チャリポタ DAITAI WEEKLY

健康の為はじめた自転車が高じて、街や郊外を探訪するようになると、普段は見えていなかった景色が見えてきた。

チャリポタ しずおか史跡散策(その16)洞谷山竜雲寺

2007年03月23日 | 史跡散策
今日は、今川氏親の正室であり今川義元の母でもある寿桂尼の菩提寺、沓谷の竜雲寺を訪ねてみよう。

駿府公園を出て、市民文化会館のところを左折し、北街道を清水方面に向かって走る。ここは自転車・歩行者道路(自歩道)が広く、走り易い。約3km弱ほど走った所に蓮永寺があり、その直ぐ先の右手、谷津山の麓に「洞谷山竜雲寺」がある。


竜雲寺正面


当日竜雲寺に着くと、なんと3台の観光バスが、北街道沿いに停車していた。
「どちらから来られたんですか?」と訪ねたら、「東京からです。これから臨済寺に向かいます」ということだった。NHKテレビドラマ”風林火山”の影響はさすがにすごい!


本堂脇の案内には、ここ竜雲寺は守護大名今川七代の当主氏親の夫人龍雲寺殿峰林寿桂大禅定尼(寿桂尼)の菩提寺、とある。

寿桂尼は公家(藤原北家)の出身で、中御門権大納言宣胤(なかみかどごんだいなごんのぶたね)、(権大納言中御門宣胤と呼ぶ研究家もいる)の娘であり、氏親に嫁いで三男四女を生む。また、今川重臣で掛川城主である朝比奈泰能(やすよし=大河ドラマ”風林火山”にも出てきますよ)に、兄中御門宣秀の子を嫁がせるなど、家臣と強い繋がりを築く。

寿桂尼が、女戦国大名とか、駿河の尼御台と言われる由縁は、氏親の死後、当時若輩だった氏輝、そして氏輝の死後家督を相続した義元、義元の嫡子、氏真(うじざね)の三代に亘って今川の国政にかかわった事、今川氏の分国法(今川氏の法律)である「今川仮名目録」制定にあたっても深く関与したともいわれ、氏輝の(作成した書類)判物には氏輝の花押とともに、”歸”(とつぐ)という印判を押して、氏輝の後見人であることを知らしめたことなどで、そのように言われている。

花倉の乱を征し、梅岳承芳(今川義元)を九代目当主として家督を相続させたことは、史跡散策(その15)臨済寺で述べた。

寿桂尼は死期にあたり、今川家を守るために駿府館の鬼門にあたる、ここ竜雲寺に埋葬することを遺した。だが、寿桂尼の願いもかなわず、十代目当主、氏真の代に武田信玄、徳川家康の同盟軍に破れ、事実上今川の時代は終わりを遂げる。



竜雲寺裏手の山を少し登ったところに寿桂尼の墓碑が、駿府館側に向かって建っている。



寿桂尼の墓所

五輪塔が二つ並んでいるが、どちらが寿桂尼の墓か定かでは無いと言う。



大きな五輪塔の方には、地、水、火、風、空の文字がまだはっきりと読み取れる。





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2 コメント

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完全復活ですね (zenpeichan)
2007-03-24 17:35:03
大河ドラマってすごい影響を与えるんですねえ。
観光バスが3台ですか。
普段見過ごしているところでもこのように人が
来るんですから。
おっと私も、小淵沢の館に行ってきましたから
同じでしょうか。
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そうなんです (candle_march)
2007-03-24 18:48:52
そうなんです。大河ドラマの影響もすごいのですが、輪をかけて凄いのがオバチャン・・失礼!ご婦人のパワーでした。

怒涛のごとく、と言いますか、駆け足ツアーなんでしょうか?

もっとゆっくり巡っていただきたいと思った次第でした。
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