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ちょっといい話

2013年06月06日 20時39分10秒 | Weblog
5月13日(月)に、こんな風に書きました。

いい話があったけど・・・
参院予算委、維新の中山恭子さんと改革の荒井さん、いい話だったけど、どこも報じていませんね。
参院審議中継、是非視聴していただきたいと思います。

先ごろ、国会議事録検索でこの日の議事録がやっと検索できるように。

以下に、"ちょっといい話"の部分だけを転載します。

第183回国会 予算委員会 第16号
平成二十五年五月十三日(月曜日)

○中山恭子君 例えば拉致問題に関して申し上げますと、第一次安倍内閣のとき、DVDとかパンフレットを日本語プラス八か国語のものを作って、全ての大使館からそれぞれの任国の首脳や関係者に説明をするようにという対策本部からの指示を出しました。

 あらゆるときに日本の考えていること、日本の政策を丁寧に全ての世界の方々に理解してもらうことというのは、これは日本が平和を維持していく上で、まあ人との関係でもそうですが、知ってもらうこと、理解してもらうことというのは非常に重要なポイントだと考えておりますので、是非リーダーシップを発揮していただきたいと思っております。

 今日は、そういった意味で「世界中の文化が輝き、溢れ、交流する「場」をめざして 文化のプラットホームとしての日本」のパンフレット、提言を皆様に配付しております。いずれお読みいただけたらと思いますが、この在り方、日本が文化の底力を再認識して、二十一世紀、近代文明の後に来るポストモダンの世界で日本が世界中の文化が集まってくる場となり、国際社会の平和と繁栄に貢献する国となることを目指している、そういう提言でございますので、お目通しいただければ有り難いことでございます。

 そういった意味で、私自身が一九九九年から三年間大使として過ごしたウズベキスタン共和国での事例を御紹介いたします。

 ウズベキスタンは大変な親日国です。日本人というだけで尊敬され、信頼されます。その元にあるのは何か、それは日本の文化でございます。敗戦後、シベリアに抑留された日本兵が中央アジアに移送され重労働に従事させられましたが、ダムや水力発電所、運河、道路、さらに劇場などの立派な建築物を建て、今もしっかりそれが残って使われているというのが現状でございます。日本の若者たちは、帰国できるかどうかも分からない中、真面目に誠実に陰ひなたなく働いて、良いものを残し、感銘を与えました。ここで働いた人々は混成部隊です。ということは、当時の全ての若者たちがこのような文化を身に付けていた証左であると考えます。

 麻生大臣は、ウズベキスタンではタロー・アソーと呼ばれて大変尊敬されていらっしゃいます。カザフスタンのナザルバエフ大統領にもお会いになっていらっしゃいますが、中央アジアの国々での日本人の動きについて、一言お話しいただけませんでしょうか。

○国務大臣(麻生太郎君) カリモフという大統領がおられるんですが、一九九七年だったと思いますが、日本の閣僚として初めてウズベキスタンという国に行きました。大統領と接見があって、我々、同友会から数十人同行されたと記憶します。

 子供のとき、毎週末、日本人捕虜収容所に連れていかれた。御存じかと思いますが、四五年から四六年にかけて、シベリアからウズベキスタンに二万五千人捕虜が移送されております。そのことを言っておられるんだと思いますが、その捕虜収容所に連れていかれた。母親が私に言ったせりふは毎週末同じだった。せがれ、ごらん、あの日本人の兵隊さんを、ロシアの兵隊が見ていなくても働く、人が見なくても働く、おまえも大きくなったら必ず人が見なくても働くような人間になれ。おかげで、母親の言い付けを守って、今日俺は大統領になれた。なかなか、一緒に行った、私よりもっと御年配の方が多かったものですから、非常に感激をしておられましたけれども。

 これは、この人が大統領でおられたためにいろんなところにこの点は徹底して、今言われた、ナボイ劇場の話だと思いますが、ナボイ劇場はその捕虜が建てたものですけれども、これはウズベキスタンの大地震のときにこのナボイ劇場だけが倒壊しないで残った。したがって、そこには日本人捕虜と書かれず日本国民と書き直されて、我々は捕虜にした覚えはないので、日本国民によって建ててもらったということが書いてあるので、これはウズベキスタンという国、中央アジアの中において大勢力ですけれども、この国において日本人が非常に定着し、日本の文化というものが広まっていった元の元はその二万五千人に上る捕虜収容所に入れられた方々の一人一人の御努力の結果、今日の日本・ウズベキスタン関係ができ上がった基礎はそこにあると、私も伺ったときそう思いました。

○中山恭子君 ありがとうございます。
 日本の文化のすばらしさをみんなでもう一度誇りを持って過ごしていきたいと思います。委員長、大変ありがとうございました。

なかなかいい話だとお思いになられませんか。
比較的知られているのは、前にも紹介した「エルトゥールル号遭難事件」とその恩返しとも言うべき「トルコ航空機による日本人救出」、「杉原千畝の命のビザ発給」。
我々日本国民が殆ど知らないこのようないい話が沢山埋もれているのだと思います。それらを発掘し纏めて、出版するなり、ネットに公開するなりのこと、できないのでしょうか。

この質疑での中山さんが提言なさった内容は、こちらです。
詳しくは、中山さんの公式ホームページにあります。