ぶら~り相模の国

信州生まれの勘太郎、のんびり人生

フィリピンの最北端バスコ島(バタネス州)①・・・初めての訪問

2020年05月19日 | Luzon島
先日、今年の台風1号(フィリピン名:Ambo)がルソン島を
縦断して台湾方面に通り抜けました~~~

これで思い出したのが台風の通り道にある島々です!!!
ルソン島と台湾の間にある島々(バタン諸島)が一つの州に
なっていて名称は「バタネス州」と云う・・・

ルソン島のすぐ北側に位置する島々はルソン島のカガヤン州の
一部であり、この島々の更に北側に位置するのがバタネス州である。
州都であるバタン島のBasco町(バスコ)を業務で初めて
訪れたことを思い出した。
それは1980年(S55年)2月17日(日)~19日(火)でした・・・




バタネス州は大小11島から構成され、そのうち大きな
3島に人が住んでいる・・・
このうちバタン島のバスコ町に州庁舎があり唯一の飛行場もある。
当時の滑走路は草原で機内には乗客の他、座席の後方には生きたニワトリ、
生きている豚、コメ、灯油、日用品等なんでも積んでいた!!!
滑走路(草原)に着陸すると、乗客は全員拍手をして
無事に着陸したことを喜んでいる状況が浮かんできました。




飛行場にはバタネス州知事が我々一行を出迎えてくれました!!!
当時のバタネス州の人口は1万7千人前後でした。
島には大きな港は無くて貨物船などは接岸できないので定期航路もない!!!
従って物資はルソン島からの飛行機の定期便に頼るしかなかった。




飛行場の到着口(画像は最近のもの)です・・・
当時は首都マニラから定期便が週に1~2便あったように
記憶している。
その他北イロコス州都のラオアグ市やカガヤン州都の
ツゲガラオ市から不定期便が飛んでいた・・・

現在は観光客も訪れるようになっているので、飛行機の便数も
多くなっているもととおもわれる。
また当時はホテルなどは無くて民家(商店)に泊めてもらった
事を思い出した~~~




街中は州庁舎がある周辺に民家が点在していて、台風が
通過するところなので石やレンガを積み上げた家が多かったと
記憶している~~~




当時はルソン島との間で本格的な通信網は無くて短波で辛うじて
繋がっている状況でした・・・
しかも機器類は第二次大戦の終戦で日本軍が放置したものでした!!!

このバタン島バスコ町とルソン島アパリ町間に伝送路を設置する
調査で二日目に島で一番高い山に登った・・・

ここに鉄塔を建設して州庁舎のある町の中心部までケーブルを
敷設する調査を行った・・・
電話局に相当する局舎は州庁舎の敷地内かその周辺に予定した。

山の山頂付近は常に風が吹いて、遠く台湾方面は見えなかった~~~
バスコの北にあるフィリピン最北端のマヴディス島から
バシー海峡をはさんで110Km先に台湾がある!!!






短い3日間の滞在で何もない島なので、観光どころではなかった!!!
調査で街中を歩いていた時に、学校だったか記憶に残って
いないが訪れて少しばかりのドネーション(寄付)をしたことで、
マニラに帰るとき飛行場までGirl Scoutの皆さんが見送りに来てくれて
礼状を渡された!!!



帰りの飛行機の前で・・・










コメント (1)
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