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近況報告 since 2012(H24.6.16)

トヨタカローラ発見

2015年03月19日 22時35分21秒 | 写真

とよた

hpより。

概要[編集]

トヨタの代表的な車種で、日本において最も普及した大衆乗用車シリーズの一つである。2015年現在、日本の本格的な小型の大衆乗用車の商標としては11代49年(セダンの場合)と最も息が長い。

当初1100cc級、以後モデルチェンジ毎にサイズが拡大され、1200-1600cc、のち1300・1500-2000cc級の小型乗用車として、長らく生産が続けられてきた。

キャラクターとしては一言で言えば「良くできた平凡」、つまりその時代ごとの基準から見て常に手堅く中庸な設計を用いつつ、ユーザーの上位志向に応えた装備類の充実、派生モデルの開発を行ってきた。その結果、日本国内市場、輸出市場の両面で成功を収めた。

基本形のセダンに加え、多くの派生車を擁し、1969年から2001年までの33年間、連続して車名別日本国内販売台数第1位を維持。

2013年7月には累計生産台数4000万台を達成し、現在、世界でおよそ150か国の国で販売されている。1967年から2002年までは商用車バン)も製造・販売していた。

トヨタ・カローラ
初代 E1#型
2ドアセダン1100DX 前期型
1966年11月 - 1968年3月
1966 Toyota Corolla 01.jpg
バン1200DX 後期型
1968年3月 - 1970年5月
 
Toyota Corolla E10 001.JPG
 

2ndcorolla.jpg 

1976 Toyota Corolla.jpg

 


東京新聞本音のコラム3/18(水)より会心の無恥

2015年03月19日 22時20分05秒 | 写真

 経歴[編集]

新潟県立新潟高等学校成城大学経済学部卒業。児童書の編集者を経て、書き下ろし『妊娠小説』で文芸評論家としてデビュー。フェミニズム系の論客。『文章読本さん江』で小林秀雄賞受賞。『紅一点論』のようなサブカルチャー研究や、『実録・男性誌探訪』『戦下のレシピ』など風俗研究色の強い著作もある。

朝日新聞書評委員、文藝賞選考委員などを務め、2008年4月-2012年3月朝日新聞の文芸時評を担当。

主張[編集]

現実社会の変化とともに、アニメの国の生き方や論理が時代にあわなくなりはじめた。しかし、新時代のヒーロー像、ヒロイン像はまだ創造できていないため、アニメはヒロインを戦わせることで生き延びている。また、アニメの国の理想のヒロイン像は、男の子の愛玩物として男の視聴者を元気づけはしたが、「女性の権利解放」や「社会制度の矛盾」に心を砕いて、女の子の視聴者を勇気づけるような存在ではなかった。今やアニメの国は転機を迎えており、変革が必要である[1]

選択的夫婦別姓制度導入に賛同する。「内閣府が2012年12月に行った『家族の法制に関する世論調査』で、選択的夫婦別姓の法制化は必要ない(36.4%)が必要だ(35.5%)をわずかに上回ったが、この質問には本当はもう一つ選択肢があり『通称使用を認める法改正は可』が24.0%。 別姓OKと通称OKを足せば約六割が現行法の改正に賛成。さらに興味深いのは『姓が違うと家族の一体感に影響があると思うか』という質問で、『影響ない』は前回より増えて59.8%。『弱まる』は減って36.1%。別姓反対論者が主張する『一体感の喪失』はすでに論拠を失いつつある。」と述べている[2]


JR渋谷駅ハチ公口

2015年03月19日 21時49分51秒 | 写真

渋谷駅へ(五反田から山の手で)ハチ公口到達まで。

 

 

沿革[編集]

  • 1885年明治18年)3月1日 - 日本鉄道の駅が開業(赤羽 - 品川間の開通と同時)[3]。一般駅。開業日の利用者はいなかった。
  • 1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道が国有化されて国有鉄道の駅となる(1909年10月12日に山手線所属駅となる)。
  • 1907年(明治40年)8月11日 - 玉川電気鉄道線玉川線(後の東急玉川線)が開業[3]
  • 1911年(明治44年)8月3日 - 東京市電(後の東京都電)青山線が中渋谷ステーション前まで延伸(同停留所は渋谷駅東口の宮益坂下に設置)。
  • 1921年大正10年)6月11日 - 玉川電気鉄道天現寺橋線(後の東京都電天現寺橋線)開業。
  • 1923年(大正12年)3月29日 - 市電青山線が渋谷駅前まで延伸(現在のハチ公前広場の位置)。
  • 1927年昭和2年)8月28日 - 東京横浜電鉄(現在の東急)東横線が開業[3]島式ホーム1面2線を有する高架駅[3]
  • 1933年(昭和8年)
    • 8月1日 - 帝都電鉄渋谷線(現在の京王井の頭線)が開業[4]
    • 11月1日 - 東横線渋谷駅に東横百貨店が開業[3]
  • 1935年(昭和10年)2月 - 東横線ホームの横浜寄りを切欠きにして1面3線化[3]
  • 1938年(昭和13年)12月20日 - 東京高速鉄道線(現在の東京メトロ銀座線)が開業[4]
  • 1940年(昭和15年)5月1日 - 帝都電鉄が小田原急行鉄道に合併し、同社帝都線の駅となる。
  • 1941年(昭和16年)9月1日 - 陸上交通事業調整法により、東京高速鉄道の駅は帝都高速度交通営団(営団地下鉄)の駅となる。
  • 1942年(昭和17年)5月1日 - 小田急電鉄東京急行電鉄大東急)に併合される。
  • 1948年(昭和23年)6月1日 - 東急から京王帝都電鉄が分離し、同社井の頭線となる。
  • 1950年(昭和25年)8月1日 - 東横線ホームが3面3線に改築される[3]
  • 1955年(昭和30年)12月27日 - 都営トロリーバスが渋谷駅に乗り入れ。
  • 1957年(昭和32年)3月26日 - 都電の渋谷駅前停留所が東口に集約され、ループ線上のターミナルになる。
  • 1964年(昭和39年)4月16日 - 東横線ホームが4面4線に改築される[3]
  • 1968年(昭和43年)
    • 3月31日 - 都営トロリーバスの渋谷駅への運行が廃止。
    • 9月29日 - 都電青山線が廃止。
  • 1969年(昭和44年)
  • 1977年(昭和52年)4月7日 - 東急新玉川線(現在の田園都市線)開業[4]。同線のホームは営団が建設したものの、駅業務は東急に移管。
  • 1978年(昭和53年)8月1日- 営団地下鉄半蔵門線の当駅 - 青山一丁目間(東急新玉川線直通)が開業。
    • 同日付をもって、東急新玉川線・営団地下鉄半蔵門線の駅業務が東急から営団に移管。
  • 1980年(昭和55年)10月1日 - 国鉄駅での貨物取り扱いを廃止。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄の駅はJR東日本の駅(山手線所属)となる。
  • 1996年平成8年)3月16日 - 埼京線ホームを山手貨物線の貨物ホーム跡地に新設。
  • 1997年(平成9年)
    • 7月 - 京王井の頭線の駅が西口を開設[5]
    • 12月28日 - 京王井の頭線の駅が移転する。
  • 2001年(平成13年)
  • 2002年(平成14年)12月1日 - JR東日本の特急「成田エクスプレス」の一部列車が渋谷駅に停車開始。
  • 2004年(平成16年)
    • 4月1日 - 営団地下鉄民営化により、銀座線と半蔵門線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)の駅となる。
    • 6月23日 - 東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線構内で渋谷駅駅員銃撃事件が発生。
  • 2007年(平成19年)
    • 3月18日 - 京王・東急・東京メトロでICカードPASMO供用開始。
    • 12月2日 - 東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線の駅業務が東京メトロから東急へ移管(実際の業務は東急レールウェイサービスに業務委託)。
  • 2008年(平成20年)6月14日 - 東京メトロ副都心線の駅が開業、開業時から東急の管轄駅となる(実際の業務は東急レールウェイサービスが東京メトロ半蔵門線・東急田園都市線と一体で行う)。
  • 2013年(平成25年)3月16日 - 東急東横線の駅が地下に移転、同時に行われたダイヤ改正で東京メトロ副都心線との相互直通運転を開始。東急レールウェイサービスへの委託が解除され、東急直営駅となる。

井の頭線神泉駅

2015年03月19日 21時35分30秒 | 写真

◆渋谷駅から徒歩で神泉駅へ歩く。

 

 ↓ 【hpより】

ホーム(2012年5月)

神泉 - 渋谷間のトンネル入口(2004年11月14日)

年表[編集]

  • 1933年昭和8年)8月1日 - 帝都電鉄の駅として開業。
  • 1940年(昭和15年)5月1日 - 小田原急行鉄道に合併し、同社帝都線の駅となる。
  • 1942年(昭和17年)5月1日 - 小田急電鉄東京急行電鉄大東急)に併合。
  • 1948年(昭和23年)6月1日 - 東急から京王帝都電鉄が分離し、同社井の頭線の駅となる。
  • 1995年平成7年)9月28日 - ホーム延長により、2車両のドア締切り扱いを解消。
  • 1996年平成8年)12月2日 - 旧駅舎の取り壊しののち、駅構造を大幅に改良して現在の駅ビルがオープン。
  • 駅構造[編集]

    相対式ホーム2面2線を有する地上駅橋上駅舎を持つ。駅本体のほとんどがトンネル内にあるため、地下駅の趣がある。渋谷駅からの直線距離は500m程度であるが、渋谷駅との間の道玄坂一帯が起伏にとんだ地形になっていることと、他の鉄道路線の駅がこの一帯にないため一定の需要がある。

    かつてはホーム有効長が18m車3両分しかなく、一部列車の通過措置をとっていた時期があった後、吉祥寺寄りの2両のドア締切扱いが行われていた。ドア締切扱いが行われていた時代には、トンネル内のドア前にあたる箇所に「ここではドアがあきません」の文字があった。その頃は駅舎自体も渋谷側の踏切方面の地上部に非常に簡易な改札があるだけで、現在のような売店も、松濤側への出入り口も設置されていなかったが、その後、保安度向上のため両側に出口が整備され、構内踏切が廃止された。

    その後、20m車である1000系電車の営業運転を開始するにあたり、トンネル延伸工事によるホーム延伸を行い、1995年9月28日に、全車のドアが開くようになった。ちなみにホーム延伸工事は、トンネルの上の住宅を仮受けしながら掘削しながら進められた[1]

    1995年のトンネル工事と併せて、駅構造自体の大々的な改良工事が行われ、1996年12月2日に現在の駅舎がオープンした。上下線ホームと改札口との間にはエレベーターが設置されている。