たくさんのお言葉、みなさんありがとうございます。
あの日のこと、思い出すのが辛すぎて書くこともためらいますが、
こんなにも沢山の方々が気にかけてくださっていたのかと思うと少しだけお伝えしたいと思います。
12月6日 午前4時ごろ
いつもの悲鳴が聞こえて抱っこしてオムツをかえてお水を飲ませました。
寝返りをさせてあげてスヤスヤと眠りについたのを見ながら自分もまた寝ました。
午前7時過ぎ、予定よりちょっと寝坊してしまったなぁ、と、
ビリー君を見ると珍しく濁った目やにを付けていたので拭いてあげて
キッチンでお薬の準備をしてオムツを変えるために抱っこしました。
その時はちゃんと力が入っていたと記憶していますがほんの1~2分かな
急に力が抜けていくのがわかりました。焦りましたが今までも何度も気絶して脱力して
それでもまた戻ってきてくれていましたから、ちゃんと戻ってくれると思って
何度も呼びかけたのですが、、もう最後の呼吸が始まりました。
しっかり抱きしめるとビリー君もしっかりとわたしの顔を見つめているようで目をパッチリ
開けていました。しばらく見つめあっていた様に記憶しています。
それから私は声を出すこともなくただただ見つめあっていた様に思います。
ビリー君は大きく大きくお口を開けて そしてそれが終わりました。
その時初めて、待っていたんだ、私が起きるの待ってから逝ったんだということが分かりました。
火葬は翌日でした。出発前にくみこさんがお別れに来てくれました。
我が家で一番ビリー君と会っていたものね、正直来てくれて精神的にも助かりました。
この時まだ頭が正常でなかったから普通にお喋り出来てとても良かったの。どうもありがとうね。
火葬の待ち時間中、ジャスミンさんが駆けつけてくださり一緒にお骨を拾ってくださいました。
本当にありがとうございます。
そしてビリー君は無事に我が家に帰ってきました。
ビリー君は2007年2月22日という日に城南島の殺処分機を前に
処分の数分前に代表の一本の電話により寸前のところでレスキューされた奇跡の子でした。
縁あって我が家にやってきて約8年と半年あまり。たくさんの幸せを運んできてくれました。
病気になっても何度も生還し文字通りの奇跡の子でした。
生前、たくさんの人に愛していただきお世話になりました。
本当に本当にありがとうございました。
文章がまとまりなくてすみません。
心配くださった方々に少しでもお伝えしようとしたのですが
あまり上手くいかないですね。でもブログは日々更新していきますからね、
自然に思い出したらまたビリー君の事も書くと思います。その時はまたお付き合いください。
今後とも「みずママの日記」をよろしくお願いします!
ビリー君2008年の頃 (歯があるぞ!)
あの日のこと、思い出すのが辛すぎて書くこともためらいますが、
こんなにも沢山の方々が気にかけてくださっていたのかと思うと少しだけお伝えしたいと思います。
12月6日 午前4時ごろ
いつもの悲鳴が聞こえて抱っこしてオムツをかえてお水を飲ませました。
寝返りをさせてあげてスヤスヤと眠りについたのを見ながら自分もまた寝ました。
午前7時過ぎ、予定よりちょっと寝坊してしまったなぁ、と、
ビリー君を見ると珍しく濁った目やにを付けていたので拭いてあげて
キッチンでお薬の準備をしてオムツを変えるために抱っこしました。
その時はちゃんと力が入っていたと記憶していますがほんの1~2分かな
急に力が抜けていくのがわかりました。焦りましたが今までも何度も気絶して脱力して
それでもまた戻ってきてくれていましたから、ちゃんと戻ってくれると思って
何度も呼びかけたのですが、、もう最後の呼吸が始まりました。
しっかり抱きしめるとビリー君もしっかりとわたしの顔を見つめているようで目をパッチリ
開けていました。しばらく見つめあっていた様に記憶しています。
それから私は声を出すこともなくただただ見つめあっていた様に思います。
ビリー君は大きく大きくお口を開けて そしてそれが終わりました。
その時初めて、待っていたんだ、私が起きるの待ってから逝ったんだということが分かりました。
火葬は翌日でした。出発前にくみこさんがお別れに来てくれました。
我が家で一番ビリー君と会っていたものね、正直来てくれて精神的にも助かりました。
この時まだ頭が正常でなかったから普通にお喋り出来てとても良かったの。どうもありがとうね。
火葬の待ち時間中、ジャスミンさんが駆けつけてくださり一緒にお骨を拾ってくださいました。
本当にありがとうございます。
そしてビリー君は無事に我が家に帰ってきました。
ビリー君は2007年2月22日という日に城南島の殺処分機を前に
処分の数分前に代表の一本の電話により寸前のところでレスキューされた奇跡の子でした。
縁あって我が家にやってきて約8年と半年あまり。たくさんの幸せを運んできてくれました。
病気になっても何度も生還し文字通りの奇跡の子でした。
生前、たくさんの人に愛していただきお世話になりました。
本当に本当にありがとうございました。
文章がまとまりなくてすみません。
心配くださった方々に少しでもお伝えしようとしたのですが
あまり上手くいかないですね。でもブログは日々更新していきますからね、
自然に思い出したらまたビリー君の事も書くと思います。その時はまたお付き合いください。
今後とも「みずママの日記」をよろしくお願いします!
ビリー君2008年の頃 (歯があるぞ!)
すみません 今、Blogを見て知りました。協力病院でお会いした時ビリーくんの様子をお話いただきました。
お悔やみ申し上げます。
セントちゃんも抱えて大変な時に、さぞご心労のことと思います。どうぞご自愛くださいませ。
今は無事に我が家へ戻ってきています。
家族皆元気で頑張っていきますのでまた何所かでお会い出来たらと思います!
別れは、どんな形にしても悲しいモノですし悔いは残ります。でもビリー君は辛い事があった分、倖せな最期を送れたのかな…と思いました。
我が家のアトムは安楽死と言う選択でした。特異体質だった為に最終的に何の対処療法も施せず苦渋の決断でした。
確かに壮絶な最期ではありませんでした。スっと消えいる様に眠りました。それで彼は長い苦しみから解放されたのだと思います。唯、私の中では彼の時間を止めた事への自責の念は消えません。
思う事は色々ありますが、、でも精一杯生きていたいですね。
まとまりのない文章になりましたが、みずママさんの前向きなレポートを拝見しながら私も頑張ります。
どうかお身体を大切になさって此れからも輝くママさんでいて下さい。
今後ともどうかよろしくお願いします!