チャリポタ DAITAI WEEKLY

健康の為はじめた自転車が高じて、街や郊外を探訪するようになると、普段は見えていなかった景色が見えてきた。

チャリポタ しずおか史跡散策=東雲神社と道灌の庭

2010年08月25日 | 史跡散策
今夏は大変な猛暑でした。

処暑も過ぎ、やっと朝晩は涼しくなってきたかな、っという感じですが、まだまだ残暑が続いています。

熱中症を避けようと? この夏遠出サイクリングは自粛、(軟弱者です)その代わり?、九月中旬までは、涼しい市立図書館の講座にかよっています。







講座の往き返りの途中にある小さな神社、あることは知っていたのですが、初めて寄ってみました。久しぶりのしずおか史跡散策です。








浅間神社の東側に隣接しているが、あまり小さいので何も無いかと通り過ぎてしまう程。

 「東雲(とううん)神社」 ”しののめ”とは読まないようだ。




人々に「丸山の権現さん」と言われている東雲神社、神社の小さな門に「静岡東照宮」と記されている。
もともと駿府城にあった社をこの地にあった浅間神社の別当「惣持院」に移したものだが、明治初期の神仏分離令により惣持院は廃寺となる。その後村内(安東村)にあった八雲神社と合祀されて東雲神社と改められたという。







この神社は、数年前放火に遭い古い社は全焼、今は新しい小さな社が再建されている。境内には猿田彦大神(白髭神)も祀られて、天神社、稲荷社等多くの神々も一緒に祀られている神社である。







東雲神社に隣接して小さな日本庭園が塀に囲まれてある。塀には「太田道灌築造 嵯峨流名園」との立派な看板が。

数年前まであった料亭(きくや)の庭である。もとは今川氏縁の屋敷跡で、この庭は太田道灌の作といわれている。


今川氏6代目当主、今川義忠の死後、嫡男の氏親と、いとこの小鹿範満との間で跡目相続争いが起こり、範満側の仲介人として来た太田道灌が滞在した館跡で、その時造られた庭という事らしい。







今は静岡鉄道が管理していて、その日庭を手入れしていた人に「この庭は公開しないんですか」と尋ねたところ公開の予定は無く、会社側がどうするか検討中との事。

せっかくの庭を公開しないなんてもったいないと思ったが、・・待てよ・・・ 公開しない訳は・・・??と思って ”ちょっこし” 調べてみました。



今川義忠が戦死したのが1476年(文明8年)3月で、道灌は3月以降、駿河に入ったと思われる事。

嫡男氏親側の仲介人、北条早雲との和議が何月頃決着したか分からないが、同年6月には道灌の従弟の長尾景春が起こした跡目相続争い”長尾景春の乱”が起こり、それに関連して道灌は、1477年(文明9年)3月には、神奈川の厚木、大磯にあった城攻めを行い、続いて江古田の城も攻めている。

”風雲急を告げる”戦国の世、身内の揉め事で大変”忙しい”道灌が、よその揉め事で1年も滞在していない舘で、のんびりと”庭造り”に勤しんだりするのかな??・・・と思うのは「下種の勘繰り」でしょうか。 「この石はこの辺に置いた方が・・・」くらいは言ったかも・・・(無意味なフォローです) (笑)


どこかに記録(文書)でも残っているといいですね。