最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●下呂温泉にて、あれこれ

2011-04-27 22:26:52 | 日記
●4月26日

●雑感、あれこれ

【不登校児の前兆】

 不登校児には、前兆症状がある。
その前兆症状がしばらくつづいたあと、さまざまな神経症的な症状が始まる。
この時期までに、適切な指導をすれば、不登校を防ぐことができる。
それがないと、ある日突然、パニック期(ジョンソン)を迎える。
あとはお決まりの、不登校。

 その前兆症状。
症状といっても、はっきりしたものではない。
症状というよりは、「勘」。
勘でわかるようになる。

●「勘」

 まず人格の「核(コア)」があいまいになってくる。
軟弱になる。
どこかグズグズした様子になり、いわゆる「何を考えているかわからない」
といったタイプの子どもになる。
さらにそれがひどくなると、表情と心の状態が、一致しなくなる。
いやがっているはずなのに、柔和な笑みを浮かべて、それに従う、など。

 こうした状態を、「遊離」という。
表情と情意(=心)が分離する。
子どもの心の健康状態としては、きわめて危険な状態ということになる。
慢性化すると、さまざまな心の問題を引き起こすようになる。

 Iさんという女の子(小2)が、そうだった。
頭の回転も速く、それなりに勉強はよくできた。
教室では、勉強をとくにいやがっているとふうでもなかった。
が、家に帰ってから母親に、あれこれ愚痴を言うようになった。
同時に母親から、たびたび電話がかかってくるようになった。
「先生のところへ、行きたがらなくて、困っています」と。

●ターゲット

 子どもは自分の行為や思いを正当化するために、いろいろな理由づけを
する。
たいていは相手が「人」であるため、私はそれを「ターゲット」と呼んでいる。
「A子さんが、意地悪する」
「B子さんが、仲間外れにする」と。
「先生が、怖い」と言うこともある。

 ともかくも、ターゲットは何でもよい。
「学校へ行きたくない」という思いが基底にあって、それを正当化するために、
あれこれ理由をこじつける。

 このターゲットにも、プラス型とマイナス型がある。
ここに書いたように、「A子さんが意地悪する」と、相手を責めるのがプラス型。
一方、「C子さんが(転校して)、いなくなったから、行きたくない」とぐずるのが、
マイナス型。

 Iさんが家でぐずるようになったのは、友人のY子さんが転校してからだった。
たしかに仲はよかったが、それほどショックではなかったはず。
親しいといっても、遊び仲間。
ほかにもいっしょに遊ぶ友だちはいた。

●教師の介入

 ここから先の話は、何度も書いた。
で、ここでは、その外側にある問題について考えてみたい。
つまりその前兆症状をとらえたとき、指導する教師は、どこまで介入できるか
という問題。
先にも書いたように、まだこの段階では、「勘」の問題。
「あぶないな?」と思う段階。

 当然のことながら、こういうケースでは、教師は2つのうちのひとつの選択に
迫られる。

(1)親に話すべきか、(2)話さずにおくか。

 というのも、この種の問題には、家庭問題がからんでいる。
ほとんどのばあい、家庭に原因があって、子どもはそうなる。
言い方をまちがえると、家庭騒動の原因ともなりかねない。
さらに言えば、「家庭」といっても、親側にそれだけの問題意識があれば、まだよい。
が、たいていの親は、「私はふつう」「私はふつうの親」「私の子は問題ない」と
思い込んでいる。
そういう親に向かって、「あなたの子どもは、不登校児になる心配があります」と、
どうして言えるだろうか。
実際には、言えない。

 教師側にも、「もしまちがっていたら……」という不安が残る。

●みな、精一杯

 が、問題はつづく。
仮にそれを親に告げたとしても、親が子どもを包む家庭環境を変えることは、
まず期待できない。
一度、それに似たようなケースのとき、父親に話したことがある。
そのとき父親は、私にこう言った。

 「うちの家内は、下の子の育児で手一杯です。
今、そんなことを家内に話したら、家内は倒れてしまうでしょう」と。

 子どもを「直す」のは、むずかしい。
「家庭環境」を「直す」のは、さらにむずかしい。
で、私のばあい、勘ではそれがわかっていても、話さない。
親のほうから相談でもあれば話は別。
しかしそうでなければ、話さない。

●結局は、不登校児に

 で、結局、Iさんは、その後数か月を待たずして、学校へ行かなくなって
しまった。
理由は、はっきりしなかった。
あれこれ理由を並べたが、そのつど理由が変わった。
(これを私は「ターゲットの移動」と呼んでいる。)
親は、(先生も)、そのつど引き回された。

 で、そのときのこと。
これは別のケースだが、私がふと、「こうなることはわかっていました」と
漏らしたことがある。
何かの拍子に、そう言ってしまった。
が、それに反応して、母親が激怒した。
「わかっていたら、どうして話してくれなかったのですか!」と。

 私は平謝りに、謝るしかなかった。
 

Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●脳みそ

 よくハードディスクは、冷蔵庫に例えられる。
メモリーは、まな板に例えられる。
パソコンを使うときは、冷蔵庫(ハードディスク)から食材を取り出し、
まな板(メモリー)の上で料理する。

 だからまな板の役割をするメモリーは、多ければ多いほどよい。
まな板が小さいと、まな板の上がすぐごちゃごちゃになってしまう。
私のパソコンも、64ビットマシンになった。
メモリーは12GB。
おかげで10前後のファイルを開き、同時に作業をしても、ビクともしない。

 で、そのまな板。
作業をしないときは、きれいに片づいていたほうがよい。
当然のことである。
同じように、脳みそも、休んでいるときは、何もないほうがよい。
真っ白というか、空っぽ。
そのほうがよい。

 実は、今の私がそうだ。
深々とした椅子。
広々としたデスク。
パソコンのモニターは、27インチ。
つまりここが私の天国。
私だけの世界。
ここに座っていると、ほっとする。
しばらく座っていると、頭の中が空っぽになる。
何も考えられなくなる。
ときどき「今まで考えてきたことは、どこへ消えたのか」と思うこともある。

 ……が、もちろん、そうでないときもある。
脳みその隅に、何か不快なものがペタリと張りつき、それが取れないときもある。
そういうとき私は、すぐこう思いなそす。
「ああ、今は、病気」と。

 パソコンにたとえるなら、ファイルが壊れている状態。
壊れているから、終了をかけても、まな板(メモリー)の上に、そのまま
残ってしまう。
こういう状態のときは、結論を出さない。
原稿を書かない。
音楽を聴いたりして、気分転換を図る。

 つまり自分の意思で、脳みそをコントロールする。
考えてみれば、これはすばらしいことである。
心理学的にいえば、「自己管理能力」ということになる。
が、それともちがう。
コンピューターにたとえるなら、コンピューター自らが、自分のCPU
(中央演算装置)をコントロールするようなもの。
実際には、コンピューターには、そんな能力はない。
ほかの動物たちにもない。
これは恐らく人間だけがもつ、特殊な能力ということになる。

 今朝の私は気分がよい。
その理由のひとつ。
今の私の脳みそは、空っぽ。
心配ごともない。
悩みも恨みもない。
不安も恐れもない。
だから気分がよい。

 みなさん、おはようございます。
2011年4月26日

++++++++++++++++++++++

●犬のハナ

 たった今、犬のハナがけたたましく吠えている。
「うるさい!」と私が叫ぶ。
階下で「いいのっ!」とワイフがなだめる。
ハナはハナで、この家を守っている。
人(犬?)一倍、番犬意識が強い。
それがよくわかっているから、私たちもなだめる程度。

 静かになるまで、数分はかかる。
今は興奮状態。
アドレナリンが中和されるまで、しばらく待つしかない。

●老犬

 そのハナもすっかり老犬になってしまった。
もうすぐ19歳になる。
月ごとに体がやせていく。
一日中、草の上で眠っている。
それがわかるから、このところ、ソーセージやミルクを、多く与える。
ハナの好物である。

 ワイフは、ときどきこう言う。
「もう、それほど長くはないかもしれないわね」と。
さみしいことだが、私は同意するしかない。
……というか、心のどこかで準備を始めた。
その日が来ても、動じないように。

 ハナ……人は、ブスという。
しかし私には、どういうわけか、美人に見える。
顔立ちもよいし、かわいい。
もう少し若いころは、よく中田島の砂丘へ連れていった。
自転車で10分前後のところにある。
そこへ行くと、ハナは、カラスを追いかけ、見えなくなるほど遠くまで、
走っていった。

 が、今のハナには、もうそれができない。
自転車で伴走しても、10分も息がつづかない。
ヘタヘタした走り方になる。
が、私にとっては、よき友。
恋人。
庭で何かの作業をしていると、すぐ私の顔をなめにくる。
おとといも、庭で組み立て式の箱を、4つ作った。
そのときも私のそばを、片時も離れなかった。

 そういうこともあって、私は庭へ出るたびに、ハナに声をかける。
が、そのつど、「もしや……」という不安が横切る。
が、ハナは裏切らない。
声をかけるたびに、……反応は鈍くなったが、頭をさげて、奥の犬小屋から
出てくる。
いそいそと出てくる。
私はハナの頭をさする。
首の下をなでる。

 ……そんな日々もやがて終わるかもしれない。
さみしいことだが、別れの日は近い。
そんな予感がする。

 ハナ、今までありがとう!
お前は、たしかにぼくの人生の一部だった。
楽しい思い出、ありがとう!

 ……こんな言葉を口にするのは、まだ少し早いかな?


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●3・11大震災

 私がおかしいのか?
それとも日本人全体が、おかしいのか?
 
私は悲観論者ではないが、今の世相はあまりも楽観的すぎる。
私は、そう思う。
原発事故をみても、みな、いろいろなアドバルーンをあげるだけ。
タンクを増設する、ロボットが格納容器に入れる、空冷の冷却機を据え付ける……。
その一方で、状況は、日々に悪化している。
つぎつぎと新たな問題が発生し、対策は後手後手。
基本的な部分は、何も解決していない。

 今回の事故について、チェルノブイリ原発とよく比較されるが、福島第一原発は、
それよりもはるかに大きい。
世界でも最大級。
原子炉の直径だけでも、6メートル弱。
格納容器の直径となると、30メートル近くもある。
建屋と呼ばれる囲いにしても、xxメートル。
巨大なビルに匹敵する。

 その中に放射性物質が、ぎっしりと詰まっている。
もし福島原発にある原子炉が、1機だけでも爆発したら、チェルノブイリ事故の
比ではない。
チェルノブイリ事故のときの約25倍もの放射性物質がまき散らすことになる。
あとは風向きしだい。
仮に東京方面に風が向かっていたら、放射性物質は6時間後には、東京に到達する
という(アメリカ軍)。

 が、それですむとは、だれも思っていない。
そうなった瞬間、もうだれも福島原発には近づけなくなる。
とたん他の原子炉もつぎつぎと爆発を繰りかえす。
近隣の原子力発電所も、同じ運命をたどる。
結果、北は東北地方全域、西は愛知県全域まで、人はだれも住めなくなる。

 原発事故はそれほどまでに恐ろしいものであり、またその可能性は、
けっして「想定外」のことではない。
すでに多くの科学者が、その可能性について言及している。

 ……その「時」が刻一刻と迫ってきている。
仮にもしそうなったら、街頭での救援金募集など、夏の日の陽炎(かげろう)のように、
空のかなたに虚しく消えるだろう。

●管総理大臣

 管総理大臣で、何が悪いのか。
よくても悪くても、今は、国家の一大事。
日本国という「国」が、危機存亡の崖っぷちに立たされている。
権力闘争を繰り返したり、内輪もめしている場合ではない。

 現に、管総理大臣が総理大臣なのだから、今は挙国一致態勢でこの難局を乗り
切らなければならない。
言うなれば戦時。
死傷者こそ少ないが、原子爆弾が数個落とされたような状況。
敵はもちろん、放射性物質。
今は管総理大臣に強力な全権限を与え、管総理大臣に協力すること。
責任問題を追及するのは、原発事故が片づいてから。
少なくとも、今は、そのときではない。

 今は、管総理大臣に、日本の命運を託すしかない。
管総理大臣にがんばってもらうしかない。
一方、私たち国民は、管総理大臣に協力する。
今ここで、管総理大臣の責任を追及したところで、問題は何も解決しない。
自民党にしても、偉そうなことは言えない。
戦後60年近く、原発を作り、それを野放しにしてきたのは、自民党ではないのか。

どうして日本よ、日本人よ、こんな簡単なことがわからないのか。
繰り返すが、今は、国家危急存亡のとき。
ここで今、経済災害(=国家破綻)が起きたら、日本は、おしまい。
本当に、本当のおしまい。
二流国(中国の首脳)どころか、アジアの小国に成りさがってしまう。


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【下呂温泉・アルメリア(ArmeriA)にて】2011年4月27日

●今夜は外泊

 明日の朝早く、岐阜県の下呂に向かう。
日帰りの温泉旅行。
昼食付きで、一泊、1万1000円(1名)。
ワイフの分は、某料理店の招待。
無料。

 朝、6時10分に、浜松駅前に集合とか。
自宅から出ていくのも難儀なこと。
そこで今夜は、中心部にあるビジネスホテルに一泊。
そのホテルからは歩いて行かれる。

 ずいぶんとぜいたくな話だが、ビジネスホテルといっても、
一泊朝食付きで、2800円。
それにクーポン券が使えるので、2人で、4800円と少し。
バスに乗り遅れるのを心配して、ハラハラドキドキするよりはよい。

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ということで、今日は、岐阜県の下呂温泉にやってきた。
日帰り入浴というので、やってきた。
丘の中腹にある、アルメリアというホテル。
英語では「ArmeriA」と書く。
最後の「A」は大文字。

が、温泉に入浴するのは、やめた。
あまりにも大勢の客に、恐れをなした。
のんびり、ゆっくりという雰囲気ではなかった。
ワイフが「いやだ」と言った。
それでやめた。
で、一度ワイフと散歩に出たが、すぐ大粒の雨が
降り始めた。

……2階にある、休憩室で、時間まで待つことにした。
今は、そこにいる。
この文を書いている。

+++++++++++++++++++++++++++

●管理社会

 いきなり硬い意見で、ごめん。

 管理社会のことを、英語では「ビュロクラティック(官僚主義的)」という。
役人という支配階級が、すべてを管理する。
その管理のもと、民衆は、役人に管理されるまま。
江戸時代を思い浮かべればよい。
管理からはずれない人たちにとっては、住みやすい世界。
従順に役人に従っていればよい。
利権、利得をたがいに守りあい、甘い汁を吸うことができる。
が、管理社会のもとでは、管理からはずれる人を、許さない。

 今回の3・11大震災のときも、こんなことがあった。
福島第一原発の事故を聞きつけ、東京電力の社長が、ヘリコプターで現地に
かけつけようとした。
が、それができなかった。
「(航空法により)午後7時の飛行は禁じられている」と。
そこで社長は電車や車を乗り継いで、東京に向かった。
(内容については、記憶によるものなので、不正確。)

 国家の一大事に、「航空法」?
これを管理社会の弊害と言わずして何という。

●旅行

 旅行するのは、たいへんよい。
若いときは、それほど深くは考えなかった。
しかし今は、そう思う。
たいへん、よい。

 理由など、今さら書くまでもない。
気分転換になる。
頭の刺激になる。
旅行にはある程度の苦痛はつきものだが、それに耐えるのも旅行のうち。

 たとえばこの飛騨地方。
私が若いころは、「秘境にある温泉地」ということになっていた。
が、今は道路も完備され、日帰りで往復できるようになった。
時は春。
木々の若芽が、一斉に吹き出している。
その間に、葉サクラ、それに真紅の桃の花。
「新緑」といっても、一様ではない。
森全体が、緑の花が咲いたように見える。

●日本の資格

 41年前のこと。
メルボルン大学のIHカレッジには、世界からの留学生が集まっていた。
半数(100人)が、オーストラリア人の学生。
半数(100人)が、世界各国からの留学生。
その留学生と話していたときのこと。
みな、こう言った。
「日本へ留学しても、意味はない」と。

 日本でいくら資格を取っても、その資格は、通用するのは、日本国だけ。
内日本以外の国では使えない。
この世界には、相互主義と言う大原則がある。
日本が外国の資格を認めないから、外国も日本の資格を認めない。
よい例が、医師免許。
アメリカの医師は、日本で開業することはできない。
一方、日本の医師は、アメリカで開業することはできない。

反対に、相互主義で認められているのが、自動車の運転資格。
しかしこれは例外。

(オーストラリアでは、一定の語学力と、一定の研修を受け、
それに合格すれば、どこの国の医師でも、医師として働くことができる。
ボーダータウンという町には、アフリカのジンバブエから来た
医師が、そのまま診療所で働いている。)

●故郷

 実はこの岐阜県は、私生まれ故郷でもある。
今では岐阜弁を奇異に感ずるほど、岐阜県から遠ざかってしまった。
それでも故郷意識は残っている。

 深い山々に囲まれた、村。
その下を流れる、コバルト色の川。
下呂の下を流れる川を、飛騨川という。
飛騨川は木曽川につながり、最後は三河湾へと流れる。
このあたりの鮎(あゆ)は、大きくて、太っている。
水の中の養分が豊富なせいだと、昔、従弟(いとこ)が話してくれた。
長良川の鮎よりは、はるかに大きい。

 そういう村を見ながら、ふとこう思う。
「こんなところにも、無数の人たちがいて、無数のドラマを展開している」と。

 一見、のどかな山村だが、その向こうには、都会生活にはない、
濃密な人間ドラマが凝縮されている。
道路沿いの木々にしてもそうだ。
そこには持ち主がいて、持ち主どうしが、やはり濃密な人間ドラマを展開している。

●言葉の壁

 その後、日本は高度成長の波に乗り、世界でも第二の経済大国になった。
東京証券取引所には、300を超える外国の企業が、上場していた。
しかしバブル経済崩壊とともに、つぎつぎと撤退。
今では10社もない。

 理由は言わずと知れた、言葉の壁。
外国企業は、一度すべての資料を日本語に翻訳しなければならない。
その費用に倒れた。

で、今では、アジアの経済の中心は、シンガポール。
アメリカへ入ってくるアジアの情報は、(東京のマーケット情報も)、すべて
シンガポール経由。
東京ではない。
シンガポール。

●岐阜県

 私は岐阜県のM市という町で生まれ育った。
しかしM町には、よい思い出というのが、ほとんどない。
私にとって「故郷」というと、母が生まれ育った「K村」をいう。
M町から車で、30~40分ほどのところにある。
が、私が子どものころには、2時間ほどかけ、バスで行った。

 もっと幼いころには、木炭バスだった。
大きさも、今でいう、マイクロバス程度ではなかったか。
私には大きなバスに見えたが、それは私が小さかったから。
当時のバスは、M町のあの狭い路地を平気で走っていた。
つまり小さかったから、それができた。

 飛騨川の風景を見ながら、しかし、こう思う。
「板取川(長良川)の風景とはちがう」と。
似ているが、ちがう、と。
どこがどうというのではないが、人工的な造作物が、長良川より多い。
川幅も、やや広い。
ときどき交差する鉄道線路も、板取川には、ない。

●ガイドの資格

 もう少し身近な例では、こんなことがある。

 浜松市の西に浜名湖という湖がある。
この湖を取り囲むように、電車が走っている。
第三セクター方式のローカル線である。
車両は1両しかない。
その電車に乗ったときのこと。
若い女性が、ガイドをしてくれた。
そのガイドがこう言った。
「私のような仕事にも、資格がいるのです」と。

 私はボランティアで、その女性はガイドをしているものと思っていた。
が、そんな仕事(?)にも、資格?

●弱い円

 X月にアメリカに行くことにした。
しかし旅費を知って、驚いた。
名古屋から、二男のいるインディアナポリスまで、往復28万円前後。
2人分で、56万円!

 「円高」「円高」と言われているが、実際には、円の価値は、かぎりなく低い。
先月、オーストラリアへ行ったときのこと。
自動販売機の缶ジュースが、1本、3ドル50セントだった。
そのときのレートで、日本円に換算すると、何と315円。
カレッジ内の自動販売機で、その値段だった。

 アメリカ人であれば、56万円と聞いて、「安い」と思うかもしれない。
が、日本人の私たちにとっては、そうではない。
「高い!」。

●ビジネスホテル

 それにしても2800円というのは、安い。
しかも朝食付き。
今、この日本では、何かしら、めちゃめちゃなことが起きつつある。
国債の格付けもさがり始めた。
このままいったら、日本全体が破産してしまう。

●56万円!

 そんなわけで、少し元気がなくなってきた。
今日もワイフにこう言った。
「アメリカへ行くのはやめようか?」と。

 56万円もあれば、日本国内で28回、旅館に泊まることができる。
こういう時節だから、一流ホテルでも、一泊二食付で、1名1万円前後で泊まれる。
2人で2万円。
だから56÷2=28で、28回。

●法のもつ融通性

 こうした日本の社会のもつ異常性は、世界を少し歩いてみるとわかる。
前にも書いたが、アメリカの南部にあるアーカンソー州では、タクシーにはメーター
すらついていない(アーカンソー州、ウチィタ町)。
料金は、乗る前に運転手と交渉して決める。

 で、2日目のこと。
予約していたタクシーはこなかった。
代わりに夫が運転する自家用車がやってきた。
いわく「(運転手の)妻が、ほかの仕事に回ったので、代わりに私が来た」と。

 アメリカでも白タクは違法なのだろうが、しかしだれもそんなことに文句を言う人は
いない。
つまり黙認。
「法」そのものが、自己責任という「自由」という幅の中で運用されている。

●日本人が出稼ぎに……

 今までは、外国の人たちが、日本へ出稼ぎに来ていた。
が、これからは日本人が、外国へ出稼ぎに行くようになる。

 たまたま今日乗ったバスの添乗員(女性)も、こう言った。
「茨城県から来ています」と。

 すぐ地震の話になったが、もちろんそれが理由ではなかった。
「茨城県には仕事がありません。それでこちらに来ました」と。

 年齢は26歳くらい。
独身。
「茨城県は、そんなにきびしいですか?」と聞くと、「そうです」と
あっさりと答えた。

 茨城県から、浜松市へ。
それがつぎの時代には、茨城県から外国へとなる。

●硬直性

 管理社会は、それ自体が、硬直性を生む。
よい例が、教育。
たとえば日本のコンピュータ教育は、韓国や台湾と比べても、20年は遅れた。
当初、時の通産省がコンピュータ教育を始めようとしたとき、それに「待った!」を
かけたのが、ほかならぬ文部省。
「教員資格のない教師を、教壇に立たせるわけにはいかない」と。

 しかもこうつづけた。
「教育学部で、コンピュータの教授を育てるのに、20年かかる」と。
結局、コンピュータ教育は実施されることはなかった。
各小中学校に数台ずつ置かれ、クラブ活動のひとつとして、位置づけられた。
今から、もう20年以上も前の話である。

 当時の日本は電子製品では、世界の頂点に立っていた。
その日本で、このザマ。

●先手、先手……

 取るか、取られるか……。
経済戦争というのは、そういうもの。
現状に満足したとたん、スキができる。
そのスキを、相手はついてくる。

 つまりこの世界では、先手、先手で攻めても、あぶない。
その緊張感が重要。
その緊張感を失ったとき、日本は敗れる。

●教育の世界では

 この40年だけでも、子どもたちの世界は、大きく様変わりした。
すべてが教育のせいとはいわないが、同時進行の形で、教育も変わった。
昔で言う「腕白少年」が、いなくなった。
男児の女児化は、すでに30年近く前から始まっている。
今では、小学校でも、「いじめられて泣くのは男児」「いじめて泣かせるのは
女児」(小学低学年)というのが、常識化している。

 問題点を整理してみよう。

(1) 野生化の喪失……困難に対する抵抗力がない。
未経験の分野には手を出さない。
小さく丸く収まった子どもほど、よい子と評される。
従順で、親や教師の指導に黙って従う子どもを、よい子と評価する。
ワクにはまったことだけをし、そのワクから外へ出ることができない。
「金儲け」というと、「就職」しか考えない。
お金が必要なら、リヤカーを引いて……という発想そのものが、ない。
(私は若いころ、リヤカーを引いて、絵を売って歩いたぞ!)

(2) 苦労を避ける……最近では、ミカンが売れなくなったという。
理由は、「最近の若い人たちは、皮をむいてまでミカンを食べない」(近郊農家)とか。
お茶にしても、そうだ。
「お湯をわかし、お茶の葉を煎じて飲む人がいない」(川根茶の中学校校長)とか。
冗談のような話だが、これらの話は、それぞれの地域の、それなりの責任の
ある立場にある人から、聞いた話である。

(3) 現実性の喪失……40年前には、「おとなになったら、何になりたい?」と
聞くと、「幼稚園の先生」とか、「電車の運転手」などと答えた(幼稚園児)。
それがそのあと、スポーツ選手になったり、タレントになったりした。
が、今は、「ゴレンジャー」とか「霊能力者」と答えたりする。

15年ほど前だが、こう言った女子高校生もいた。
「私はいつか未亡人になり、喪服を着てみたい」と。
真顔だった。

 ほかにもいろいろあるが、年を追うごとに、子どもたちは小粒になっていく。
が、それは世界の常識ではない。
だから私はときどきこう思う。
「一歩、日本の外に出たら、役に立たないだろうな」と。

●では、どうするか?

 一言で言えば、「教育にダイナミズムを取り戻す」。
そのためには、教育を自由化する。
主要教科は学校という「場」で教える。
が、そのほかの実用的な教科は、学外教育に任せる。
英会話にしても、民活を利用したほうが、はるかにうまくいく。
真剣さそのものが、ちがう。
「何でもかんでも学校で……」という発想そのものが、陳腐。

 その一方で、教職を専門化し、教師を雑務から解放する。
「教育」のみに専念できるようにする。
医療機関における医師を想像すればよい。
診察室(教室)から患者(生徒)が一歩でも出たら、それはもう医師(教師)の
責任ではない。
あとは患者(生徒)の自己責任に任せる。
死のうが、生きようが、(生徒のばあいは、そうはいかないが……)、
それは患者の勝手。

●変化する学校教育

 もっとも教育現場は、今、大きく動き出している。
クラブ制(ドイツ、イタリア)への動きも、見られる。
習熟度別授業にみられるように、能力別教育も、常態化している。
文科省もけっして手をこまねいているわけではない。
それはよくわかる。
しかしすべてが後手後手。

 隣の韓国では、教科書の電子ブック化を始めた。
が、この日本では、まだ議論の段階。
アメリカの大手電子機器メーカーが「無料で提供する」と申し出ている。
が、それも無視。

 今どき「教科書」だなんだと言っているのは、日本と、周辺の全体主義国家
だけ。
文科省は「検定」と「国定」とは違うという。
なら、どこがどうちがうというのか。
オーストラリアにも検定制度というのは、ある。
しかしそれをするのは、民間団体。
また検定するのは、(1)暴力的表現と、(2)性描写表現のみ(南オーストラリア州)。
政治的、歴史的表現については、検定してはならないと、むしろ逆に釘を刺している。

 だったら、教科書の検定制度など、即刻、廃止したらよい。
教育行政にしても、各都道府県単位から、さらには市町村単位にまで、権限を委譲
したらよい。
学校の設立も自由化する。
現にアメリカでもカナダでも、そうしている。

 それとも「国」は、何を恐れているのか。
何を心配しているのか。
教科書の電子ブック化にしても、困るのは教科書会社だけ。
天下り先が減る、文科省だけ。
言うまでもなく、あの教科書には、巨億の利権がからんでいる。

●INDEPENDENT THINKER

 大切なのは、みなが、自分で考え、自分で判断し、自分で行動すること。
もちろんその責任は、自分で取る。
民主主義の原点は、ここにある。
言い換えると、民主主義の発展のためには、管理という規制を緩める。
民間に任すものはどんどんと任す。
行政機構を簡素化し、縮小する。

 もちろん失敗もあるだろう。
しかし民衆は、その失敗を通し、試行錯誤する。
それを繰り返しながら、民衆は自らの力で、民主主義を完成させていく。
一方、行政側も、すべてを背負い込まないこと。
できないことは、「できない」とはっきりと言えばよい。

 たとえば街路樹から落ちる、枯れ葉。
今ではあの枯れ葉を「ゴミ」と考える人がふえている。
だから道路に枯れ葉が散乱すると、その地域の住民たちはすぐ、市や町に苦情を入れる。
市や町はそのために税金を投入し、人員をふやす。
同時に権限と管轄を広げる。
こうした安易な依存性が、他方で、民主主義の発展を阻害する。
 
 ……少し疲れてきたので、結論へと飛躍したが、平たく言えば、そういうこと。

●下呂温泉、アルメリア

 「アメリカのアルメリアか?」と。
そういうふうに覚えれば、記憶しやすい名前である。
横文字のホテル名は、覚えてもすぐ忘れる。
中には、スペイン語やフランス語名のホテルもある。
そういうのは、すぐ忘れる。

 かなり大がかりな、ホテルである。
丘の上からの眺望もよい。
今回は日帰りだが、次回は、ゆっくりと泊まってみたい。
客を喜ばせる趣向が、あちこちにこしらえてある。
都会のホテルのような洗練された雰囲気はないが、その分だけ、田舎臭さが、
あちこちに残っている。
それが客の心をほっとさせる。

 ついでにアルメリアの情報。
正式名は、

KUSAKABE
AMERIA
(ホテル くさかべアルメリア)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【小学1年生に、「組み合わせ」を教えてみる】

今週は、実験的に、小学1年生に「組み合わせ」の概念を教えてみました。
「小学1年生に、組み合わせ?」と驚かれる人も多いかと思います。
が、結果は、ご覧の通りです。

文科省の定める「カリキュラム」が、いかにチンプで、子どもたちの心を捕えて
いないか。
それをこのビデオを通して、理解してもらえれば、うれしいです。

幼児でも、正負の数、分数、小数……、すべて理解できます。
問題は教え方。
教え方だけ工夫すれば、教えられます。

では、お楽しみに!

(BW教室のみなさんは、復習にお役立てください!)

(1)

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(2)

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(3)

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(4)

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 小学1年生 組み合わせ 組合わせ 組合せ 確率)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●4歳児の幼児教室byはやし浩司

2011-04-26 08:08:33 | 日記
【教師のニヒリズム】

●雑感、あれこれ

 不登校児には、前兆症状がある。
その前兆症状がしばらくつづいたあと、さまざまな神経症的な症状が始まる。
この時期までに、適切な指導をすれば、不登校を防ぐことができる。
それをしないと、ある日突然、パニック期(ジョンソン)を迎える。
で、あとはお決まりの、不登校。

 その前兆症状。
症状といっても、はっきりしたものではない。
症状というよりは、教える側の「勘」。
勘でわかる。

●「勘」

 まず人格の「核(コア)」があいまいになってくる。
軟弱になる。
どこかグズグズした様子になり、いわゆる「何を考えているかわからない」
といった様子の子どもになる。
さらにそれがひどくなると、表情と心の状態が、離れ始める。
いやがっているはずなのに、柔和な笑みを浮かべて、それに従う、など。

 こうした状態を、「遊離」という。
表情と情意(=心)が分離する。
子どもの心の健康状態としては、きわめて危険な状態と考えてよい。
慢性化すると、さまざまな心の問題を引き起こすようになる。

 Iさんという女の子(小2)が、そうだった。
頭の回転も速く、それなりに勉強はよくできた。
教室では、とくにいやがっているとふうでもなかった。
が、家に帰ってから母親に、あれこれ愚痴を言うようになった。

●ターゲット

 子どもは自分の行為や思いを正当化するために、いろいろな理由づけをする。
たとえばおけいこ塾などへ行きたくないときは、こう言う。
「先生が、怖い」と。

たいていは相手が「人」であるため、私はそれを「ターゲット」と呼んでいる。
「A子さんが、意地悪する」
「B子さんが、仲間外れにする」と。
「先生が、私を叩く」と言うこともある。

 ともかくも、ターゲットは何でもよい。
「学校へ行きたくない」という思いが基底にあって、それを正当化するために、
あれこれと理由づけをする。

 このターゲットにも、プラス型とマイナス型がある。
ここに書いたように、「A子さんが意地悪する」と、相手を責めるのがプラス型。
一方、「C子さんが、(転校して)いなくなったから、行きたくない」とぐずるのが、
マイナス型。

 Iさんが家でぐずるようになったのは、友人のY子さんが転校していってからだった。
たしかに仲はよかったが、それほどショックではなかったはず。
親しいといっても、遊び仲間。
ほかにもいっしょに遊ぶ友だちはいた。

●話すべきか、話さざるべきか

 ここから先の話は、何度も書いた。
で、ここでは、その外側にある問題について考えてみたい。
つまりその前兆症状をとらえたとき、指導する教師は、どこまで介入できるか
という問題。
先にも書いたように、まだこの段階では、「勘」の問題。
「あぶないな?」と思う段階。

 当然のことながら、こういうケースでは、教師は2つのうちのひとつの選択に
迫られる。

(1)親に話すべきか、(2)話さざるべきか。

 というのも、この種の問題には、家庭問題がからんでいる。
ほとんどのばあい、家庭に原因があって、子どもはそうなる。
言い方をまちがえると、家庭騒動の原因ともなりかねない。
さらに言えば、「家庭」といっても、親側にそれだけの問題意識があれば、まだよい。
が、たいていの親は、「私はふつう」「私はふつうの親」「私の子は問題ない」と
思い込んでいる。
そういう親に向かって、「あなたの子どもは、不登校児になる心配があります」と、
どうして言えるだろうか。
実際には、言えない。

 教師側にはいつも、「もしまちがっていたら……」という不安も残る。

●家庭環境

 が、問題はつづく。
仮にそれを親に告げたとしても、親が子どもを包む家庭環境を変えることは、
まず期待できない。
一度、それに似たようなケースのとき、父親に話したことがある。
そのとき父親は、私にこう言った。

 「うちの家内は、下の子の育児で手一杯です。
今、そんなことを家内に話したら、家内は倒れてしまうでしょう」と。

 子どもを「直す」のは、むずかしい。
「家庭環境」を「直す」のは、さらにむずかしい。
で、私のばあい、勘ではそれがわかっていても、話さない。
親のほうから相談でもあれば話は別。
しかしそうでなければ、話さない。

●不登校

 で、結局、Iさんは、その後数か月を待たずして、学校へ行かなくなって
しまった。
ある朝、突然、大暴れした(パニック期)。
「学校へ行かない!」と言って、泣き叫んだ。
理由は、はっきりしなかった。
そのあと、あれこれ理由を並べたが、そのつど理由が変わった。
(これを私は「ターゲットの移動」と呼んでいる。)
親は、(先生も)、そのつどIさんの言葉に、引き回された。

 で、そのときのこと。
つまり不登校児になってからしばらくしてからのこと。
私がふと、「こうなることはわかっていました」と漏らしたことがある。
何かの拍子に、そう言ってしまった。
すると母親は、こう言って、叫んだ。
「わかっていたら、どうして早く言ってくれなかったのですかア!」と。

 ……ここに書いたIさんというのは、もちろん架空の子どもである。
いろいろなケースを混ぜて、Iさんとした。
しかしこういうケースは、多い。
が、その逆のこともある。

 印象に残っている母親に、Fさんという人がいた。
私がFさんの子どもについて、問題点を告げようとしたときのこと。
その母親は、私にこう言った。

「あんたは、黙って、子どもの勉強だけをみていてくれればいい」と。
そういうケースもある。

●ニヒリズム

 結局は、この言葉に行き着く。
「ニヒリズム」。
若いころ、どこかの塾の先生が、何かの会合で、この言葉を教えてくれた。
いくら教育に没頭しても、最後の10%は、自分のためにとっておく、と。
それがないと、傷つくのは、いつも教師の側ということになる。

 もちろん打診はする。
それとなくその話はする。
親の反応をみながら、つぎの話をする。
が、そのとき「距離」を感じたら、そのまま引きさがる。
「距離」というのは、「話してもわかってもらえないだろうな」という距離感をいう。
中には聞く耳すらもたない親がいる。
「うちの子どものことは、私がいちばんよく知っています」とばかり、教師の
言葉をはねのけてしまう。

私「……あのう、家で、何か心配なことはありませんか?」
母「ありません」
私「ぐするようなことはありませんか?」
母「うちでは、ふつうです」と。

 最近では「モンスター・ペアラント」という言葉もあるが、その一方で、
「ブレイン・レス・ペアラント(思考力のない親)」という言葉もある。
そこに問題があっても、それについて考えようともしない。
「私がぜったい正しい」と思い込んでいる。

 実際、こういう親に出会うと、教える側は絶望感すら覚える。

●宿命

 が、こう考えることもできる。
「それが子育て」と。

 「失敗」という言葉は使いたくないが、(ほかに適切な言葉がないので)、
しかし親は自分で失敗してみて、はじめてそれが失敗と気づく。
が、失敗をどうこう言うのではない。
これは子育てにまつわる宿命のようなもの。 

 裏を返して言うと、失敗のない子育てというのはない。
みな、その失敗を繰り返しながら、子育てをし、親は親になっていく。
たとえば子どもの不登校にしても、今では何でもない問題だし、おおげさに
考える必要はない。
その後の対処さえ適切であれば、いつかかならず笑い話になる。
そのときどきには、親はアタフタするが、そのアタフタの中から、無数の
ドラマが生まれる。
そのドラマに生きる価値がある。
生きる喜びも、そこから生まれる。

 が、賢い親になることはできる。
いろいろな鉄則がある。

(1)我が子を見るときは、他人の目で。……ときには自分の子どもが、他人の目には
どう見えるか。客観的に見てみる。

(2)先生と話すときは、聞き上手。……先生があれこれ言っても、反論しない。
聞き役に徹する。

(3)風通しのよい家庭環境に心がける。……ほかの父母から孤立しない。
情報交換がしやすい家庭環境に心がける。
 
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 教師の限界 親の限界 ニヒリズム)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●4月26日

++++++++++++++++++

今日も始まった。
がんばろう。

今日は4月26日、火曜日。
肌寒い朝。
起きてすぐ、30分、歩いた。
かなり汗が出た。
が、それが乾くと、今度は寒気。
「寒いなあ……」と思いつつ、
書斎の椅子に座る。

言い忘れたが、おととい、書斎の
模様替えをした。
どこかの会社の社長室のようになった。
大きなデスクに、深々とした椅子。

……やっぱり、こたつのほうが
よかった……と。
心のどこかでそう思う。

+++++++++++++++++

●調子

 数日前から、(やっと)、調子が戻ってきた。
まず書きたいことが、ぼんやりとした形で、浮かんでくる。
それを一気に、キーボードを叩いて吐き出す。

 調子が悪いときは、それがひとつの「固まり」ならない。
書いているうちに文章がバラバラになってしまう。

 調子がよいときは、書きたいことが小川の流れのようになって、
外に出てくる。
文章もまとまる。

 昨日ワイフに、「やっと調子が戻ってきた」と言うと、ワイフがうれしそうに
笑ってくれた。
3・11大震災のあと、ショック状態になってしまった。
文が書けなくなってしまった。
調子が狂ってしまった。
「ぼくはもうこれで文が書けなくなるかもしれない」と思ったこともある。

 しばらく悶々とした日々がつづいた。
苦しかった。
が、数日前から、また書けるようになった。
まだ慣らし運転という段階で、つっこみも甘いが、それでも書けるようになった。

ホ~~~ッ!

 今朝は、そんな心境。

(はやし浩司)ー(書くこと)=NOTHING

●3・11大震災

 ところであの震災を、何と呼ぶか。
当初、政府の呼び名は、二転三転したように思う。
最近は、「東北関東大震災」と呼んでいる。
が、私は当初から、「3・11震災」もしくは、「3・11大震災」と書いている。
どちらでもよいが、週刊誌などでは、「3・11大震災」と書くことが多く
なってきた。

 私は「3・11大震災」のほうが、よいのではと思う。
わかりやすいし、あの忌まわしい3月11日を、永遠に記憶にとどめることができる。
毎年、3月11日がやってくるたびに、気持ちを引き締めることができる。

●「福島」ナンバー

 最近、浜松市内でも、「福島」ナンバーの車をよく見かけるようになった。
しかしこれには異論もある。

 時期が時期だから、「福島」という県名に敏感になっているのでは、と。
つまり目立つ。
だから「よく見かけるようになった」と。

 が、ほかの県の車に比して、多くなったのは事実。
たいていどこの駐車場にも、1台や2台は止まっている。
で、あるBLOG(「浜松祭り 中止 反対」で検索してヒット)には、こうあった。
「浜松へ来て、うそのように平和なのには、驚いた」と。

 はるばる遠くから避難してきた人たち。
暖かく迎えてやろうではないか。
「浜松で、ゆっくりとくつろいでください」と。

●YOUTUBE

 YOUTUBEでは、「インサイト情報」を見ると、毎日のアクセス数が
そのままグラフとなって表示されるようになっている。
それによると、このところアクセス数が、900件/1日を超えるようになった。
BLOGとちがい、アクセス数が安定している。
(BLOGは、1週間も投稿しないでいると、アクセス数が、ガクンと落ちる。)

 1000件まで、あと一歩。
コメントも、世界中から集まる。
外国では、日本語の勉強に利用している人が多い。

 で、先ほど、年中児(4歳児)クラスの様子を撮ったビデオを、UPした。
この年齢の子どもを、50分間、レッスンに引きつけておくのは、容易なことではない。
テンポを速くし、リズミカルにレッスンを進める。
間(ま)をおいたとたん、子どもたちの注意力が散ってしまう。
頭が冷たくなってしまう。

だから真剣勝負。
私と子どもとの真剣勝負。
一見、気楽に教えているように見えるかもしれないが、50分もつづけると、
私の方がヘトヘトになる。

そんな苦労を、つぎのビデオを通して理解してもらえれば、うれしい。

【新年中児(4歳児)・あいさつ】

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Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●日本の非常識

2011-04-25 12:18:06 | 日記
【常識という非常識】

+++++++++++++++++++++

まず、こんな話。
実際、あった話。
じっくりと読んでほしい。
つまりこの話を読んで、あなたはどう感ずるか?
それを心の中で、さぐってほしい。

+++++++++++++++++++++

●ある中華料理店

 10年ほど前のこと、中国の北京から1組の夫婦が、その通りにやってきた。
夫の方は、父親が日本人だった。
妻の方は、生粋の中国人。
その夫婦は、通りの一角に、中国料理店を開いた。

 最初は、結構、繁盛していた。
「1日、日本で働けば、中国での1か月分の稼ぎになる」と、
その夫婦は、そう言って喜んでいた。
が、そこへ不景気の嵐。
1、2の店がシャッターを下ろしたのをきっかけに、客足が通りから急速に遠のいた。
そのときのこと。

 その中華料理店の隣が、中高年以上の女性を相手にしたブティック。
さらにその隣が、印鑑屋。
そのブティックの店が、週休2日から、週休4日になった。
実際には、午後の数時間だけ、店を開いた。
印鑑屋も、シャッターを半分、下ろした。

 が、これに先の中国人夫婦が、怒った。
怒って、ブティックと印鑑屋へ怒鳴り込んでいった。
ものすごい剣幕だったという。
「店、ちゃんと、開けるあるね!」と。

 驚いたのは、ブティックを経営していた女性。
それに印鑑屋の男性。
「店を開けるか、閉めるかは、私たちの自由」と。
ブティックの女性は、こう言った。
「あんなメチャメチャな話は、聞いたことがありません」と。

●常識

 アインシュタインは、かつてこう言った。
「常識などというものは、その人が18歳のときにもった偏見のかたまりである」と。

 みなさんは、この中華料理店の夫婦の話を読んで、どう感じただろうか。
恐らく中国人夫婦の言い分は、めちゃめちゃと感じたにちがいない。
が、つぎの話を読んだら、その(感じ)は、かなりちがってくるはず。
これも私が直接、経験した話。

 ……先月、私はオーストラリアへ行ってきた。
そこでのこと。
どんな町でも、少し郊外へ行くと、みな、日本では考えられないような大豪邸に
住んでいる。
(家の質そのものは、よくないが……。)
居間だけでも40畳程度、あるいはそれ以上にある。
どの部屋も、20畳以上。
そういう部屋が、4~10個もある。

 アメリカ映画にもそういうシーンが、よく出てくる。
しかし映画で見るのと、実際に見るのとでは、印象は大きくちがう。
つまりびっくりする。

 もちろん土地も広い。
エイカー単位。
1エイカーは、約4000平方メートル。
つまり1200坪。

 そこで私は聞いた。
「税金は、どうしているのか?」と。
つまり「税金は高いだろうな」という思いをもって、そう聞いた。
が、彼らの答は意外なものだった。

 「税金は、Land Valuer(不動産鑑定人)が、最初に決める」と。

 平たく言えば、家の広さも、土地の広さも関係なし。
立地条件や環境、それに家の質で決まる、と。
たとえばショッピングセンターが近くにあれば、バリュー(価値)は高くなる、と。

●家の価値

 だから彼らは、隣の家の芝生が伸び放題になっていると、それについて、隣の
家に対して文句を言う。
アメリカに住んでいる二男も、そう言っていた。
「芝生を刈らないと、近隣の人たちに文句を言われる」と。

 家の価値は、環境によって決まる。
こんな当たり前のことですら、日本では、非常識となる。
ご存知のように、土地の税金にしても、市の中心部からの距離によって決まる。
(それほど単純ではないが、この意見には、だれも異議を唱えないだろう。)

 そのこともあって、欧米人は、通りから見た美しさを、大切にする。
通り全体、町全体の景観を大切にする。
少なくとも灰色のブロック塀で、自分の土地を囲むということはしない。
庭木にしても、通りに近い方に低木、家に近い方に高木を植える。

 こうして「質」を高めることによって、家の「価値」を高める。
家の「価値」が高くなれば、売買するにも有利。
銀行からの借入金もふやせる。

 こうした伝統が、何百年にも渡って、つづいている。
意識そのものが、ちがう。
常識そのものも、ちがう。
それが通りの美しさにも、大きく影響している。

●視点

 「中国でも同じ」とは、私には言えない。
そこまで詳しく中国のことを知らない。
しかし日本人がもっている常識が、世界の常識と考えるのは、まちがい。

 たとえば義兄は、浜松市内の中心部に住んでいる。
人口密集地で、電柱から電柱へと、蜘蛛の巣のように電線が走り回っている。
それがぞっとするほど、不気味。

 家々は軒をつらね、その家々は、これまたてんでバラバラの作り。
洋風の家もあれば、和風の家もある。
事務所もある。
医院もある。
色もめちゃめちゃ。
もちろんその多くは灰色のブロック塀で取り囲まれている。

 一方、私の家は、郊外にある。
目の前には、小さいが森もある。
が、固定資産税ということになると、義兄の土地家屋のほうが、はるかに高い。
財産価値が高い。

 考えてみれば、これほど非常識なことはない。
ほんの少し視点を変えるだけで、ものの価値観が、180度変わる。
これもそのひとつ。

 先に書いた中国人夫婦がもっている常識は、欧米人のそれに近いのかもしれない。

●杓子定規

 日本人は、そういう点でも、ものの考え方が杓子定規。
私は、こんな経験をした。
ありのままを書く。

 30歳になったころのこと。
学研という出版社から、「経穴辞典を書いてほしい」という依頼をもらった。
「経穴」というのは、鍼灸でいう「ツボ」をいう。

 私はさっそく、作業に取りかかった。
……といっても、資料そのものがない。
私は香港の友人を通して、中国本土の本を取り寄せた。
その本をたたき台にし、本を書き始めた。

 で、8~9割完成したところへ、出版社から横やりが入った。
「つぼの取り方(取穴法)は、日本式で行く」と。

 日本式?

 1972年ごろには、日本の和漢、鍼灸は、完全に消滅していた。
そういった仕事は、身体に障害のある人たちのものということになっていた。
が、突然の鍼灸ブーム。
中国での針麻酔がきっかけだった(1972年)。

 そこで立ち上がったのが、日本鍼灸学会。
(少なくとも私がその学会名を知ったのは、30歳くらいのころ。)
最初の作業が、経穴(つぼ)の位置の特定。

 が、これがまあ、とんでもないほど杓子定規。
鎖骨から~寸下が、XXと。
寸法を基準に、経穴(つぼ)を決めていた。

 一方、中国では、たとえば腕を曲げたり伸ばしたりし、そこにできた凹み(穴)など
に取穴していた。
私はその中国式で、本を書いていた。
が、それがすべて御破算。

 私はすべてイチから書きなおしを迫られた。
理由を聞くと、「WHOで、取穴法をめぐって、中国式と日本式が戦っている。
この本を日本式を主張するためのたたき台にしたい」と。

 おかげでその本を書くのに、7年もかかってしまった。
本当は、最初の1年で完成していた。
それを7年!
やる気があるのとないのとでは、作業のスピードもちがう。
私は完全にやる気を失っていた。
中国式のほうが、はるかに合理性がある。
それに中国の中国式。
勝てるわけがない!

 ……で、7年。
悶々とした作業の中で、私は7年も無駄にした。
で、そうしてできあがった本が、「東洋医学・経穴編」(学研)である。

●常識論

 再び、常識論。
私たちは何をもって、常識というか。
冒頭の話に戻る。

 「店を開けるか、閉めるか、それは個人の自由」と、日本人は考える。
もう一歩話を進めれば、「芝生を荒れ放題にしようが、美しく刈り込もうが、個人の
自由」と、日本人は考える。

 おかしな個人主義がはびこっている。
空地があれば、そこに家を建てる。
まわりの景観を考えて家を建てる人は、まずいない。
調和を考える人は、さらに少ない。
また隣におかしな家が建っても、だれも文句を言わない。
フランス風の家もあれば、イタリア風の家もある。
デザインも色も大きさも、てんでバラバラ。
しかしこれこそ、世界の非常識。

 言い換えると、世界の常識を知れば知るほど、先の中国人の夫婦の考え方に
近くなっていく。
日本人の私たちにしてみれば、とんでもない非常識な言動に見えるかもしれない。
しかしひょっとしたら、私たち日本人の常識のほうが、おかしいかもしれない。
「常識」というのは、そういうもの。
だからといってその中国人夫婦の言動が、すべて正しいというわけではない。
ないが、私たちのもっている常識は、じゅうぶん、疑ってみる必要がある。

 常識論については、12、3年ほど前から、書いてきた。
中日新聞に書いた記事の中から、さがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本の常識、世界の非常識

● 「水戸黄門」論……日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちが
っているかといっても、身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分
制度という(巨悪)にどっぷりとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、
その「おかしさ」がわからないほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋
章を見せつけて、人をひれ伏せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきではない
のか。仮に水戸黄門が悪いことをしようとしたら、どんなことでもできる。それこそ19
歳の舞妓を、「仕事のこやし」(人間国宝と言われる人物の言葉。不倫が発覚したとき、そ
う言って居直った)と称して、手玉にして遊ぶこともできる。

● 「釣りバカ日誌」論……男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になってい
る。その背景にあるのが、「男は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関
係なし」と。しかしこれこそまさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事
の同僚と飲み食い(パーティ)をするときは、妻の同伴が原則である。いわんや休日を、
夫たちだけで過ごすということは、ありえない。そんなことをすれば、即、離婚事由。「仕
事第一主義社会」が生んだ、ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみる。

● 「森S一のおふくろさん」論……夜空を見あげて、大のおとなが、「ママー、ママー」と
泣く民族は、世界広しといえども、そうはいない。あの歌の中に出てくる母親は、たしか
にすばらしい人だ。しかしすばらしすぎる。「人の傘になれ」とその母親は教えたというが、
こうした美化論にはじゅうぶん注意したほうがよい。マザコン型の人ほど、親を徹底的に
美化することで、自分のマザコン性を正当化する傾向が強い。

●「かあさんの歌」論……窪田S氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(3行目と4行目)
は、かっこ(「」)つきになっている。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだ
だよ」「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だ
で。畑が待ってるよ」と。しかしこれほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。
親が子どもに手紙を書くとしたら、「♪村の祭に行ったら、手袋を売っていたよ。あんたに
似合うと思ったから、買っておいたよ」「♪おとうは居間で俳句づくり。新聞にもときどき
載るよ」「♪春になったら、村のみんなと温泉に行ってくるよ」だ。

● 「内助の功」論……封建時代の出世主義社会では、「内助の功」という言葉が好んで用い
られた。しかしこの言葉ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう
論ずるまでもない。しかし問題は、女性自身がそれを受け入れているケースが多いという
こと。約23%の女性が、「それでいい」と答えている※。決して男性だけの問題ではない
ようだ。

※……全国家庭動向調査(厚生省98)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」
という考えに反対した人が、23・3%もいることがわかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
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の常識)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●民主主義と公僕意識

2011-04-25 10:24:45 | 日記
●改めて、浜松祭り中止について考えてみる(浜松市民、もの言わぬ従順な民)

+++++++++++++++++

浜松まつり本部の会長が、
鈴木康友氏?
浜松市長?
どうして?
どうして祭りの
会長が市長なのか?
市民の祭りまで、市長に
管理されているのか?

+++++++++++++++++

●中止になった浜松まつり(祭り)

 浜松まつり本部(浜松市役所内、観光交流課)は、去る3月18日、今年度の
浜松祭りの中止を決定した。

鈴木康友浜松市長名で出された通達には、いくつかの理由が並んでいる。
通達の一部を抜粋する。

+++++++++++以下、中止通達の一部++++++++++++

 ……こうした状況のなか、参加自治会の代表である浜松まつり本部総務部会を開催したところ、一部には、「例年同様にやりたい」、「規模縮小で開催」という意見もあったものの、多くは、「開催しても参加を辞退する」、「初家からも辞退申し出がある」、「中途半端なまつりはやるべきではない」、「どちらにしても皆が足並みを揃えるべきだ」などの意見が出され、まつりの性格上制限をかけたまつり開催が難しいことを含め、地域を挙げて初子を祝うという一体感が身上である「浜松まつり」の運営が事実上困難であると判断し、開催しないほうがよいとの結論に達しました。

あわせて、例年、多くの関係機関のご協力のもと、まつりの安全運営に努めてまいりましたが、交通規制・雑踏警備・救急搬送などまつり開催時に例年同様の対応について依頼することが難しいと想定されます。

これらのことから、浜松まつり本部を構成する4団体で協議し、3月18日に「浜松まつり行事すべてを中止する」ことを決定させていただきました。

3月19日からの連休中に本格的なまつり準備を進める自治会も多いことから急遽、記者発表させていただいた次第です。

+++++++++++以上、中止通達の一部++++++++++++

●祭り

 祭りなどというものは、やりたい人が、やりたいときに、やればよい。
やりたくない人は、やらなくてもよい。
それが原点。
全員参加が望ましいが、しかしかならずしも、それにこだわる必要はない。
つまり祭りというのは、庶民レベルから、庶民のエネルギーが結集して生まれるもの。
江戸時代という封建時代ならともかくも、「お上(かみ)」うんぬんが、口を
出すべきことではない。

 よい例が、官製祭り。
浜松市も、ほぼ10年ごとにいろいろな祭りを企画し、何とか軌道に乗せようとして
きた。
が、官製祭りは、ことごとく失敗している。
最初の数年はもりあがるものの、その後衰退、消滅。

 世界の祭りを見てみろ。
北朝鮮のような国もある。
あの国では、祭りも含めて、庶民の活動は、すべて統制されている。
一方、オーストラリアのような国もある。
あの国では、祭りも含めて、庶民の活動は、すべて庶民が主体となって推し進める。
役人が口を出すのは、つぎのつぎ。
ふつうは、口を出さない。

●安全運営?

 通達をよく読んでほしい。
浜松祭りは、つまりは役人の「ご都合主義」によって、中止された。
安全確保がむずかしいとか、何とか。
いわく「……交通規制・雑踏警備・救急搬送などまつり開催時に
例年同様の対応について依頼することが難しいと想定されます……」と。
 
 ここに出てくる「安全運営」という言葉。
その言葉に注目してほしい。

この言葉ひとつで、浜松祭りは、キバを抜かれてしまった。
「祭り」というよりは、「管理行事」。
何から何まで、管理、管理、また管理。
今では、祭りに出るにも、有料のワッペンが必要。
練り(祭りの行進)に参加するのにも、提灯が必携品。
そのほか定められたルールを数え上げたら、キリがない。

 結果、浜松祭りは、どうなったか?

 私が浜松へ来たころの祭りは、おもしろかった。
迫力もあった。
けが人も続出したが、喧嘩とけがは、祭りのつきもの。
それがあるから、「祭り」。

また練りにしても、ゲリラ隊というものもあった。
それぞれのグループが、好き勝手に、浜松市内を練った。
私は、よそ者ということもあって、町内の祭りには参加できなかった。
毎年ゲリラ隊のほうで、祭りに参加した。
結構それが、おもしろかった。
今からちょうど40年前のことである。

●自己責任

 話はそれるが、「自己責任」という言葉がある。
が、私たち日本人は、何か問題が起きると、すぐ「国が……」「国が……」という。
世界でも類を見ないほど、「国」に対する依存性の強い国民と考えてよい。

 たとえばアメリカでは、崖っぷちを走る道路にさえ、ガードレールはない。
オーストラリアでも、ガードレールはめったに、見かけない。
「事故を起こすのは、あなたの勝手」と。
「自己責任」のルールが、徹底している。
こんなことがあった。

 アメリカ大陸を縦断して、ミズリー川という、とてつもなく大きな川が流れている。
あの川は、数年おきくらいに氾濫し、大洪水を引き起こしている。
私がたまたまアメリカへ行ったときも、そうだった(2001年・9・11事件の
あった年)。
で、私が「どうして護岸工事をしないのか?」と聞くと、市の福祉課(アーカンソー州・
リトルロック市)に勤めていたS氏がこう話してくれた。

 「ミズリー川の護岸工事には、莫大な費用がかかる。
そんな護岸工事にお金をかけるくらいなら、洪水で流された家を、建てなおしてやった
ほうが安くつく。
それに護岸工事をすれば、自然の景観を壊してしまう」と。

 洪水で流される家の持ち主にしても、流されたからといって、文句を言わない。
最初から、そういうものと割り切っている。
洪水だけではない。
ハリケーンや竜巻にしても、そうだ。

●中止、反対 

 想定外の(?)大震災、それにつづく大洪水。
東北地方の人たちは、たいへんな被害を被った。
それは事実だが、だからといって、浜松祭りを中止するのは、どうか。
私は浜松市が祭りの中止を発表した翌日の3月19日朝に、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●Fight Back (2)【浜松祭り・中止反対!】

+++++++++++++++++

2011年3月19日。

Fight Back (2)。

元気な町が、元気を失ってはいけない。
元気な町まで、沈んではいけない。
元気な町は、さらに元気を出す。
さらにがんばる。
この先、この日本を支えていくのは、
元気な町。
つまり、浜松!
この浜松市!
その元気を見て、ほかの町もがんばる。
ほかの県もがんばる。
それを見て、日本もがんばる。

運命はある。
あるが、最後の最後のところで、ふんばる。
ふんばるところに、生きる意味がある。
価値がある。
運命に負けてはいけない。
運命を恐れてはいけない。
恐れたとたん、運命は、キバをむいて、
私たちに襲いかかってくる。
運命というのは、そういうもの。

今が、そのとき。
さあ、ふんばろう。
浜松のみなさん、がんばろう。
被災地のみなさんに、こう言って、エールを
送ろう。
日本は、まだまだだいじょうぶ!
私たちががんばって、復興資金を作る。
その資金で立ちなおる。
東北の都市を、すべて、再興させる。
放射能で汚染された土地は、すべて取り除く。
新しい土をそこに敷く。
米を作る。
再び、福島米を食べる。
岩手米を食べる。
その日まで、私たちは負けない。
さあ、ファイト・バック!

++++++++++++++++++

●浜松の人たちへ

 何も浜松が津波の被害を受けたわけではない。
悲惨な天災だったが、何も私たちまで意気消沈することはない。
仮に福島第一原発が爆発しても、浜松はだいじょうぶ。
距離にして、約500キロ。
多少の放射線量はあがることはあっても、そこまで。
人体に被害が及ぶことはない。

 大切なことは、そういう地域に住む私たちまで、負けてはいけないということ。
私たちがここでがんばらなくて、だれががんばる?

●浜松祭りをしよう!

 ただ残念なことは、今朝の新聞によれば、あの「浜松祭り」が、中止になったこと。
どうして?
こういうときにこそ、祭りをやって、元気な日本を示すべき。
暗く沈んだ気持ちを吹き飛ばすべき。
「祭り」は、そのためのもの。
規模の縮小はやむをえない。
質素にやるのは、当然。

しかし私たちは、あの大凧にこう書く。
子どもの名前ではない。
こう書く。

「被災地のみなさん、がんばれ!」
「浜松はがんばっている!」
「日本は、負けない!」
「日本の元気は、浜松から!」
「日本は、浜松から復興させてみる!」と。

 SUZUKIもHONDAもYAMAHAも、みんな浜松から生まれた。
豊田佐吉も浜松で生まれた。
今の日本を支えているのは、私たち、浜松人!
これからも日本を支えていくのは、私たち、浜松人!

 浜松は現役。
こんな程度の災害でへこたれない。
簡単に、日本を沈没させてたまるか!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●行きすぎた自粛への批判

 その後、4月に入ってから、「行きすぎた自粛」に対する批判の声があがってきた。
政府からだけではない。
被災地の人たちからも、あがってきた。
当然のことである。
逆の立場で考えてみればよい。

 繰り返しになるが、今の日本に必要なのは、「元気」。
いろいろな意見はあるだろう。
が、それ以上に今回、私が気になったのは、「もの言わぬ従順な民」。
通達では、「浜松まつり本部を構成する4団体で協議し……」うんぬんとある。

 ある程度の自粛は、しかたない。
内容の変更も、しかたない。
しかしやり方は、いろいろある。
ワッペンの料金をあげ、その分を、復興資金として寄付する。
そんな意見も、多い。
凧に「東北地方のみなさん、がんばれ!」と書くのもよい。
あるいは東北地方の人たちを、招待するのもよい。

通達にある、『地域を挙げて初子を祝うという一体感が身上である「浜松まつり」……』
というのは、ただの口実。
百歩譲って、だからといって、それがどうして「中止」につながるのか?
もしその精神を大切にするなら、初子を祝ってやればよい。
初子を祝うために、凧をあげてやればよい。
祭りを中止するということは、初子を祝わないということになる。
この矛盾を、どう考えるのか?

●投稿記事より

 「浜松祭り中止」で検索してみた。
ほとんどが、「反対」の意見。
中には被災地の方から、「中止しないでほしい」という意見もあった。
最初の2ページまでの中から、いくつかを拾ってみる。

★何でもかんでも中止は安易な選択ではないでしょうか???(静岡道楽日記さんのBL
OG)

静岡市民なのにハマゾーブログをやっている者として驚いたのが「浜松祭りの中止」です。
「ブルータスよ、おまえもか!」の心境です。4月最初の静岡祭は見るための比較的新し
い祭ですから仕方ない面もありますが、伝統的であり、浜松市民の文化でもあり、地域コ
ミニィティの核である浜松祭りの中止は安易で楽な選択ではないかと、浜松市民でない私
でも思ってしまいます。

★浜松まつりが中止になりました。(みんカラさんのBLOGより)
何でも自粛すれば良いのでしょうか?
それで被災地に何のメッセージが送れるのでしょうか?
つまらない批判を恐れての事としかおもえません。
浜松市長は当初、各地区の判断に任せると仰ったと聞きました。
それが本当であるならば失望したとしか言いようがありません。
各地区の判断に任せるなど、後に各地区間でのシコリが発生する可能性があることを平気で口にするなど正気の沙汰とは思えず。当然、無難な方向へ流れるでしょう。
ここは市長自らが率先して浜松祭りを支援に利用してしまえば良いと思います。多くの人が集まる浜松祭り。そこで、支援を訴えればと考えるのは浅はかでしょうか?
いずれ起こるとされる東海地震。おそらく浜松でも多くの人が被災されるでしょう。被災者となった時のことをイメージすると、どんな形で募った支援であれ有難いものだと思うでしょう。
プロ野球のセリーグの開幕日程問題とは質的に異なるでしょう。あちらは現状の電力事情などを考慮すると、開幕には疑問があります。
ただ、何でもかんでも自粛自粛という風潮は違和感があり…

★浜松まつり 中止 が決定されましたね。(ウエスタンパブ駅馬車さんのBLOGより)

昨日は落ち着いて書ける自信が無かったんで、一日おいて書いてます。
まず、オイラのスタンスは、「 中止反対! 」です。
東日本大震災の被災者の方々には、心からお見舞い申し上げます。
この気持ちに嘘偽りはありません。
ただ、大震災の発生を受け、浜松まつりが中止というのが、納得できません。
被災者の方がいらっしゃるのに、お祭りなんて...という気持ちも分かります。
でも、それが本当に被災者の方の為になるのでしょうか?
被災地で必要なことは、同情ではなくて、支援ですよね。
支援をするには、被災地以外の地域が正常な状態である必要があります。

現在の浜松が正常な経済状況でしょうか?
他地域よりも不況からの脱却が遅れ、未だに苦しんでいます。

●官僚国家

 祭りまで、「お上」に管理されている。
この事実を、もう少し私たちは深刻に考えてよいのではないか。
「公僕意識」というのは、「市民が先にあって、役人があと」という意識をいう。
が、今、公僕意識をもっている役人は、いない。
いないことは、役人自身が、いちばんよく知っている。
言うなれば、江戸時代の「侍意識」が、そのまま残っている。
さらに言えば、日本という国は、奈良時代の昔から官僚主義国家。
その「主義」が、日本人の骨のズイにまで、しみこんでいる。

 浜松祭り中止についての賛否両論よりも、私はこうした庶民にとっての
重大事が、いとも簡単に、かつすばやく決定されることのほうに、驚いた。

 この日本に「自由」はあるのか。
尾崎豊が歌った『卒業』の中には、「しくまれた自由」という言葉が出てくる。
私たちはその「しくまれた自由」を自由と思い込んでいるだけ。
「いいのか、日本!」と叫んだところで、この話はおしまい。

 今さら、何を言っても、遅い!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 浜松祭り中止反対 浜松祭り 中止 反対)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●福島県、宮城県のみなさんへ

2011-04-24 20:01:09 | 日記
【福島県・宮城県のみなさんへ】Japanese Folk Songs in Fukushima & Miyagi-pref.

++++++++++++++++++

いつかすぐ、また元気な歌声を
聞かせてください。

今度は、みなでいっしょに
歌いましょう。

++++++++++++++++++

●福島県民謡より「新相馬節」(A beautiful folk song in Fukushima)

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●福島県民謡より「会津磐梯山」

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●福島県民謡「相馬盆歌」

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●宮城県民謡「大漁唄い込み」(A most well-known folk song of Miyagi in Japan)

<iframe title="YouTube video player" width="640" height="390" src="http://www.youtube.com/embed/tsklU6V-Bl0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●宮城県民謡「長持唄」

<iframe title="YouTube video player" width="480" height="390" src="http://www.youtube.com/embed/rMtOhXMUSGw" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●宮城県民謡「斎太郎節」

<iframe title="YouTube video player" width="480" height="390" src="http://www.youtube.com/embed/wMQRMIIvn14" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

●宮城県民謡「お立ち酒」

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本の歌「ふるさと(故郷)」

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●日本の歌「ふるさと(故郷)」

<iframe title="YouTube video player" width="480" height="390" src="http://www.youtube.com/embed/WmuaulAdl5Y" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●私たちは負けない!(We shall overcome)

<iframe title="YouTube video player" width="480" height="390" src="http://www.youtube.com/embed/CnzmPrsLXn8" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●福島県、宮城県のみなさんへ

 今の私は、福島県や宮城県の民謡を、涙なしには
聞くことができません。
そんな人間が、浜松市にもいることを、どうか
忘れないでください。

                  浜松市    はやし浩司