警視庁 (内務省)
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警視庁(けいしちょう)は、1874年(明治7年)から1947年(昭和22年)まで存在した東京府(後に東京都)の警察を管轄する内務省の地方官庁である。自治体警察になる前の「東京警視庁」とも呼ばれた組織である。
東京警視本署[編集]
警視庁発足時から各地で士族反乱が発生し、地方の警察力では対処できなかった。政府は全国の警察を一元化するため、1877年(明治10年)1月11日に警視庁を廃止し、内務省直轄の東京警視本署へと改編した。(庁舎はそのまま使用された)
川路利良大警視は内務省に対し兵器の貯蔵を上申し、東京警視本署は陸軍省から7000挺の小銃を借用して、陸軍士官の派遣を受け、軍事訓練を行った。1877年(明治10年)、最大の士族反乱となった西南戦争に警視隊(9500名)を編成して従軍し、陸軍を支援した。
西南戦争終戦後、国内の治安が安定すると、武断的な警察に批判が高まり、1881年(明治14年)1月14日に警視庁が再設置され、本来の警察業務に戻った。
警視総監の地位[編集]
警視総監は東京府知事と同じ勅任官であったが、俸給は府知事よりも多く(内務次官、陸海軍中将と同額)、警視総監の方が格上とみなされていた。後に東京都制が施行され、親任官の東京都長官(俸給は国務大臣相当の待遇であり、また、昭和20年8月23日の閣議了解で、必要に応じ閣議への参加も認められた)が置かれたことで逆転した。
また、警視総監は府県知事の「府県令」と同様の「警視庁令」という命令を発することができた。
沿革[編集]
- 1874年(明治7年)1月15日 東京警視庁を設置(太政官達6号)。
- 1877年(明治10年)1月11日 東京警視庁が廃止され、内務省に警視局を設置(太政官布告4号、太政官達15号、内務省達)。27日 東京警視本署を設置(警視局布達甲3号)。
- 1877年(明治10年)3月 警視隊抜刀隊を編成、西南戦争に従軍。
- 1881年(明治14年)1月14日 警視庁を再設置(太政官達1号)、内務省警視局は警保局に改称(太政官達2号)。
- 1882年(明治15年)12月4日 洋風ペンキ塗庁舎が竣工(のち東京駅建設のために有楽町一丁目(帝国劇場横壕端。現在のDNタワー21所在地)に移転)。
- 1921年(大正10年)6月 刑事部を設置。
- 1923年(大正12年)9月1日 関東大震災による火災で庁舎を焼失。
- 1931年(昭和6年)8月 霞ヶ関に新庁舎(6階建近世式、建坪9761)竣工。
- 1932年(昭和7年)6月 特別高等警察部を設置。
- 1933年(昭和8年)10月 警務部に特別警備隊を設置。
- 1941年(昭和16年)2月 経済警察部を設置。
- 1944年(昭和19年)4月 特別警備隊を廃止し、警備隊を設置。
- 1945年(昭和20年)10月 特別高等警察部を廃止。
- 1945年(昭和20年)12月 経済警察部を廃止。
- 1946年(昭和21年)1月 警備隊を廃止。
- 1947年(昭和22年)1月 皇宮警察部を設置。