庭の枯葉をかき集めた物ではありません! 笑 )





足助寒茶のくき(木茎)です。ちょっと薪のように見えますが、実物はマッチ棒くらいの太さです。
一緒に煮ると甘みが出ます。



「これが足助寒茶ですかぁ」 普段見慣れた緑色で、細く撚れた煎茶の葉とは似てもつかないものです。
「これも持っていきますか、一緒に煮ると甘みが出ますよ」私にはこれがお茶の樹の枝にしか見えません。
「いただきます」 桧茶屋のご主人が、せっかく来たのだからと、足助寒茶の他に、ご自分が地方からいただいたという阿波の宍喰寒茶(徳島県)、「何処のお茶か忘れちゃったんですが・・」と外観が黒茶?に似ているお茶など沢山いただいて帰りました。

早速戻って足助寒茶を淹れます(淹れると言うより煮出します)。煮出すのに15分以上掛かります。せっかちな現代人にはとても合いそうにありません。今はやはり煎茶ですね。ちなみに紅茶もリーフグレード(大きい葉っぱ)は殆ど売っていません。大半は浸出時間の短いブロークングレード(小さくカットした葉っぱのもの)です。(イギリス人もせっかちになったんでしょうね)




これは阿波(徳島県)の宍喰寒茶です。足助寒茶に似ていますが、こちらの方が茶葉は小さめで
葉の色も、緑色が少し残っています。浸出時間は2~3分でかなり短いです。





産地の分からなかったお茶です。色沢(葉の色)が黒いので、ご主人は後発酵茶ではないか
と言われましたが、発酵の臭いが無く、水色、滋味ともに他の寒茶とあまり変わりませんでした。
酸味も無いので、不発酵系の番茶ではないかと思います。こちらも浸出時間は4~5分位です。




色は薄茶色(ほうじ茶や番茶特有の色)で、香りは枯葉のちょっと埃っぽい感じの香り(笑)?、味は淡白でやや甘みがあります。

決して上等なお茶ではありません。今はあまり飲む機会も無くなってきた番茶です。でも飲んでみて、どこか懐かしさをおぼえ、ホッとする感じがします。

香りの淡い煎じ薬を飲んでいるようです。 ・・・ なにか体に良さそう ・・・  笑

現代人が忘れかけているものを、たった一杯のお茶が思い出させてくれた旅でした。



11月には、友人達と「日本茶ティーパーティ」をやる予定です。いろいろなお茶の飲み比べです。


その時、この3種類の番茶も淹れてみようかな、静岡ではめったにお目に掛かれないサプライズとして。




  










足助その④(ちょっとブレイク) ??

2008年10月29日 | モブログ
三州足助屋敷からクイズです。


さて、これは一体何でしょう?







答は = あんぽんたん ・・・????


足助屋敷で見つけました。「あんぽんたん」は、かいこ(養蚕)の飼育小屋を暖める為の暖房器具だそうです。
昔の多くの農家では絹をとるため、蚕を飼っていたんですね(白川郷の合掌造りの家の屋根裏が代表的ですね)。

どうして「あんぽんたん」と言う名前が付いたのかは、私には分かりません。誰かご存知ですか?


    

足助その③(三州足助屋敷)

2008年10月28日 | モブログ
足助寒茶を求めて町のお茶屋さんを探しに出かけました。昔の面影が残る静かな町並みです。
1軒のお茶屋さん発見です。「すみません、足助寒茶ありますか?」
「この前も、訪ねてみえた方がいらっしゃったんですがねぇ。今はもう売っていないんですよぅ。4~5前までは近くのおばあさんが店によく持って来ていたんですがねぇ。」 気の毒そうに言います。
「何処か、手に入るような所、ご存じないでしょうか?」 あつかましくも、商売敵?の場所を尋ねます。
「足助屋敷に行けば分かると思いますが」・・・さっき行ってきたばかりなんですが、売店にも無かったのに。と思いつつ屋敷に戻ります。(こうなれば絶対見つけてやる!)笑

戻りがけに町役場がありました。ここなら分かるかな、っと尋ねて見ると役場の職員さんもやはり「足助屋敷に行かれたら分かりますよ」
・・・う~ん、とにかくもう一度行って見よう。

三州足助屋敷は、昔この辺りで自給自足の生活をしていた当時の農村の様子を再現したテーマパークで、農家の母屋、牛小屋、土蔵、水車小屋等、農家の日常の生活様式を再現、更にわら細工、機織り、桶屋、傘屋、紙漉き、炭焼き、篭屋、鍛冶屋等々、生活に必要な沢山の仕事やお店が再現されている所です。

さっき見学した時にはお茶の気配など(笑)全然無かったので、受付で聞いてみました。
「あぁ、それなら桧茶屋で聞いてみてください」

屋敷の前に、茅葺きの大きな茶屋(食堂)があります。ちょうどお店の方(ご主人)が出てきたので尋ねてみました。
「足助寒茶ねぇ、うちでは売ってはいませんが、ありますよ。飲んでいきますか?」

・・・ ”とうとう見つけたぞ!”

                        続く。












足助その②(足助城)

2008年10月24日 | モブログ
足助の町を見下ろす(標高301m)真弓山の頂に足助城が復元されています。城と聞いて旅先でも黙っていられません。(笑) 早速行ってみました。

観光ボランティアの方が案内してくれました。町制100周年を記念して発掘・復元された城は、鎌倉時代に足助氏によって築かれた城ではなく、15世紀以降に鈴木氏によって築かれた城の復元だそうです。空堀、曲輪、物見台等がある典型的な山城です。(砦と言った方がいいかも)

戦国の昔から、岡崎・名古屋への街道、美濃への街道、信州への街道が交わる交通の要所であった足助に城を築く事は、当地の領主にとっては重要な事。戦国時代にこの地に勢力を持ち、5代続いたという鈴木氏が築城したもの。(遺跡は城の形状は分かったものの、建物は想像で復元したそうです)

鈴木氏(一族)は、松平(家康の祖父)= 今川 = 松平(家康)と、当時各地の豪族がそうであった様に、時の権力者(勝者)との間で従属離反を繰り返す。
その後、以前のブログでもちょっと触れた、(元今川の家臣で後、武田の家臣となり最後は壮絶な戦死を遂げた岡部元信(真幸)が守っていた城)遠江の「高天神城の戦い」で武勲をあげる。
家康の関東入国に従い足助を離れ、足助城は廃城となる。まもなく家康から離れた鈴木氏のその後はあまり語られていない。

足助城からの紅葉も、素晴らしいものだそうです。戦国のロマンを垣間感じることが出来た城でした。




足助

2008年10月23日 | モブログ
紅葉にはちょっと早い10月初旬の三州(豊田市)足助に行きました。
目的はこの地方独特のお茶、「足助寒茶」を求めて・・・。

ここ足助の香嵐渓は紅葉の名所として知られています。
紅葉は11月初旬が見ごろのようです。普段は静かなこの足助の町も、紅葉のシーズンは車で大渋滞するそうです。

箱根彫刻の森

2008年10月19日 | Weblog
何年振りでしょうか、箱根彫刻の森美術館に行ってきました。開館当初、社員旅行で行って以来です。(昔の会社は社員の慰安旅行が盛んだったんですよ)






今、箱根彫刻の森美術館では「宝石彫刻の2000年=アレキサンダー大王からナポレオン3世まで=」と題してカメオ展が開かれています。日本では滅多に見られないコレクションもあると聞いて出かけたんです。紅葉にはちょっと早い箱根路はどんなんだろうという期待も込めて・・。

園内は当時より緑も大きく生い茂り、綺麗な庭園となり(当たり前か)、学生や外国からの観光客、シニアの二人連れなど、のんびりと庭内を散策しています。早速館内に入ります。

外国の有名美術館や貴族(個人)所蔵の貴重な数々のコレクションが、黒を基調とした薄暗い館内に設置されたアクリルボックスやウィンドウケースの中で、小さなスポットライトを浴びて美しく輝いています。
・・・というと何か幻想的で素敵な展示のようですが、これが”もんだい”でした!

来館者は大半がシニアのカップルか、シニアの女性のグループ、あとは外国の観光客や若いカップルがちらほらです。・・・あれあれ?最初は熱心に鑑賞しているのですが、5分もたたない内に足が速くなります。後半はざっと見回して、出て行ってしまいます。何だろうこの人達は?

自分も見始めて分かりました! シックで重厚な雰囲気の展示会場。小さな照明に輝くカメオを、「いったいどんな由来があるんだろう?誰が身に着けていたんだろう・・?」と興味津々で見始めます。ウインドウの中に説明書きのプレートがあります。黒いプレートに小さな文字(10pt.位?笑)で細々と書かれています。

「暗くて小さくて、よく見えない!」、それでも頑張って見ていたんですが、半分も見ないうちに頭が痛くなってきました。見ていた人達の気持ちがやっと分かりました。興味が無かったわけじゃ無いんですね。

さすがは ”○ジ○ンケイグループ”(笑)。企画した人達は、カメオをいかに美しく見せるかに神経を注ぎ過ぎて、「どんな人達が見に来てくれるのか、どんな人達に見せたいのか」というコンセプトを忘れちゃったんでしょうね。(せっかくの貴重なコレクションの展示というのに)






早々に会場を後にして、ピカソ館に向かいます。ここも久しぶりです。
プロムナードのあちこちにある彫刻にも見覚えがあります。作品も増えているような・・いないような・・?

ピカソ館に着きました。中に入ってこれまた”カンゲキ”・・・「変わっていない!」展示作品も展示位置も・・・・





変わらないことは良いことなのか、はたまたこれ以上貯蔵作品が無いのか(失礼!)よく分かりません。

でも、庭は緑がいっぱいで、気持ち良かったですよ。(フォローになっていない?)



彫刻の森を出て、帰りがけに箱根ガラスの森美術館に寄ります。ここに寄るのは初めてです。
中に入ると、何処かメルヘンチックな村に入り込んだようで、今風に言うとなかなか”カワイイ”雰囲気があります。


「ヨーロッパのリゾートやアメリカ西海岸の別荘風?の、オシャレな建物の郊外レストランに、外観につられて入ってみたら、料理がいまいち・・だった」っていう経験ありません?そんな感じです。

建物の半分以上が売店部分です。それともガラス器の販売店の一部で、珍しいガラス器を展示している、という感じ?






愚痴ばかりの1日でしたが、最後に園内のレストラン「カフェテラッツア」のテラスで、”生のカンツオーネ”を聞きながら食べた、メープルシフォンケーキとコーヒーのセットはとても美味しかったですよ。今日の至福のひと時でした。

ちょっと気分を取り直して帰路についた1日でした。























サイクルメッカ伊豆

2008年10月17日 | サイクリング
今年も「狩野川100kmサイクリング」が催されました。!

昨年は都合で参加出来ませんでしたので2年ぶりの参加です。スタート地点は伊豆の大仁、狩野川の河川敷です。朝7時の受付なので、遠方から参加するライダーは近くの温泉地に前泊する人たちが多いようです。我々は朝早く、自宅から自転車を車に積み込んで東名を飛ばします。





スタート地点は伊豆市大仁の狩野川河川敷です。既に大勢のライダーが集まっていました。





今年は雨も無く、絶好のサイクリング日和です。伊豆市市長の挨拶で始まったこの大会も、すっかり伊豆市のイベントとして定着しているようです。

100kmコースに参加するグループは、狩野川の堤防に沿って伸びている「狩野川コリドー」と呼ばれる自転車、歩行者道路を修善寺の第一ポイントである「万城の滝」に向かって走ります。うす曇で風は涼しく絶好のコンディション、快適に修善寺温泉街に入ります。

修善寺のシンボルである赤い橋「千歳橋」に到着です。この地域、狩野川流域全体は50年前の「狩野川台風」によって、とても大きな被害にあいました。というより村(地区)ごと消滅してしまったところが幾つもありました。死者、行方不明者が1000人以上という未曾有の災害でした。





この橋にも上流から流れてくるゴミや流木等が堆積して「せき止めダム」となって水位はこの道路の上4mまで達したそうです。信じられますか?

今はもちろん当時の爪あとはすっかり消えて、静かな温泉街を取り戻しています。其処からさらに、第1チェックポイントに向かって走ります。

第1C.Pの万城の滝が近づくにしたがって、道は上り坂が続きます。
今回のロード(自転車)のフロントギア(チェーンリング)は2枚のものです。前回は3枚ので参加しましたので余裕でしたが、今回は出来るだけアウター(大)リングで頑張ることにしました。

上り道も大分長くなって大変になって来たので、そろそろインナー(小)に切り替えようとシフトレバーを・・・・???「動かない!」、ネジで固定したようにまったく動かない!。

こんな時に絡むなんて・・「いま止まったら上れなくなるよう・・・!」
あわててリアのギアをローに落としたのですが、やはりクランクは重い!、暫く走れば平坦な道になるかも・・と頑張る!なかなか平坦な道にはならない、それどころか坂は益々勾配が急になる!。

とうとう足が動かなくなり停止!!・・・

「どうしました?」後ろから大会側のコースガイド(サポーター)のメンバーが声をかけてくれました。
「ディレーラが絡んだのかギアが落とせなくなってしまったんです、皆さんアンカー(サポート)の方ですか?」「はい、そうです」

とうとう、どん尻になってしまいました。パンクの予備チューブとタイヤレバー、アーレンキー以外の工具は持ってこなかったし、どうしよう・・。

「ちょっと見ましょうか?」「おねがいします」(やっぱりサポーターさんのように、最低限の工具は持っていないといけないな)メンバーの方に見てもらったが、レバーはびくともしない。ディレーラのストローク調整ボルトを緩める。ガイドプレートも特に曲がってはいない。(もともとチェーンが落ちたわけでも無いのだから・・)

あちこち調整している内に「パチン!」という音とともに、レバーが動いた。
「あっ、動いたようですね」「どうもすみません、助かりました」「ボルト動かしちゃいましたので、後で調整し直してくださいね、時間は十分ありますから急がなくてもいいですよ」「はい、ありがとうございました」

やれやれ、とりあえず走れる。それでもかなり時間を食ってしまった。大会関係者のサポーターに助けられたのは初めて、さすがに運営もしっかりしている大会だと感心しました。





スタミナをすっかり使い果たして第1チェックポイントへ到着!。




第2CPの「狩野ドーム」までは下りが多く、登りもゲキ坂はありません。狩野ドームでは地元のスポーツ大会が開かれていました。
ゲームを見る暇も無く、早々にスタート地点の第3CPへ戻ります。





第3CP(スタート地点)へ戻り、ランチターイム!

午前中に出遅れてしまった私たちは、”しんがり”に近い為、急いで食事を済ませて午後の「沼津」に向かって出発します。

三島の第4CPに向かう途中アクシデントが発生しました!

5~6km走ったところで「うっ!」・・・両足の大腿四頭筋が攣ってしまいました。
明らかにトレーニング不足です。真夏の2ヶ月ほどは、ポタリングしかしなかったので、万城の滝での無理がたたったようです。自転車を降りて膝を曲げます。曲げているときは何でもないのですが、立ち上がると筋肉が攣ります。
第5CP(沼津千本公園)まで往復約50kmはとうてい走れそうにもありません。

無念の「リタイア」を競技委員に告げて、スタート地点に戻ります。
50kmコースに参加した人たちが続々と帰ってきます。

今回は散々なサイクリングでした。早々に会場を引き上げて、予定していた伊豆高原の温泉施設に直行です。
温泉に入って疲れを癒し、美味しい料理を食べて・・・”早く寝よっと!”