最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

1/3 ホメオパシー

2010-09-24 07:36:57 | 日記
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   10年 9月 24日
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【代替医療】ホメオパシーについて考える前に

●まず先入観を捨てる

 あなたは「ホメオパシー」なる治療法をどう思うか。
まず先入観を捨ててみる。
その上で、この問題を考えて見る。

●ホメオパシー

+++++++++++++++++

少し遠巻き……とういうか、外堀を
先に埋めるような書き方をするが、
許してほしい。

今、「ホメオパシー」と呼ばれる、
いわゆる代替医療行為(?)が、
問題になっている。
どこかの助産婦が、新生児の頭蓋内出血
予防に必要とされる、ビタミンKを
投与させず、1人の女児を死亡させる
という事件も起きている。

実は私は、(私の不勉強によるものだが)、
今日の今日まで、その言葉を知らなかった。
「ホメオパシーって何?」と、ワイフに
問いただしたほど。

だから先に、思いついたことを書いてみる。
ホメオパシーについて書く前に、信仰とは
何か。
そのあたりからかんがえてみたい。

+++++++++++++++++

●ルルドの奇跡

フランスにルルドという聖地がある。
奇跡を起こす聖地として、知られている。
毎年熱心なキリスト教の信者たちが、たくさん訪れている。
実際、何かの病気が治ってしまった人がいるという。
そのうちの66人は、「奇跡」と認定されているという。

ある人のHPでは、旅行記としてつぎのように紹介している。

『ルルドは1858年、洞窟に聖母マリアが出現、マリアが告げたところから水が湧き、
その水に浸かったり飲んだりすると難病が治り、瀕死の子供が助 かったことからカトリッ
クの聖地となった。年間500万人が訪れる世界最大の聖地は300ヘクタールの広大な
聖域に聖堂や教会、病院、宿泊施設を備えている。今回の旅はルルドに3連泊、パリに2
泊のゆったりとした旅程。疲労が少ないように配慮された。

「ルルドは大変優れたシステムの癒しの場です。重病人は駅に迎えを頼むこともできます。
車椅子の方や難病の方はもちろん、ベットから起きられない方もボランティアが何人もか
かって持ち上げ泉の水にザボンと浸けてくれるんです。我々も全員沐浴させていただきま
した。シスターは、ある参加者ががんだとわかると抱きしめて祝福してくれました。それ
も感動的でした。

お世話してくれるシスターやボランティアの方、街全体が病人の気持ちをわかってくれて
いる感じがします。ここでは病人が主役なんです。日本ではがん患者は近隣や仕事関係、
家族にまで『元気にみせなきゃ』と気を使う。でもここでは病人で大丈夫だし、カトリッ
クでなくてもひとりで天に祈れます。そんな癒しの場が日本にもあればと思います。ルル
ドの癒しのサポートシステムはぜひ、医療関係者に知ってもらいたい』(逸見晴恵氏HPよ
り、一部抜粋)と。

●信仰とは

 若いころ、ある寺にいたら、朝早く1人の信者がやってきた。
いわく、「今朝は、お礼参りにやってきました」と。
話を聞くと、孫娘の肺炎が治ったという。
一時は危篤状態に陥ったという。
その信者は、仏壇に現金の入った封筒を置き、何度も祈りなおしていた。
私はその姿を見て、こう思った。
「肺炎を治したのは、寺ではなく病院だ」と。

 が、こんな理屈は信者には通らない。
こんな話もある。

 ある女性の夫が交通事故で死んでしまった。
そのあとその女性に、3000万円の保険金が支払われた。
それについてその女性は、「3000万円も手に入ったのは、この信仰をしていた
おかげ」と。
そこでその女性は、うち1000万円を寺に寄付してしまった。
その寺では、1000万円以上の寄付をする信者を、「4桁会員」と呼んで、
特別な立場に置いていた。

 まだ、わからない?

 では、もうひとつの話をしよう。
ある宗教団体では、念力で病気を治すと教えている。
で、その団体の信者の息子が、ある重い病気にかかった。
病院へ連れて行けば治った病気だったという。
しかし親は病院へは連れて行かなかった。
念力で病気を治すとがんばって、一晩中、息子の枕元で祈った。
が、その甲斐もなく、息子は死んでしまった。

 ふつうなら、つまりふつうの常識のある親なら、その信仰から遠ざかる。
が、その親はますますその信仰に、のめりこんでいった。
「私たちの信仰が足りなかったから」と。

 もっとも自分たちの過ちを認めたら、自分たちが息子を殺してしまった
ことになる。
親としては、それを認めることはできない。

●心の救済

 医学では、人の心を救うことはできない。
病気を治すことはできるが、人の心を救うことはできない。
そのことは、あなた自身がいちばんよく知っているはず。

 だから年間500万人の人が訪れ、たった66人の人にしか奇跡が起きなかった
としても、人々は、ルルドに心の救済を求める。
あるいは夫が交通事故で死んでも、3000万円の保険金が入ったとしても、
その女性は、「信仰のおかげ」と、それを喜ぶ。

 さらに言えば、自分たちの信仰のせいで、息子が死んでしまったとしても、
その親は後悔しない。
「後悔」という部屋のドアをしっかりと、閉じてしまう。
「心」というのは、いつも常識の向こうの世界で動く。
だから常識で理解できないからといって、こうした事例を頭から否定してはいけない。
「科学」にしても、そうだ。

●丸山ワクチン

 「丸山ワクチン」というワクチンがある。
当初、あのワクチンは、「ただの水」と酷評された。
「だからいくら注射しても、がんには効かない」と。
多くの科学者や医師が、その使用に反対した。

 が、そのあとも丸山ワクチンでがんが治ったという人が続出した。
脳腫瘍が消えてしまった人もいる。
そこでいろいろ調べてみると、丸山ワクチンが、人間が本来的にもつ
免疫機構を刺激することがわかってきた。
そのスイッチとなる部分は、脳下垂体にあるという(伝聞)。
その結果、免疫機構が働き出す(伝聞)。
わかりやすく言えば、丸山ワクチンが免疫機構を目覚めさせるということになる。
だから、ほんの少量でよいということらしい(伝聞)。
一説によれば、数千万分の1ミリグラムとか、あるいはもう1桁多い、一億分の
1ミリグラムでもよいとか(伝聞)。
(このあたりの話は、あくまでも参考として読んでほしい。
内容は不正確。)

 つまり丸山ワクチンががん細胞を攻撃するのではなく、免疫機構を目覚めさせ、
その結果としてがんが治るということらしい(伝聞)。
人体の機構はそれほどまでに複雑で、かつ未解明な部分が多い。
だから「科学的に・・・」という理由だけで、それを否定したり、あるいは肯定した
りしてはいけない。
とくに「科学性がないから、エセ」という考えることには、私は疑問をもつように
なった。

「科学性」というときは、現在の時点までの科学的レベルを基準にする。
が、既知の分野より、未知の分野のほうがはるかに多い。
「科学性がない」というのは、あくまでも「既知の分野」で証明された科学性に
すぎない。
よい例が、鍼灸治療でいうところの「針治療」がある。
漢方薬治療でもよい。

 私が子どものころには、和漢、つまり日本の東洋医学は「完全に」と言っても
過言でないほど、社会の隅に追いやられていた。
「迷信」というよりは、迷信としても相手にされていなかった。

●ホメオパシー

 そこで今、話題になっている「ホメオパシー」。
信仰なのか、信仰でないのか。
科学性はあるのか、ないのか。
考え方の基本は、こうである。

 「植物や動物、鉱物などを希釈した水を染みこませた砂糖玉を飲む療法」(中日新聞)
と。
科学性ということになると、根拠はない。
日本医学会の高久会長は、「科学的にはまったく無意味だ。根拠のないことの広がりには
危機感をもたざるをえない」(同)と述べている。
「エセ科学」と断言する学者も多い。
が、私はそうとも言い切れないのではないかと考える。

私はひとつの判断基準として、「経過時間」をあげる。
つまりもしエセなら、その歴史的経緯の中で、とっくの昔に消えてなくなって
いるはず、と。
それが100年単位でつづいているというのなら、それを見る私たちは、もう
少し謙虚になってもよいのではないか。
ホメオパシーについても、約200年の歴史があるという。
(だからといって、ホメオパシーを肯定しているのではない。誤解のないように!)

 よい例が、先にあげた鍼灸である。
「針治療」である。
繰り返すが、あの針治療にしても、ほんの40年前には、エセ科学と位置づけられていた。
公然とそれを口にする人はいなかったが、そう考えられていた。
またそれを施す人たちのほとんどは、身体に障害をもつ人たちであった。
が、それがとんでもないまちがいだったということは、現在の状況を見ればわかる。

●毒蛇研究所

 丸山ワクチンについて書いているとき、こんなことを思い出した。
それに私には、もうひとつ、こんな経験がある。

 ブラジルのサンパウロ市公害に、「毒蛇研究所」という、恐ろしい研究所がある。
その研究所を訪れたときのこと。
案内をしてくれた所長がこんな話をしてくれた。
1975年ごろのことで、そういうものの考え方をする研究者は、日本には
いなかった。
つまり「毒を薄めると、薬になる」と。
(反対に、薬を濃くすると、毒になる。)

 そこでその研究所では、毒蛇から毒を採取し、それを何千倍とか、何万倍とかに
薄めて、薬として使用している、と。

 今度の「ホメオパシー」の発想は、どこかあの毒蛇研究所の所長が言った発想と
似ている。
あるいはどこかでつながっている?

●研究会?

 さて、本論。
長い前置きになってしまったが、「外堀」の話は、ここまで。

 で、問題なのは、「ホメオパシー」が、信仰化しているという点。
先にも書いたように、どこかの助産婦が、新生児を死亡させてしまったという
事件も起きている。
それで日本医学会でも問題になり始めた。

とくに、この日本では、医者をないがしろにするような行為や言葉にきびしい。
「治る」などという言葉は、医師でしか使えない。
「~~病に効果がある」と、病名を出すのも禁止。
「~~病が治った」というのも、禁止。

 だからこそ、こうした「治療法」を許せないのかもしれない。
自分たちの医療体系というよりは、寡占体系が崩れてしまう。
そこで「研究会」ということになった。

 今朝の中日新聞はつぎのように伝える。

+++++++++++以下、中日新聞++++++++++++

長妻昭厚生労働相は、8月25日、日本学術会議の金沢一郎会長が「ホメオパシー」と
呼ばれる代替医療の効果を否定する談話を発表したことを受け、「本当に効果があるのか
ないのか、厚労省で研究していく」と述べた。

(中略)

都内で開いた記者会見で、日本医学会の高久会長は、「日本学術会議からホメオパシーの
危険性を検討してほしいという依頼があり、科学的根拠がないと一致した」と述べた。
日本医師会の原中会長も、「科学的にはまったく無意味だ。根拠のないことの広がりには、
危機感をもたざるをえない」と強調した。

(中略)

金沢会長は24日に、「(これに頼ることで)、確実で有効な治療を受ける機会を逸する
可能性がある」との談話を発表。推進団体は反発している。

+++++++++++以上、中日新聞++++++++++++

●ハンゲコウボク湯信者

 ところで私にも、信仰(?)がある。
「ハンゲコウボク湯信者」という信仰である。
そういう私だから、当初、ホメオパシーという言葉を聞いたとき、一瞬だが、
こと「ホメオパシー」については、エセ科学とは言い切れないのではないか。
そう考えた。

そのものが効くというよりは、それが脳のある部分のスイッチをONの状態に
する。
とたんそれまで眠っていた、その病気に対する免疫機構が働き出す。
そういうことはありえる(?)。

 私が現在、毎晩眠る前に服用している「ハンゲコウボク湯」にしても、
そういう効果があるらしい。
ほんの微量(耳かきに一杯程度の量)で、がんの予防になるという。
東大の元薬学部長であった水野先生が、その効果を何かの研究の途中で偶然発見した
という。
また丸山ワクチンの開発をした、丸山氏とも親交があり、丸山氏の研究をを励ました
という記録も残っている(「丸山ワクチン」HP)。

以後、水野先生の周囲には、ハンゲコウボク湯信者が急速にふえていった。
恩師の田丸謙二先生(東大、元総長特別補佐、日本化学界元会長)もその1人で、
「林君ものんだら」と勧められて、以来12年近くのんでいる。

 が、ここから先が、信仰のおもしろいところ。
私とワイフは、その信者だが、そうして毎晩のむことによって、安心感を覚える。
「私たちはがんにならない」という安心感である。
信仰性があれば、さらに絶対的な安心感に変わる。 
あるいはそうした安心感が、免疫力を高めているのかもしれない。

 だからがん検診にしても、毎年たいへんおおまかなものしか受けていない。
しかしこれも「確実で有効な治療を受ける機会を逸する可能性がある」(金沢会長)
ということになるのだろうか。

●医療と心

 話が混乱してきた。
もう一度、整理してみる。

(1)フランスのルルドには、病気を治してもらいたいと、年間500万人もの人々が
訪れている。

(2)信仰には常識をはずれた盲目性がある。

(3)「科学性がないから……」という理由だけで、その治療法を否定するのは
危険なことである。

(4)ホメオパシーとは、いったい何なのか。

 その前に考えるべき第一の問題は、「医学で、心の救済はできるか」ということ。
このことは、自分の問題として考えてみると、わかりやすい。
話が戻るが、許してほしい。

 たとえばルルドには、毎年500万人の人たちが訪れているという。
みながみな、キリスト教を信じているわけではない。
が、そのうち奇跡によって病気が治ったと言われる人は、66人と言われている。
『このルルドで病気が治ったと自己申告をした人は、1862年以来6700人にのぼる
が、そのうち、ルルド聖地当局によって正式に奇跡と認定されたのは、たったの66人だ
けだ』(「ルルドの泉」HPより)と。

 確率から言えば、1万人に1人?
病気を治すということであれば、私の家の近くにある医療センターのほうが、はるかに
多くの人を治している。
が、毎年500万人の人たちが、救いを求めてルルドに向かう。
この日本でも、特別なツアーを組んでいる旅行社がいくつかある。
「特別」というのは、「病人の人のための」という意味である。

 「科学性」ということを言うなら、なぜ日本の医師会は、(厚労省でもよいが)、
ルルド巡りにメスを入れないのかということになる。
さらに科学性ということを言うなら、かつての「針治療」「丸山ワクチン」のときは、
どうだったのかということになる。
ただその一方で、科学を装った「ニセ科学」というのも、ある。
バランスをとるため、それについても書いておきたい。

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