静岡市の旧中心地付近(昔の府中)には史跡が多く残っている。何気なくその前を通り過ぎている毎日だが、改めてそれらを見直して観る事にした。
今日は自転車で史跡散策コース第一弾!。もちろんポタリング(自転車でぶらぶら走る事)だ。
外堀(駿府城一の丸)の周りには、何があるのだろう?
静岡鉄道のターミナルである新静岡センターから出発しよう。静岡駅前からこのあたりまでは人も車も多く、気を付けながら裏道を走ろう。
伝馬町通り入り口にある「ペガサート」脇の「西郷隆盛と山岡鉄舟会見の跡碑」を見る。日本の歴史を変えた江戸城無血開城の下地を作る重要な会談がこの地で行われたなんてスゴイ!。しばし当時の二人の緊迫した会談に想いを馳せて、次なる所へ。
静鉄バスターミナルの東側(1分)住宅街中に「一加番稲荷」がある。鳥居の脇には狐の石像が鎮座ましましている。駿府城堀の周りには加番稲荷が三つある。それぞれ一加番、二加番、三加番稲荷神社だ。加番は、城内外の警備などを受け持つ役で、大名や旗本がその任を受ける。大阪加番や駿府加番などが知られ、「定番」と違って一年が任期だったらしい。
家康の居城として築城されたものの、二度の火災にあってその後再建されることなく、主無き城に城代が常置されていただけの小ぶりの駿府城に、どうして三つもの加番が置かれていたのか疑問に思っていたが、例の(何が例なのか分からない?)由井正雪の事件(慶安事件)があって、増えたようです。
加番は幕末になって廃止され、加番屋敷跡に神社が祀られた。
いつの世も不穏な事件が起きると、お上の規制はだんだん厳しくなるんだなぁと実感!
経路=「一加番稲荷」から、北街道を清水方面へ、水落の交番を左折、草深橋を過ぎて右側に「三加番稲荷」が、そこから外堀(一の丸)沿いに左回りに進むと、NHK静岡があり、そのすぐ裏側に「二加番稲荷」がある。
加番稲荷をみた後は、外堀沿いに静岡駅方面へ。
静岡中央署、消防署ビルの向え、堀端の狭い歩道をさらに狭くするように四角の石碑が立っている。
これは「教導石」といって、明治のはじめ頃あまり物を知らない庶民が、「これってなぁに?」って質問すると、物知りの誰かが、「それはね?・・・・なんだよ」って教えてくれるスグレモノだ。
正面の教導石の字は山岡鉄舟が書いたものらしい。
石の上層部には、ここから各地への里程が31ヶ所ほど刻まれている。
日本橋四十六里十町余(約182km)、沼津十五里十町余(約60km)、西京三条大橋八十四里十四町(約331km)等々。
当時としては最新鋭のナビ(そんなものがあったかどうか)みたいな物だったんだろう。
石の左右の面は「尋ル方」と「教ル方」があり、なにか知りたい人が、「尋ねる方」へ、質問事項を紙に書いて貼りだす。そして知っている人(識者等)が、「教える方」に答えを書いて貼りだす。
昔の人はなんて素晴らしいコミュニケーション手段を持っていたのか!(感動)
以前、こんな話を聞いた。
ある時行政に聞きたいことがあった市民が、「尋ル方」に質問状を貼りだしたそうだ。
それを聞いたその筋の方がすぐに撤去をしたそうな。(文化財汚損のおそれありと)
なんと無粋な・・・!
せめて・・「ご質問承りました。早速お答えしたいところですが、この教導石は<静岡市指定有形文化財(歴史資料)>です。市としても貴重な文化財を保存する役目があり、このまま使用しますと汚損のおそれもありますので、市の担当窓口の係員が直接お答えしたいと思いますから市役所の方へお出でください。」・・と貼りだすくらいのユーモアが欲しいんだな。
そうすれば、お互いもっと暖かいコミュニケーションがとれるんじゃないかと思うんですが。
〔今日のポタリング行程〕
新静岡センター ⇒ 西郷・山岡会見の跡碑 ⇒ 一加番稲荷神社 ⇒ 三加番稲荷神社 ⇒ 二加番稲荷神社 ⇒ 教導石 (散策時間を含め1~2時間)
=蛇足=
外堀を回ると静岡市立病院から教導石あたりまで、堀が切れている。城を一周していない。ちょっと調べてみた。
府中から静岡市になった明治のはじめ、財政が逼迫していた市は、堀の一部を埋め立てて市民に払い下げたそうです。(奇特?な金持ちが市の財政を助けたのだ)
「温故知新」・・・我々は時々先人の足跡を知ることも必要だ!
今日は自転車で史跡散策コース第一弾!。もちろんポタリング(自転車でぶらぶら走る事)だ。
外堀(駿府城一の丸)の周りには、何があるのだろう?
静岡鉄道のターミナルである新静岡センターから出発しよう。静岡駅前からこのあたりまでは人も車も多く、気を付けながら裏道を走ろう。
伝馬町通り入り口にある「ペガサート」脇の「西郷隆盛と山岡鉄舟会見の跡碑」を見る。日本の歴史を変えた江戸城無血開城の下地を作る重要な会談がこの地で行われたなんてスゴイ!。しばし当時の二人の緊迫した会談に想いを馳せて、次なる所へ。
静鉄バスターミナルの東側(1分)住宅街中に「一加番稲荷」がある。鳥居の脇には狐の石像が鎮座ましましている。駿府城堀の周りには加番稲荷が三つある。それぞれ一加番、二加番、三加番稲荷神社だ。加番は、城内外の警備などを受け持つ役で、大名や旗本がその任を受ける。大阪加番や駿府加番などが知られ、「定番」と違って一年が任期だったらしい。
家康の居城として築城されたものの、二度の火災にあってその後再建されることなく、主無き城に城代が常置されていただけの小ぶりの駿府城に、どうして三つもの加番が置かれていたのか疑問に思っていたが、例の(何が例なのか分からない?)由井正雪の事件(慶安事件)があって、増えたようです。
加番は幕末になって廃止され、加番屋敷跡に神社が祀られた。
いつの世も不穏な事件が起きると、お上の規制はだんだん厳しくなるんだなぁと実感!
経路=「一加番稲荷」から、北街道を清水方面へ、水落の交番を左折、草深橋を過ぎて右側に「三加番稲荷」が、そこから外堀(一の丸)沿いに左回りに進むと、NHK静岡があり、そのすぐ裏側に「二加番稲荷」がある。
加番稲荷をみた後は、外堀沿いに静岡駅方面へ。
静岡中央署、消防署ビルの向え、堀端の狭い歩道をさらに狭くするように四角の石碑が立っている。
これは「教導石」といって、明治のはじめ頃あまり物を知らない庶民が、「これってなぁに?」って質問すると、物知りの誰かが、「それはね?・・・・なんだよ」って教えてくれるスグレモノだ。
正面の教導石の字は山岡鉄舟が書いたものらしい。
石の上層部には、ここから各地への里程が31ヶ所ほど刻まれている。
日本橋四十六里十町余(約182km)、沼津十五里十町余(約60km)、西京三条大橋八十四里十四町(約331km)等々。
当時としては最新鋭のナビ(そんなものがあったかどうか)みたいな物だったんだろう。
石の左右の面は「尋ル方」と「教ル方」があり、なにか知りたい人が、「尋ねる方」へ、質問事項を紙に書いて貼りだす。そして知っている人(識者等)が、「教える方」に答えを書いて貼りだす。
昔の人はなんて素晴らしいコミュニケーション手段を持っていたのか!(感動)
以前、こんな話を聞いた。
ある時行政に聞きたいことがあった市民が、「尋ル方」に質問状を貼りだしたそうだ。
それを聞いたその筋の方がすぐに撤去をしたそうな。(文化財汚損のおそれありと)
なんと無粋な・・・!
せめて・・「ご質問承りました。早速お答えしたいところですが、この教導石は<静岡市指定有形文化財(歴史資料)>です。市としても貴重な文化財を保存する役目があり、このまま使用しますと汚損のおそれもありますので、市の担当窓口の係員が直接お答えしたいと思いますから市役所の方へお出でください。」・・と貼りだすくらいのユーモアが欲しいんだな。
そうすれば、お互いもっと暖かいコミュニケーションがとれるんじゃないかと思うんですが。
〔今日のポタリング行程〕
新静岡センター ⇒ 西郷・山岡会見の跡碑 ⇒ 一加番稲荷神社 ⇒ 三加番稲荷神社 ⇒ 二加番稲荷神社 ⇒ 教導石 (散策時間を含め1~2時間)
=蛇足=
外堀を回ると静岡市立病院から教導石あたりまで、堀が切れている。城を一周していない。ちょっと調べてみた。
府中から静岡市になった明治のはじめ、財政が逼迫していた市は、堀の一部を埋め立てて市民に払い下げたそうです。(奇特?な金持ちが市の財政を助けたのだ)
「温故知新」・・・我々は時々先人の足跡を知ることも必要だ!