【見たぞ、UFO!】
(資料集)
(中日委新聞のコラム)
(私たちが見たUFO)
(火星探査機・スピリットが送信してきた画像)
(スピリットの送信してきた画像を拡大したもの)
(UFOの周囲に、フォースフィールドと呼ばれるモヤ状のものが、これでわかる。)
(上記写真の明度を落とし、モヤをわかりやすくした。)
●電話
教室へ行くと、1本の留守番電話が入っていた。
大分県日田市に住む、HSと名乗る人物からのものだった。
いわく、「あなたが新聞のコラムで書かれたのと同じUFOを見ました。
それで電話しました」と。
私は授業の準備を忘れ、すかさず、HS氏に電話を入れた。
最初、妻らしき女性が電話口に出た。
UFOの話はしなかった。
この種の話は、相手を選んでする。
相手をまちがえると、変人と誤解される。
HS氏は、すぐ電話口に出てくれた。
私「浜松に住む、はやし浩司という者です。電話、ありがとうございました」
橋「ああ、わざわざ、電話、ありがとうございます」
私「さっそくですが、どんなUFOでしたか?」
橋「あなたが、新聞のコラムで書かれたUFOと、そっくりのUFOです」
私「新聞?」
橋「中日新聞という新聞です。2000年の日付になっています」
私「ああ、あれですか」と。
●HS氏
HS氏は、日田市で、割烹を経営していた。
見たのは、今年(2012年)の6月20日。
午後10時45分ごろのこと。
家の外で、巨大なUFOを目撃したという。
大きさは、何百メートルとも言えないほど、大きなものだったという。
が、何よりも私を驚かせたのは、「ビルの高さほど低いところを飛んでいた」という内容。
HS氏は、こう言った。
「はやしさん(=私)のコラムでは、黒色ということでしたが、銀色でした。大きな円形の窓らしきものと、その窓枠も見えました」と。
HS氏は、きわめて至近距離で、UFOを目撃していた。
私「窓の色は何色でしかたか?」
橋「同じ銀色でした」
私「オレンジ色ではなかったですか?」
橋「銀色でした」
●消え方
私たち夫婦が見たUFOについて、明らかな特徴がひとつあった。
消え方。
消え方が、ふつうではなかった。
飛行物体が遠ざかって消えるというのではない。
スーッと空に溶け込むかのようにして、消えていった。
物体そのものが透明になり、徐々に消えた。
だから私はUFOを見たという人の話を聞くときは、いつも、消え方を聞く。
その内容によって、その話が本当かウソか、おおまかな判断ができる。
HS氏は、こう言った。
「ゆっくり頭上まで来て、それから雲と同じような色になって消えました」と。
私はそれを聞いて、「この話は、信じられる」と直感した。
●メモ
私はHS氏にいくつか質問をした。
そのつど、言葉をメモに取った。
(1) 高さは、ビルの高さほどのところだった。
(2) 大きさは、表現できないほど、大きかった。
(3) ブーメランの先端;を前に、飛んできた。
これについて、「はやしさんのコラムに書かれた飛び方とは、反対でした」と。
(私が見たのは、先端をうしろ側に、左側から右方向へ飛んでいった。)
(4) ブーメランといっても、向かって右のほうがより長かった。
左右対称ではなかった。
(5) 表面は、金属的で、黒くなかった。
HS氏の妻は、「地上の光が反射して、白く見えたのでは?」とい
●ヨタカ
あの夜、私とワイフが見たものは何だったのか。
正確に日時を覚えているわけではない。
が、ワイフと私の記憶をつき合わせると、こうなる。
1976年の夏の夜……。
長男が1歳を過ぎた、夏の夜のことだった。
長男は、1975年生まれ。
だから1976年の夏。
時刻は、ワイフは、午後11時ごろだったと言う。
私は、午前0時過ぎだったと思う。
近所を散歩し、あと少しで、自宅に戻るという、そのときだった。
巨大なUFOだった。
というより、最初、私はUFOなどとは、思わなかった。
私が本などで読んで知っていたUFOは、円盤型。
今でいう、アダムスキー型のものだった。
また見たときも、私は、それがヨタカ(夜鷹)と思っていた。
ちょうどそのとき、私とワイフは、ヨタカの話をしていた。
「ヨタカが飛ぶときは、羽が光るのよ」とワイフは言った。
●中日新聞
それから24年。
あの夜のことを、私は、中日新聞にコラムとして書いた。
「見たものは、見た」と。
この言葉には、それまでの私の怒りをこめた。
UFOの話をするたびに、みな、こう言った。
「教育評論家を名乗るなら、そういう話はしないほうがいい」と。
当時も、今も、UFOは、超常現象としてとらえられている。
霊魂や幽霊と同じレベル。
真顔でその話をすると、人によっては、私を変人とみる。
だから私は口を閉ざした。
が、見たものは、見た。
だからコラムの冒頭で、そう書いた。
「見たものは、見た」と。
●自衛隊浜松基地
以下が、そのとき発表した、新聞のコラムである。
書き足す部分があるとするなら、その夜は一睡もしなかったこと。
1時間おきに、近くの自衛隊の浜松基地に電話をしたこと。
(あるいはもっと頻繁だったかもしれない。)
やっと電話がつながったのが、午前8時30分。
いくつかの部署に電話は回された。
管制室にもつながった。
が、みな、こう言った。
「そういう報告は届いていません」「そういう話はあがってきていません」と。
が、私は食いさがった。
「そんなはずはない。あれほど巨大な物体だ。レーダーに映らないということはありえない」と。
●『見たものは、見た』
そのときの様子をコラムにしたのが、つぎのもの。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/84/imge35bb262zik5zj.jpeg
●見たぞ、UFO!(中日新聞記事より)(2000年11月発表)
見たものは見た。巨大なUFO、だ。
ハバが1、2キロはあった。しかも私と女房の2人で、それを見た。
見たことにはまちがいないのだが、何しろ25年近くも前のことで「ひょっとしたら…」という迷いはある。
が、その後、何回となく女房と確かめあったが、いつも結論は同じ。「まちがいなく、あれはUFOだった」。
その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。
時刻は真夜中の0時を過ぎていた。
そのときだ。
何の気なしに空を見あげると、淡いだいだい色の丸いものが、並んで飛んでいるのがわかった。
私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛んでいるのだと思った。
そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。
あとで聞くと女房も同じことをしていたという。
が、それを五、六個まで数えたとき、私は背筋が凍りつくのを覚えた。
その丸いものを囲むように、夜空よりさらに黒い「く」の字型の物体がそこに現われたからだ。
私がヨタカだと思ったのは、その物体の窓らしきものだった。
「ああ」と声を出すと、その物体は突然速度をあげ、反対の方向に、音もなく飛び去っていった。
翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。
その物体が基地のほうから飛んできたからだ。
が、どの部署に電話をかけても「そういう報告はありません」と。
もちろん私もそれがUFOとは思っていなかった。
私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のもので、UFOに、まさかそれほどまでに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。
が、このことを矢追純一氏(UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写真を届けてくれた。
当時私はアルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝っていた。
矢追氏はその番組のディレクターをしていた。
あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人でもある。
私と女房はその中の一枚の写真に釘づけになった。
私たちが見たのと、まったく同じ形のUFOがあったからだ。
宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。
人間だけが宇宙の生物と考えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなことだ。
そしてその宇宙人(多分、そうなのだろうが…)が、UFOに乗って地球へやってきてもおかしくはない。
もしあの夜見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私はその人と闘う。
闘っても意味がないが、闘う。私はウソを書いてまで、このコラム欄を汚したくないし、第一ウソということになれば、私は女房の信頼を失うことになる。
……とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。
この話をすると、「君は教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。
君の資質が疑われる」と言う人もいる。
しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。文を書くといっても、教育評論だけではない。
小説もエッセイも実用書も書く。
ノンフィクションも得意な分野だ。東洋医学に関する本も3冊書いたし、宗教論に関する本も5冊書いた。
うち4冊は中国語にも翻訳されている。
そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えている。
たとえばこの世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。
だからこそあえて、私はそれについて書いてみた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●記憶の確認
楽な24年間ではなかった。
というのも、記憶を維持するということだけでも、たいへんなこと。
1~2年もすると、「ひょっとしたら……」と思うようになった。
さらに数年もすると、記憶そのものが、ぼんやりとしてくる。
「夢だったのかもしれない」と思ったこともある。
周囲の人たちが、「見まちがい」「夢でも見たのでは?」と言えば言うほど、自信がなくなる。
が、そのつど、私とワイフは、たがいに確認しあった。
「あれは、本当だったね」
「本当よ」と。
こんな会話が、何度もつづいた。
「あの夜見たものは、何かのみまちがいではなかったか」と。
みなが、否定すればするほど、記憶があいまいになっていった。
ただあの夜見た、UFOの形だけは、鮮明に覚えていた。
その直後、何度もスケッチした。
私は九州へ行くことにした。
ワイフに「行くか?」と声をかけると、「私も行く」と。
楽な旅行ではない。
費用もかかる。
が、行かねばならないという気持ちが、急速に膨らみはじめた。
「決着をつけてやる」と。
●電話
HS氏には、こちらから行きますと話した。
「うちは割烹をやっていますから、夕食はうちで食べてください」と。
私「で、私のときもそうでしたが、記憶が失われないうちに、たくさんメモを残しておくといいですよ」
橋「はい、そうしています」
私「時がたつと、今度は、自分を疑うようになります。そうなると、記憶というのは、煙のように消えていきます」
橋「わかりました」と。
折り返し、HS氏から、FAXが届いた。
そこには、私が見たものと同じものが、描かれていた、
(1) 飛行ルート……私が見たものは、真西から真東へ飛んでいった。
これについては、もう少しあとに書くことにする。
で、それについてHS氏に確かめると、「私が見たものは、南から北へ、でしたね」と。
これだけの事実でこう結論づけるのは、どうかと思う。
しかしあのブーメラン型のUFOは、緯度や経度に沿って飛んでいる(?)。
私はそんな印象をもった。
●観光旅行
なおこれは私もそのとき感じたことだが、HS氏は、こう言った。
「何かの観察に来たのではないでしょうか」と。
それに対して、「私も、そう思います」と。
何かの観光旅行ではないかと思いました」と答えた。
ゆっくりと飛んできて、サッと消えていった。
そういうところから、そう感じた。
恐怖心はまったく、なかった。
「何だろう?」と思っているうちに、相手のほうから逃げていった。
「しまった、見つかった」と。
そんな感じだった。
私は、あの夜、そんな印象をもった。
●チケット
九州の博多まで、新幹線で4時間と少し。
博多から、高速バスで、約1時間半。
7月13日の午後、ワイフと2人で、チケットを買いに行った。
連休の初日前日ということもあり、駅構内は混雑していた。
チケット売り場にも、ズラリと人が並んでいた。
それを見て、私たちはくるりと体を回した。
人ごみは苦手。
旅行にしても、人の少ない時期に、人の少ないところを選んで行く。
人間嫌いというほどではないが、長くいると、頭痛が始まる。
料金は、浜松→博多まで、2万円弱。
往復で、4万円弱。
x2=8万円弱。
プラス、博多から日田市まで、高速バス。
プラス、ホテル代。
が、私もワイフも、追いつめられていた。
時間というより、人生そのものがない。
あのUFOを見てから、24年。
新聞にコラムを発表してから、12年。
私たちには、つぎの24年どころか、12年もない。
今、この時期を逃したら、もう二度とチャンスはないかもしれない。
●自分で確認する
YOUTUBEを見れば、今では、居ながらにして画像でそれを見ることができる。
ブーメラン型のUFOも、多い。
今では珍しくない。
が、それが本物かどうかということになると、確信がもてない。
映像技術も進んだ。
フェイク(ニセ)画像も多い。
で、何よりも重要なことは、自分で確認すること。
見たという人がいたら、(その人)に会い、直接話を聞くこと。
そのとき、その話が本当かウソか、それがわかる。
私たちにとって重要なことは、それが事実であること。
言い換えると、それがとりもなおさず、私たちがあの夜見たものが、事実であることの証明になる。
●BT氏からの写真
そんな折、とうとうというか、ついに、私たちは宇宙人(以下、ET)のシッポを捕(とら)まえるような事件が起きた。
12年来の友人である、BT氏からもたらされた、1枚の写真からそれは始まった。
BT氏自身が、撮影した写真である。
「何か、へんなものが写っている」と。
こういうばあい、まずその人物を疑う。
疑って当然。
しかしことBT氏に関しては、疑う余地はない。
この12年間、ずっと誠実だった。
「まじめ」という言葉を使うなら、BT氏ほど、まじめな人はいない。
またBT氏でなかったら、その写真を信用しなかっただろう。
そのあと3度、現場に足を運んだ。
もしそれがBT氏でなかったら、3度も足を運ぶようなことはしなかっただろう。
私にとって、BT氏というのは、そういう人物である。
そういう人柄を知っているから、私はその写真に
釘付けになった。
●雄踏町に現れたUFO
そのとき書いたBLOGをそのまま、ここに転載する。
【浜松市・雄踏町に現れたUFOを検証する】(2012-05-19)
●信頼できるBT氏
12年来の友人でもあり、信頼できるBT氏が、昨夜(5月18日)、1枚の写真を届けてくれた。
「何かが写っている」と、BT氏は言った。
まず、その写真をここに紹介する。
撮影したのは、2012年5月4日。
時刻は、写真の太陽光の角度からして、夕方。
(1)元の写真(矢印部に注目)
なお矢印は2か所につけたが、左の矢印のやや右側にも、もう1個、白い物体が写っているのがわかる。
(2)元の写真の明度をあげてみた。
白い物体を、より鮮明にしてみた。
(3)左の矢印部を拡大してみた。
(4)右の矢印部を拡大してみた。
昨夜(18日)と、今日(19日)、2度、現場へ行って検証してみた。
左側の物体は、屋根の上にあるように見える。
右側の物体は、道路から、10~13メートル高いところに浮かんでいたことがわかった。
詳しくは、後述する。
●現場へ
昨夜(5月18日)、午後11時ごろ、現場へ行ってみた。
場所は、BT氏より詳しく聞いていたこともあり、すぐわかった。
フラッシュなしで、撮影してみた。
●再び現場へ
今日(5月19日)、午前11時30分ごろ、オーストラリアの友人とワイフ、それに私の3人で、現場へ行ってみた。
この写真の写っている家の家人(女性)から話を聞くことができた。
(1)50歳くらいの女性だったが、写真を見て、たいへん気味悪がった。
「あら、イヤだあ」と何度も言った。
(2)枕などではないかと聞いたが、裏の屋根(北側の屋根)では、ものを干さないと答えた。
(3)白い物体に、思い当たるものはないかと何度も念を押し聞いたが、「ない」と答えた。
(4)写真を撮った位置に立ち、私たちも現場を検証してみたが、右側の白い物体は、道路から高さ10メートル以上の位置にあることがわかった。
(目測では、10~13メートル前後だった。
少なくとも、工事用のバルーン型照明器具ではないことは確認できた。)
ほぼ同じ位置から撮影してみた。
道路(浜松市内から雄踏町へ抜ける道路がある。その道路に向かって、20メートルほど、先に進んでみた。
この写真の、山の大きさから、右側の物体が、かなり高いところに浮いていたことがわかる。)
●考察
このタイプのUFOは、各地で頻繁に目撃されている。
集団で現れることが多いよう。
結論は、まさにUFOということになった。
未確認飛行物体ということになる。
あとの判断は、読者諸氏に任せる。
2012/05/19記
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●深まる謎
が、さらに驚くべきことが、つぎつぎと見つかった。
前回は、それに気がつかなかった。
球形のUFOばかりが気になった。
しかしそれだけではなかった。
本来、そこにないものが、2つ、その写真には写っていた。
「事実」というのは、そういうもの。
調べれば調べるほど、その向こうにある別の「事実」が顔を出す。
それについては、追々書くとして、私は、そしてBT氏は、ついにUFOのシッポをつかんだ。
少なくとも、私は、そう確信した。
BT氏が見せてくれた写真を、順に並べてみる。
(1) 左側のUFOと、ET、つまり宇宙人(黄色い物体)らしきもの。
(2)(1)の写真を反転したもの。
左上の黄色い物体の輪郭(以下、ETとする)が、より鮮明に写っている。
(3)BT氏提供の写真を再度掲載、確認する。(矢印の部分に注目)
(4)右側のUFO。
グーグルアースの測定器を使い、距離を測定したら、290メートルという数字が出てきた。
山の影に入っているところから、山陰ギリギリまでの距離を測定した。
(5)屋根の上の、2つの大小のUFO。
この家の家人に直接確かめたが、先にも書いたように、これは枕とか、そういうものではない。
家人は、「北側の屋根では、ものは干さない」と断言した。
(6) 屋根の上の黄色いET(?)。
屋根の上に直接、乗っているのが、わかる。
(7) 左下に女性の姿が見える。
何か棒(農作業用の道具?)らしきものをもっている。
道路から撮った写真とすると、この女性は小山の上にいることになる。
しかしここに小山があったのか?
前回、行ったときは気がつかなかった。
あとでもう一度行き、自分で確かめてみる。
黄色いETは、屋根の上からその女性を見ているようにも、とれる。
(8)明度をあげ、ETと、その左下の女性を、見やすくした。
(9)同じく、庭にいる女性。
(10)うしろ髪が長い女性であることが、この写真からわかる。
この家の家人なのか。
この写真を見せ、確かめてみる。
(報告はあとで……。)
(11)再び、屋根の上のET。
頭の上に左右、2本の角(つの)のようなものがある?
(12)左側のUFOの周辺が、円形に磁場変性しているのが、わかる。
「フォースフィールド」と呼ぶ人もいる。
水面に石を落としたように、かすかに波打っているのが、気になる。
(13)右側のUFO。
距離を290メートルとすると、かなり巨大なUFOということがわかる。
その手前下に、軽自動車がたまたま写り込んでいたが、軽くその2倍はあるということになる。
(14)右側のUFOは、山陰に隠れている。
軽自動車がその下に見える。
全体に明度をあげてみた。
(15)ET(右上)と、女性(左下)
写真のシャープ度をあげてみた。
(資料集)
(中日委新聞のコラム)
(私たちが見たUFO)
(火星探査機・スピリットが送信してきた画像)
(スピリットの送信してきた画像を拡大したもの)
(UFOの周囲に、フォースフィールドと呼ばれるモヤ状のものが、これでわかる。)
(上記写真の明度を落とし、モヤをわかりやすくした。)
●電話
教室へ行くと、1本の留守番電話が入っていた。
大分県日田市に住む、HSと名乗る人物からのものだった。
いわく、「あなたが新聞のコラムで書かれたのと同じUFOを見ました。
それで電話しました」と。
私は授業の準備を忘れ、すかさず、HS氏に電話を入れた。
最初、妻らしき女性が電話口に出た。
UFOの話はしなかった。
この種の話は、相手を選んでする。
相手をまちがえると、変人と誤解される。
HS氏は、すぐ電話口に出てくれた。
私「浜松に住む、はやし浩司という者です。電話、ありがとうございました」
橋「ああ、わざわざ、電話、ありがとうございます」
私「さっそくですが、どんなUFOでしたか?」
橋「あなたが、新聞のコラムで書かれたUFOと、そっくりのUFOです」
私「新聞?」
橋「中日新聞という新聞です。2000年の日付になっています」
私「ああ、あれですか」と。
●HS氏
HS氏は、日田市で、割烹を経営していた。
見たのは、今年(2012年)の6月20日。
午後10時45分ごろのこと。
家の外で、巨大なUFOを目撃したという。
大きさは、何百メートルとも言えないほど、大きなものだったという。
が、何よりも私を驚かせたのは、「ビルの高さほど低いところを飛んでいた」という内容。
HS氏は、こう言った。
「はやしさん(=私)のコラムでは、黒色ということでしたが、銀色でした。大きな円形の窓らしきものと、その窓枠も見えました」と。
HS氏は、きわめて至近距離で、UFOを目撃していた。
私「窓の色は何色でしかたか?」
橋「同じ銀色でした」
私「オレンジ色ではなかったですか?」
橋「銀色でした」
●消え方
私たち夫婦が見たUFOについて、明らかな特徴がひとつあった。
消え方。
消え方が、ふつうではなかった。
飛行物体が遠ざかって消えるというのではない。
スーッと空に溶け込むかのようにして、消えていった。
物体そのものが透明になり、徐々に消えた。
だから私はUFOを見たという人の話を聞くときは、いつも、消え方を聞く。
その内容によって、その話が本当かウソか、おおまかな判断ができる。
HS氏は、こう言った。
「ゆっくり頭上まで来て、それから雲と同じような色になって消えました」と。
私はそれを聞いて、「この話は、信じられる」と直感した。
●メモ
私はHS氏にいくつか質問をした。
そのつど、言葉をメモに取った。
(1) 高さは、ビルの高さほどのところだった。
(2) 大きさは、表現できないほど、大きかった。
(3) ブーメランの先端;を前に、飛んできた。
これについて、「はやしさんのコラムに書かれた飛び方とは、反対でした」と。
(私が見たのは、先端をうしろ側に、左側から右方向へ飛んでいった。)
(4) ブーメランといっても、向かって右のほうがより長かった。
左右対称ではなかった。
(5) 表面は、金属的で、黒くなかった。
HS氏の妻は、「地上の光が反射して、白く見えたのでは?」とい
●ヨタカ
あの夜、私とワイフが見たものは何だったのか。
正確に日時を覚えているわけではない。
が、ワイフと私の記憶をつき合わせると、こうなる。
1976年の夏の夜……。
長男が1歳を過ぎた、夏の夜のことだった。
長男は、1975年生まれ。
だから1976年の夏。
時刻は、ワイフは、午後11時ごろだったと言う。
私は、午前0時過ぎだったと思う。
近所を散歩し、あと少しで、自宅に戻るという、そのときだった。
巨大なUFOだった。
というより、最初、私はUFOなどとは、思わなかった。
私が本などで読んで知っていたUFOは、円盤型。
今でいう、アダムスキー型のものだった。
また見たときも、私は、それがヨタカ(夜鷹)と思っていた。
ちょうどそのとき、私とワイフは、ヨタカの話をしていた。
「ヨタカが飛ぶときは、羽が光るのよ」とワイフは言った。
●中日新聞
それから24年。
あの夜のことを、私は、中日新聞にコラムとして書いた。
「見たものは、見た」と。
この言葉には、それまでの私の怒りをこめた。
UFOの話をするたびに、みな、こう言った。
「教育評論家を名乗るなら、そういう話はしないほうがいい」と。
当時も、今も、UFOは、超常現象としてとらえられている。
霊魂や幽霊と同じレベル。
真顔でその話をすると、人によっては、私を変人とみる。
だから私は口を閉ざした。
が、見たものは、見た。
だからコラムの冒頭で、そう書いた。
「見たものは、見た」と。
●自衛隊浜松基地
以下が、そのとき発表した、新聞のコラムである。
書き足す部分があるとするなら、その夜は一睡もしなかったこと。
1時間おきに、近くの自衛隊の浜松基地に電話をしたこと。
(あるいはもっと頻繁だったかもしれない。)
やっと電話がつながったのが、午前8時30分。
いくつかの部署に電話は回された。
管制室にもつながった。
が、みな、こう言った。
「そういう報告は届いていません」「そういう話はあがってきていません」と。
が、私は食いさがった。
「そんなはずはない。あれほど巨大な物体だ。レーダーに映らないということはありえない」と。
●『見たものは、見た』
そのときの様子をコラムにしたのが、つぎのもの。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/84/imge35bb262zik5zj.jpeg
●見たぞ、UFO!(中日新聞記事より)(2000年11月発表)
見たものは見た。巨大なUFO、だ。
ハバが1、2キロはあった。しかも私と女房の2人で、それを見た。
見たことにはまちがいないのだが、何しろ25年近くも前のことで「ひょっとしたら…」という迷いはある。
が、その後、何回となく女房と確かめあったが、いつも結論は同じ。「まちがいなく、あれはUFOだった」。
その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。
時刻は真夜中の0時を過ぎていた。
そのときだ。
何の気なしに空を見あげると、淡いだいだい色の丸いものが、並んで飛んでいるのがわかった。
私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛んでいるのだと思った。
そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。
あとで聞くと女房も同じことをしていたという。
が、それを五、六個まで数えたとき、私は背筋が凍りつくのを覚えた。
その丸いものを囲むように、夜空よりさらに黒い「く」の字型の物体がそこに現われたからだ。
私がヨタカだと思ったのは、その物体の窓らしきものだった。
「ああ」と声を出すと、その物体は突然速度をあげ、反対の方向に、音もなく飛び去っていった。
翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。
その物体が基地のほうから飛んできたからだ。
が、どの部署に電話をかけても「そういう報告はありません」と。
もちろん私もそれがUFOとは思っていなかった。
私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のもので、UFOに、まさかそれほどまでに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。
が、このことを矢追純一氏(UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写真を届けてくれた。
当時私はアルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝っていた。
矢追氏はその番組のディレクターをしていた。
あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人でもある。
私と女房はその中の一枚の写真に釘づけになった。
私たちが見たのと、まったく同じ形のUFOがあったからだ。
宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。
人間だけが宇宙の生物と考えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなことだ。
そしてその宇宙人(多分、そうなのだろうが…)が、UFOに乗って地球へやってきてもおかしくはない。
もしあの夜見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私はその人と闘う。
闘っても意味がないが、闘う。私はウソを書いてまで、このコラム欄を汚したくないし、第一ウソということになれば、私は女房の信頼を失うことになる。
……とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。
この話をすると、「君は教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。
君の資質が疑われる」と言う人もいる。
しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。文を書くといっても、教育評論だけではない。
小説もエッセイも実用書も書く。
ノンフィクションも得意な分野だ。東洋医学に関する本も3冊書いたし、宗教論に関する本も5冊書いた。
うち4冊は中国語にも翻訳されている。
そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えている。
たとえばこの世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。
だからこそあえて、私はそれについて書いてみた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●記憶の確認
楽な24年間ではなかった。
というのも、記憶を維持するということだけでも、たいへんなこと。
1~2年もすると、「ひょっとしたら……」と思うようになった。
さらに数年もすると、記憶そのものが、ぼんやりとしてくる。
「夢だったのかもしれない」と思ったこともある。
周囲の人たちが、「見まちがい」「夢でも見たのでは?」と言えば言うほど、自信がなくなる。
が、そのつど、私とワイフは、たがいに確認しあった。
「あれは、本当だったね」
「本当よ」と。
こんな会話が、何度もつづいた。
「あの夜見たものは、何かのみまちがいではなかったか」と。
みなが、否定すればするほど、記憶があいまいになっていった。
ただあの夜見た、UFOの形だけは、鮮明に覚えていた。
その直後、何度もスケッチした。
私は九州へ行くことにした。
ワイフに「行くか?」と声をかけると、「私も行く」と。
楽な旅行ではない。
費用もかかる。
が、行かねばならないという気持ちが、急速に膨らみはじめた。
「決着をつけてやる」と。
●電話
HS氏には、こちらから行きますと話した。
「うちは割烹をやっていますから、夕食はうちで食べてください」と。
私「で、私のときもそうでしたが、記憶が失われないうちに、たくさんメモを残しておくといいですよ」
橋「はい、そうしています」
私「時がたつと、今度は、自分を疑うようになります。そうなると、記憶というのは、煙のように消えていきます」
橋「わかりました」と。
折り返し、HS氏から、FAXが届いた。
そこには、私が見たものと同じものが、描かれていた、
(1) 飛行ルート……私が見たものは、真西から真東へ飛んでいった。
これについては、もう少しあとに書くことにする。
で、それについてHS氏に確かめると、「私が見たものは、南から北へ、でしたね」と。
これだけの事実でこう結論づけるのは、どうかと思う。
しかしあのブーメラン型のUFOは、緯度や経度に沿って飛んでいる(?)。
私はそんな印象をもった。
●観光旅行
なおこれは私もそのとき感じたことだが、HS氏は、こう言った。
「何かの観察に来たのではないでしょうか」と。
それに対して、「私も、そう思います」と。
何かの観光旅行ではないかと思いました」と答えた。
ゆっくりと飛んできて、サッと消えていった。
そういうところから、そう感じた。
恐怖心はまったく、なかった。
「何だろう?」と思っているうちに、相手のほうから逃げていった。
「しまった、見つかった」と。
そんな感じだった。
私は、あの夜、そんな印象をもった。
●チケット
九州の博多まで、新幹線で4時間と少し。
博多から、高速バスで、約1時間半。
7月13日の午後、ワイフと2人で、チケットを買いに行った。
連休の初日前日ということもあり、駅構内は混雑していた。
チケット売り場にも、ズラリと人が並んでいた。
それを見て、私たちはくるりと体を回した。
人ごみは苦手。
旅行にしても、人の少ない時期に、人の少ないところを選んで行く。
人間嫌いというほどではないが、長くいると、頭痛が始まる。
料金は、浜松→博多まで、2万円弱。
往復で、4万円弱。
x2=8万円弱。
プラス、博多から日田市まで、高速バス。
プラス、ホテル代。
が、私もワイフも、追いつめられていた。
時間というより、人生そのものがない。
あのUFOを見てから、24年。
新聞にコラムを発表してから、12年。
私たちには、つぎの24年どころか、12年もない。
今、この時期を逃したら、もう二度とチャンスはないかもしれない。
●自分で確認する
YOUTUBEを見れば、今では、居ながらにして画像でそれを見ることができる。
ブーメラン型のUFOも、多い。
今では珍しくない。
が、それが本物かどうかということになると、確信がもてない。
映像技術も進んだ。
フェイク(ニセ)画像も多い。
で、何よりも重要なことは、自分で確認すること。
見たという人がいたら、(その人)に会い、直接話を聞くこと。
そのとき、その話が本当かウソか、それがわかる。
私たちにとって重要なことは、それが事実であること。
言い換えると、それがとりもなおさず、私たちがあの夜見たものが、事実であることの証明になる。
●BT氏からの写真
そんな折、とうとうというか、ついに、私たちは宇宙人(以下、ET)のシッポを捕(とら)まえるような事件が起きた。
12年来の友人である、BT氏からもたらされた、1枚の写真からそれは始まった。
BT氏自身が、撮影した写真である。
「何か、へんなものが写っている」と。
こういうばあい、まずその人物を疑う。
疑って当然。
しかしことBT氏に関しては、疑う余地はない。
この12年間、ずっと誠実だった。
「まじめ」という言葉を使うなら、BT氏ほど、まじめな人はいない。
またBT氏でなかったら、その写真を信用しなかっただろう。
そのあと3度、現場に足を運んだ。
もしそれがBT氏でなかったら、3度も足を運ぶようなことはしなかっただろう。
私にとって、BT氏というのは、そういう人物である。
そういう人柄を知っているから、私はその写真に
釘付けになった。
●雄踏町に現れたUFO
そのとき書いたBLOGをそのまま、ここに転載する。
【浜松市・雄踏町に現れたUFOを検証する】(2012-05-19)
●信頼できるBT氏
12年来の友人でもあり、信頼できるBT氏が、昨夜(5月18日)、1枚の写真を届けてくれた。
「何かが写っている」と、BT氏は言った。
まず、その写真をここに紹介する。
撮影したのは、2012年5月4日。
時刻は、写真の太陽光の角度からして、夕方。
(1)元の写真(矢印部に注目)
なお矢印は2か所につけたが、左の矢印のやや右側にも、もう1個、白い物体が写っているのがわかる。
(2)元の写真の明度をあげてみた。
白い物体を、より鮮明にしてみた。
(3)左の矢印部を拡大してみた。
(4)右の矢印部を拡大してみた。
昨夜(18日)と、今日(19日)、2度、現場へ行って検証してみた。
左側の物体は、屋根の上にあるように見える。
右側の物体は、道路から、10~13メートル高いところに浮かんでいたことがわかった。
詳しくは、後述する。
●現場へ
昨夜(5月18日)、午後11時ごろ、現場へ行ってみた。
場所は、BT氏より詳しく聞いていたこともあり、すぐわかった。
フラッシュなしで、撮影してみた。
●再び現場へ
今日(5月19日)、午前11時30分ごろ、オーストラリアの友人とワイフ、それに私の3人で、現場へ行ってみた。
この写真の写っている家の家人(女性)から話を聞くことができた。
(1)50歳くらいの女性だったが、写真を見て、たいへん気味悪がった。
「あら、イヤだあ」と何度も言った。
(2)枕などではないかと聞いたが、裏の屋根(北側の屋根)では、ものを干さないと答えた。
(3)白い物体に、思い当たるものはないかと何度も念を押し聞いたが、「ない」と答えた。
(4)写真を撮った位置に立ち、私たちも現場を検証してみたが、右側の白い物体は、道路から高さ10メートル以上の位置にあることがわかった。
(目測では、10~13メートル前後だった。
少なくとも、工事用のバルーン型照明器具ではないことは確認できた。)
ほぼ同じ位置から撮影してみた。
道路(浜松市内から雄踏町へ抜ける道路がある。その道路に向かって、20メートルほど、先に進んでみた。
この写真の、山の大きさから、右側の物体が、かなり高いところに浮いていたことがわかる。)
●考察
このタイプのUFOは、各地で頻繁に目撃されている。
集団で現れることが多いよう。
結論は、まさにUFOということになった。
未確認飛行物体ということになる。
あとの判断は、読者諸氏に任せる。
2012/05/19記
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●深まる謎
が、さらに驚くべきことが、つぎつぎと見つかった。
前回は、それに気がつかなかった。
球形のUFOばかりが気になった。
しかしそれだけではなかった。
本来、そこにないものが、2つ、その写真には写っていた。
「事実」というのは、そういうもの。
調べれば調べるほど、その向こうにある別の「事実」が顔を出す。
それについては、追々書くとして、私は、そしてBT氏は、ついにUFOのシッポをつかんだ。
少なくとも、私は、そう確信した。
BT氏が見せてくれた写真を、順に並べてみる。
(1) 左側のUFOと、ET、つまり宇宙人(黄色い物体)らしきもの。
(2)(1)の写真を反転したもの。
左上の黄色い物体の輪郭(以下、ETとする)が、より鮮明に写っている。
(3)BT氏提供の写真を再度掲載、確認する。(矢印の部分に注目)
(4)右側のUFO。
グーグルアースの測定器を使い、距離を測定したら、290メートルという数字が出てきた。
山の影に入っているところから、山陰ギリギリまでの距離を測定した。
(5)屋根の上の、2つの大小のUFO。
この家の家人に直接確かめたが、先にも書いたように、これは枕とか、そういうものではない。
家人は、「北側の屋根では、ものは干さない」と断言した。
(6) 屋根の上の黄色いET(?)。
屋根の上に直接、乗っているのが、わかる。
(7) 左下に女性の姿が見える。
何か棒(農作業用の道具?)らしきものをもっている。
道路から撮った写真とすると、この女性は小山の上にいることになる。
しかしここに小山があったのか?
前回、行ったときは気がつかなかった。
あとでもう一度行き、自分で確かめてみる。
黄色いETは、屋根の上からその女性を見ているようにも、とれる。
(8)明度をあげ、ETと、その左下の女性を、見やすくした。
(9)同じく、庭にいる女性。
(10)うしろ髪が長い女性であることが、この写真からわかる。
この家の家人なのか。
この写真を見せ、確かめてみる。
(報告はあとで……。)
(11)再び、屋根の上のET。
頭の上に左右、2本の角(つの)のようなものがある?
(12)左側のUFOの周辺が、円形に磁場変性しているのが、わかる。
「フォースフィールド」と呼ぶ人もいる。
水面に石を落としたように、かすかに波打っているのが、気になる。
(13)右側のUFO。
距離を290メートルとすると、かなり巨大なUFOということがわかる。
その手前下に、軽自動車がたまたま写り込んでいたが、軽くその2倍はあるということになる。
(14)右側のUFOは、山陰に隠れている。
軽自動車がその下に見える。
全体に明度をあげてみた。
(15)ET(右上)と、女性(左下)
写真のシャープ度をあげてみた。