チャリポタ DAITAI WEEKLY

健康の為はじめた自転車が高じて、街や郊外を探訪するようになると、普段は見えていなかった景色が見えてきた。

チャリポタ しずおか史跡散策(その14)見性寺と杓子庵

2007年01月07日 | 史跡散策
お腹も一杯になり元気が出てきたので、これから新間の「見性寺」と直ぐ側にある「中勘助文学記念館・杓子庵」に行く。

”味守香”を出て4~5分も羽鳥方面に走ると左側山の手に見性寺が見える。
山門前の生け垣の南天の木は、真っ赤な実を付けていた。



(見性寺山門)


ここ、曹洞宗=見性寺は、お寺の案内(板)によると、大永年間(今川氏親の時代)に厚覚禅師によって開山。開基は朝比奈弥一郎で、今川三代(氏親、義元、氏真)の庇護を受け、その後、徳川幕府より寺領九石を拝領した寺とある。

朝比奈弥一郎なる人物について調べてみたがよく分からなかった。たぶん今川家に代々仕えた朝比奈氏の一族であろう。
= 朝比奈氏は、古くは志太郡朝比奈郷(岡部町)に土着した氏族である。今川氏の家臣であった朝比奈五郎国俊の子で、掛川城主であった朝比奈泰煕(掛川城は、ドラマ”功名が辻”の山内一豊より50年以上も前に築かれた城で、朝比奈泰煕が築城したといわれる)は、弥次郎といわれ、弟の泰以(やすもち)は弥三郎といわれたようだったから、長男であろうか・・・しかし泰煕に兄が居たかどうかは調べきれなかった。)=

本堂横の池には大きな鯉が沢山いる。これが例の”人面魚”ってやつ?、なかなか不適な面構えである。

本堂の前と中庭には二本の見事な高野槙(秋篠宮悠仁親王のお印となった木)が立っている。



(高野槙の巨木)


また、境内には”輔苦離(ぽっくり)往生佛”なる仏様が祀られており、ここをお参りして大きな梵鐘をお祈りしながら撞くと「病気で寝込まずにポックリ逝ける」と巷ではいわれているそうな・・・。(鐘は一撞き100円。・・・なんだか落語を思い出した。・・・ひとつき100円で暮らす方法、あれは”ところてん”か)



見性寺を出て直ぐ目の前に、「中勘助文学記念館と杓子庵」がある。



(記念館に隣接され、復元された杓子庵)


 
記念館(市の施設)には処女作「銀の匙」で知られる作家であり、随筆、詩、短歌、俳句など幅広い作品を残した「中勘助」の、小説や遺品などが展示されている(面目無いが私、この作品「銀の匙」を読んでいない)。

中勘助は、昭和18年10月から病気療養の為(戦時中だったから疎開もかねていたかも)ここ新間に1年余、その後羽鳥に3年余の間滞在したという。
その間、後に”杓子庵”と名付けられた庵に住み、数々の小作品を執筆した。

「銀の匙」は明治の終わり頃、信州野尻湖畔に滞在し執筆された。その後、親交のあった夏目漱石に原稿を送り、閲読を乞う。漱石の意見を得て、若干の手直しの後、漱石の推薦によって東京朝日新聞に連載されたと、中勘助略年譜にある。

幸運にも、当日の展示品の中に、「銀の匙」を読んで中勘助に宛て感想を記した、夏目漱石直筆の手紙があって(市の所蔵品であるので、もっとPRすれば良いのに・・)拝見することが出来た。

漱石も、勘助も、(勘助の妻も)実に達筆である(最近の作家には乱筆が多いといわれているようだが実に見事な筆跡であった)。

新間、羽鳥に滞在中執筆した数々の作品や詩、随筆など一度読んでみたいと改めて思った。


=今日の行程=

駿府公園 → (3.5km) → 高林寺 → (3km) → 徳願寺 → (7.3km) → 洞慶院 → (3.8km) → 味守香(昼食) → (1km) → 見性寺・中勘助文学記念館   

 *高林寺~徳願寺は別ルートで1.7km





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