チャリポタ DAITAI WEEKLY

健康の為はじめた自転車が高じて、街や郊外を探訪するようになると、普段は見えていなかった景色が見えてきた。

萩多和城

2008年02月11日 | サイクリング
いつものトレーニングコース、藁科奥の湯ノ島温泉へ行く途中に日向(ひなた)地区を通ります。其処に南北朝時代の城跡があるということで、ちょっと寄り道をしてみした。

07年4月14日(当ブログ=庚申塔=)にも記した場所です。今は福田寺と白髭神社が建っている所で、何でも「萩多和城」址と表示されていました。

またもや地元の方は誰もいらっしゃらなかったので何も聞くことが出来ず、帰って萩多和城、福田寺について調べてみました。





庚申塔のことは以前記しましたが、萩多和城は南北朝時代の城で、今の榛原郡川根本町?無双連山にあった徳山城の支城だったそうです。

1353年(文和2年)北朝方の今川範氏(今川2代目当主=義元は9代目となる)は、大井川沿いに勢力のあった徳山の土豪「鴾(とき)氏」以下南朝方を討伐するため、川根の無双連山(むそれやま)にある徳山城に攻め入った。

この時、搦め手(正面から攻める大手に対して後ろから攻める軍勢)を命ぜられた伊達景宗が藁科越えで向かう途中、この萩多和城は景宗によって攻め落とされたという(=駿河伊達文書=による)。





萩多和城は日向集落から藁科川を挟んで対岸にあったという説や北側にあったという説もあり、定かではないようです。また=安倍郡誌=によると「城址はわずかに残っているけれども守将の名前は分からない、一説には土岐山城守の住居あとでは・・・」ということで、ますます不明。

また、いまの福田寺の以前は、隣にある白髭神社の神主さんの屋敷があったんだそうで、城跡としては?ですが、地形としては「もしかしてお城が有ったかも・・」という形はしていました。

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そうそう、この日向地区では今月2月13日に「七草祭り」という祭事があるそうですよ。









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