いよいよ幻の?「足助寒茶」に会える!(ドキドキッ、と言うほどでもありませんが 笑 )
「いただけるんですか」 期待がふくらみます。
「そのヤカンに入っているから、自由に飲んで」 ・・・えぇぇ???
小学校の給食時か工事現場の飯場にでもありそうな大きなヤカンが置かれていました。
ここ桧茶屋に食事に来るお客さんには、自由に足助寒茶を飲んでいただいているんだそうです。
そうなんですよね、足助寒茶とは言っても”只の番茶”、その昔は日本全国どこでも、農家でその地方独特の番茶が作られていました。日本一のお茶の産地、静岡でも一般の家庭では農家も、商家も、サラリーマン家庭でも番茶が普通でした。
それが一般家庭で煎茶が普通に飲まれるようになったのは、戦後も高度成長期以後の事なんですね。お金持ちは別として、戦前までは煎茶(高級茶)は輸出産業の花形として、また戦後は戦争の賠償品として使われていて、一般庶民はあくまで番茶が主でした。
お茶一つとっても”日本は豊かになったな”と、ノスタルジックな気分に浸るのは私だけなんでしょうか・・・? 笑
煎茶が一般的になった今は、商品としての番茶はあまり作られなくなりました。それでも一部の地方では伝統的な番茶が幾つか作られていて日常のお茶として飲まれています。足助寒茶もその一つです。
桧茶屋のご主人も、毎年冬になるとお茶の葉を採取して寒茶を作り、観光客に提供しながら、その伝統を守っているそうです。大寒の頃には、毎年茶摘み体験と寒茶作り体験が行なわれているそうです。
「あのう、足助寒茶を少し分けて頂けないでしょうか」 ずうずうしくもお願いをする。
「どちらからみえられたんですか?」
「静岡からです。実は私、○○なんですが・・・」
「そうなんですか、時々みえられるんですよ、全国からそうゆう方が」 ぬゝ?ライバルが、いや違った、仲間が・・・
「少しでいいんですが」 だんだん低姿勢になります。
「じゃあこちらに来てください、お分けしますから」 と言う事で2階に上がります。なんと2階には機織り機がずらっと数十台並んでいます。
「ここでは予約で機織りの実習教室が開かれるんです。小学校の課外授業なんかでよくみえるんですよ」 ( ~してみえる。とは尾張地方ならではの表現です) 一番奥の納戸(倉庫)に、ビニール袋に入った沢山の足助寒茶がありました。お客さんに出す、1年分のお茶の葉です。
これが足助寒茶です。(庭の枯葉をかき集めた物ではありません! 笑 )
足助寒茶のくき(木茎)です。ちょっと薪のように見えますが、実物はマッチ棒くらいの太さです。
一緒に煮ると甘みが出ます。
「これが足助寒茶ですかぁ」 普段見慣れた緑色で、細く撚れた煎茶の葉とは似てもつかないものです。
「これも持っていきますか、一緒に煮ると甘みが出ますよ」私にはこれがお茶の樹の枝にしか見えません。
「いただきます」 桧茶屋のご主人が、せっかく来たのだからと、足助寒茶の他に、ご自分が地方からいただいたという阿波の宍喰寒茶(徳島県)、「何処のお茶か忘れちゃったんですが・・」と外観が黒茶?に似ているお茶など沢山いただいて帰りました。
早速戻って足助寒茶を淹れます(淹れると言うより煮出します)。煮出すのに15分以上掛かります。せっかちな現代人にはとても合いそうにありません。今はやはり煎茶ですね。ちなみに紅茶もリーフグレード(大きい葉っぱ)は殆ど売っていません。大半は浸出時間の短いブロークングレード(小さくカットした葉っぱのもの)です。(イギリス人もせっかちになったんでしょうね)
これは阿波(徳島県)の宍喰寒茶です。足助寒茶に似ていますが、こちらの方が茶葉は小さめで
葉の色も、緑色が少し残っています。浸出時間は2~3分でかなり短いです。
産地の分からなかったお茶です。色沢(葉の色)が黒いので、ご主人は後発酵茶ではないか
と言われましたが、発酵の臭いが無く、水色、滋味ともに他の寒茶とあまり変わりませんでした。
酸味も無いので、不発酵系の番茶ではないかと思います。こちらも浸出時間は4~5分位です。
色は薄茶色(ほうじ茶や番茶特有の色)で、香りは枯葉のちょっと埃っぽい感じの香り(笑)?、味は淡白でやや甘みがあります。
決して上等なお茶ではありません。今はあまり飲む機会も無くなってきた番茶です。でも飲んでみて、どこか懐かしさをおぼえ、ホッとする感じがします。
香りの淡い煎じ薬を飲んでいるようです。 ・・・ なにか体に良さそう ・・・ 笑
現代人が忘れかけているものを、たった一杯のお茶が思い出させてくれた旅でした。
11月には、友人達と「日本茶ティーパーティ」をやる予定です。いろいろなお茶の飲み比べです。
その時、この3種類の番茶も淹れてみようかな、静岡ではめったにお目に掛かれないサプライズとして。
「いただけるんですか」 期待がふくらみます。
「そのヤカンに入っているから、自由に飲んで」 ・・・えぇぇ???
小学校の給食時か工事現場の飯場にでもありそうな大きなヤカンが置かれていました。
ここ桧茶屋に食事に来るお客さんには、自由に足助寒茶を飲んでいただいているんだそうです。
そうなんですよね、足助寒茶とは言っても”只の番茶”、その昔は日本全国どこでも、農家でその地方独特の番茶が作られていました。日本一のお茶の産地、静岡でも一般の家庭では農家も、商家も、サラリーマン家庭でも番茶が普通でした。
それが一般家庭で煎茶が普通に飲まれるようになったのは、戦後も高度成長期以後の事なんですね。お金持ちは別として、戦前までは煎茶(高級茶)は輸出産業の花形として、また戦後は戦争の賠償品として使われていて、一般庶民はあくまで番茶が主でした。
お茶一つとっても”日本は豊かになったな”と、ノスタルジックな気分に浸るのは私だけなんでしょうか・・・? 笑
煎茶が一般的になった今は、商品としての番茶はあまり作られなくなりました。それでも一部の地方では伝統的な番茶が幾つか作られていて日常のお茶として飲まれています。足助寒茶もその一つです。
桧茶屋のご主人も、毎年冬になるとお茶の葉を採取して寒茶を作り、観光客に提供しながら、その伝統を守っているそうです。大寒の頃には、毎年茶摘み体験と寒茶作り体験が行なわれているそうです。
「あのう、足助寒茶を少し分けて頂けないでしょうか」 ずうずうしくもお願いをする。
「どちらからみえられたんですか?」
「静岡からです。実は私、○○なんですが・・・」
「そうなんですか、時々みえられるんですよ、全国からそうゆう方が」 ぬゝ?ライバルが、いや違った、仲間が・・・
「少しでいいんですが」 だんだん低姿勢になります。
「じゃあこちらに来てください、お分けしますから」 と言う事で2階に上がります。なんと2階には機織り機がずらっと数十台並んでいます。
「ここでは予約で機織りの実習教室が開かれるんです。小学校の課外授業なんかでよくみえるんですよ」 ( ~してみえる。とは尾張地方ならではの表現です) 一番奥の納戸(倉庫)に、ビニール袋に入った沢山の足助寒茶がありました。お客さんに出す、1年分のお茶の葉です。
これが足助寒茶です。(庭の枯葉をかき集めた物ではありません! 笑 )
足助寒茶のくき(木茎)です。ちょっと薪のように見えますが、実物はマッチ棒くらいの太さです。
一緒に煮ると甘みが出ます。
「これが足助寒茶ですかぁ」 普段見慣れた緑色で、細く撚れた煎茶の葉とは似てもつかないものです。
「これも持っていきますか、一緒に煮ると甘みが出ますよ」私にはこれがお茶の樹の枝にしか見えません。
「いただきます」 桧茶屋のご主人が、せっかく来たのだからと、足助寒茶の他に、ご自分が地方からいただいたという阿波の宍喰寒茶(徳島県)、「何処のお茶か忘れちゃったんですが・・」と外観が黒茶?に似ているお茶など沢山いただいて帰りました。
早速戻って足助寒茶を淹れます(淹れると言うより煮出します)。煮出すのに15分以上掛かります。せっかちな現代人にはとても合いそうにありません。今はやはり煎茶ですね。ちなみに紅茶もリーフグレード(大きい葉っぱ)は殆ど売っていません。大半は浸出時間の短いブロークングレード(小さくカットした葉っぱのもの)です。(イギリス人もせっかちになったんでしょうね)
これは阿波(徳島県)の宍喰寒茶です。足助寒茶に似ていますが、こちらの方が茶葉は小さめで
葉の色も、緑色が少し残っています。浸出時間は2~3分でかなり短いです。
産地の分からなかったお茶です。色沢(葉の色)が黒いので、ご主人は後発酵茶ではないか
と言われましたが、発酵の臭いが無く、水色、滋味ともに他の寒茶とあまり変わりませんでした。
酸味も無いので、不発酵系の番茶ではないかと思います。こちらも浸出時間は4~5分位です。
色は薄茶色(ほうじ茶や番茶特有の色)で、香りは枯葉のちょっと埃っぽい感じの香り(笑)?、味は淡白でやや甘みがあります。
決して上等なお茶ではありません。今はあまり飲む機会も無くなってきた番茶です。でも飲んでみて、どこか懐かしさをおぼえ、ホッとする感じがします。
香りの淡い煎じ薬を飲んでいるようです。 ・・・ なにか体に良さそう ・・・ 笑
現代人が忘れかけているものを、たった一杯のお茶が思い出させてくれた旅でした。
11月には、友人達と「日本茶ティーパーティ」をやる予定です。いろいろなお茶の飲み比べです。
その時、この3種類の番茶も淹れてみようかな、静岡ではめったにお目に掛かれないサプライズとして。