最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

1/2 マガジン2-26 (親意識とデジタル人間)

2011-02-23 08:32:00 | 日記



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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   23日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子離れ(親意識との決別)(親の依存性vs親の自立)

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70歳を過ぎても、子離れできない親がいる。
一方、子どもがまだ中学生なのに、さっさと
子離れしてしまう親もいる。
そのちがいは、何か。
どちらがよいのか。
また子離れするには、どうしたらよいか。

+++++++++++++++++++++

●「なりすまし詐欺(オレオレ詐欺)」

 いまだになりすまし詐欺が跡を絶たないという。
電話一本で、いとも簡単に親たち(祖父母たち)が騙(だま)されてしまう。
この話を、オーストラリアの友人(60歳)に話したら、こう言った。
「オーストラリアでは考えられない」と。

 「もしそういう電話がかかってきたら、オーストラリア人の親なら、こう言うだろうね。
それは私の問題ではない。息子(娘)の問題。私は知らない」と。

 つまりなりすまし詐欺というのは、きわめて日本的な現象ということになる。
その根底で、日本人独特の甘えの構造(=依存性)と、深く絡(から)みあっている。

●「二度と帰ってくるな!」

 10年ほど前だが、こんなTV番組を見た。

 深夜、東京のKB町にレポーターとカメラマンが入った。
2人の中学生らしい女の子をつかまえた。
その女の子たちに、「おうちの人は心配してないの?」と。

 が、その女の子たちは、「心配してないヨ~」と。

 そこでレポーターは何とか女の子たちの自宅の電話番号を聞き出した。
自宅に電話した。
電話に母親らしき女性が出た。
が、その母親らしき女性の言い方に驚いた。
娘たちの外出を心配しているかと思いきや、その逆。
「私には関係ありません!」「放っておいてください!」と。

 そこで女の子(=娘)が電話に出ると、母親らしき女性は、電話口の向こうでこう
叫んだ。
「あんたなんか、二度と家に帰って来るんじゃないわよ。わかったア!」と。

●解放

 親はどこまで子どものめんどうをみるべきか。
その内容と基準、それに程度は、それぞれの家庭によって、みなちがう。
子育ての意識そのものが、ちがう。
夫婦(父親vs母親)によっても、ちがう。

 仮に70歳を過ぎても、ネチネチと子離れできない親を、(10)とする。
一方、子どもが小学生、もしくは中学生のころに、「私は関係ありません」と、
子どもを突き放す親を、(0)とする。
上記、テレビに出てきたような母親をいう。

 が、これは意識の問題。
(10)の親から見れば、(0)のような親がいること自体、信じられない。
(0)の親から見れば、(10)のような親がいること自体、信じられない。
その一方で、ほとんどの親は、自分のもっている意識を、標準と考える。
ほかの親たちも、みな、そうと考える。
しかしそう考えてはいけない。
人、それぞれ。
意識も、それぞれ。

●私たち夫婦のばあい

 私たち夫婦ですら、たがいに意識がちがう。
生まれ育った環境がちがうから、ちがって当然。

 私はネチネチとした、濃密な親子関係のある世界で、生まれ育った。
ワイフは、幼いころ母親を亡くし、父親の手だけで育てられた。
そのため私から見ると、「親子感覚」が希薄。
上記(0)~(10)に基準に当てはめるなら、私は、(7)もしくは(8)。
ワイフは、(3)もしくは(4)。

実際、私のワイフが、3人の息子たちに向かって、「勉強しなさい!」などという
言葉を使って、息子たちの世話を焼いているのを、見たことがない。
息子たちがまだ小学生のころから、学校の宿題にしても、「やりたければやりなさい」
「やりたくなければ、やらなくてもいい」という接し方をしていた。

 ほかにたとえばアメリカに住む孫に対しても、毎月のようにプレゼントを送ったのは
私。
ワイフはただの一度も、自分からは送っていない。

 が、おかしなもので、いつも嫌われるのは、私。
好かれるのは、ワイフ。
どうして……?、と書きたいが、俗世間では、こう言う。
『うるさい親は、嫌われる』と。

●子離れ

 子離れとは、何か?
つまるところ、いつ、どの時点で、「私とは関係ない」と、子どもを突き放すかで、
決まる。
言い替えると、子どもにもっている依存性を断ち切ることを、子離れという。
子離れと、親の自立は、紙で言えば、表と裏。

 私も、さんざん辛酸をなめさせられたあと、やっと、こう思えるようになった。
「勝手にしろ!」「知ったことか!」と。
決別したというのではない。
息子たちを見捨てたというわけでもない。
息子たちに抱いていた、期待感を払拭した。
とたん、心の中が、スーッと軽くなったのを覚えている。
つまりそのとき、私は親として自立した。
……というか、親意識と決別した。

●それまでの私

 それまでの私を総括すると、こうなる。
「いつか、めんどうをみてもらわなければならないときがあるかもしれない」
「息子や息子の嫁たちに、嫌われたくない」
「親として、優位な立場にいたい」と。

 いつもそう考えていた。
が、息子たちにその気がまったくないことを知った。
仮に私が心筋梗塞で倒れたと連絡しても、「ああ、そう?」で終わってしまうだろう。
(だからといって、それが悪いというのではない。
それが現代の若者たちの標準的な意識ということになる。
また私自身も、そういうふうに息子たちを育ててきた。)

そういった息子たちの意識を、はっきりと自覚したとき、息子たちに抱いていた
依存性が消えた。
同時に、そこに私の人生があることを知った。
「私は私の人生を生きる」と。
つまり私は、子育てから、解放された!

●依存性

 体にしみついた依存性と決別するのは、たいへん苦しい。
自己否定から、絶望感、さらには襲い来る孤独感と闘わねばならない。
意識を変えるというのは、並大抵の努力では、できない。

 が、この問題だけは、自分たちの問題。
子どものもっている意識を変えようとしても、無駄。
子どものもっている意識と闘っても、これまた無駄。
親の私たちは、それを認め、受け入れるしかない。

 少し前、「デジタル人間」について書いた。
ドライで合理的。
人間関係ですら、ON/OFFだけで片づけてしまう。
そういう人間をデジタル人間という。
「人情」というものが、通じない。
現代の若者たちが、そうであるなら、私たちはそれに合わせて生きていくしかない。
あるいは相手にしない。

 今の私なら、仮になりすまし詐欺の電話がかかってきても、即座にこう言うだろう。
「それは私の問題ではない。息子(娘)の問題。私は知らない」と。

 子離れについて、別の角度から考えてみた。

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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●デジタル人間vsアナログ人間(あなたは、どちら?)

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デジタル人間。
人間関係を、ON/OFFだけで決めてしまう。
つきあうか、つきあわないか、そのつど、スパスパと判断し、行動する。
つきあう価値のある人間とは、つきあう。
つきあう価値のない人間とは、つきあわない。
ドライ、淡泊、計算ずく。
最近の若い人たちの一般的な、考え方。

これに対して、アナログ人間。
ON/OFFの切り替えが苦手。
人間関係が癒着していて、妥協しながらも、相手との関係を維持する。
つきあいたくなくても、嫌われるのを避け、いい人ぶる。
そのつどYES/NOが言えず、ズルズルとあいまいなまま生きる。
人情的、濃密、計算しない。
従来の日本人の一般的な、考え方。

デジタル人間からは、アナログ人間は、ネバネバして見える。
田舎ぽい。
アナログ人間からは、デジタル人間は、サバサバして見える。
都会ぽい。

++++++++++++++++++

●珍現象

 A氏の家に、東京へ出た息子夫婦が、帰ってきた。
孫も2人、連れてきた。
1年半ぶりの帰郷である。

A氏は現在、65歳。
定年まで、地元のバイク会社に勤めた。
現在は、部品管理会社の守衛をしている。
そのA氏が、こう言った。

(1)息子夫婦は、みやげを何も持ってこなかった。
(2)2人の孫の分だけではなく、息子まで、お年玉を請求した。(A氏の妻が、3万円
渡したという。)
(3)正月に来たといっても、嫁は家事をいっさいしない。子ども(孫)を預けて、
同窓会だの、友人宅回りだのと言って、遊んでばかりいた。(A氏の妻が、料理を用意した。)
(4)A氏夫婦は2人の孫を連れて、近くの遊園地へ行ったりした。
(5)みなでレストランで食事をしたが、息子夫婦は、1円も負担しなかった。
そればかりか、帰りの車のガソリン代を、A氏の妻から受け取っていた。

●意識のちがい

 「どうして?」と理由を聞くと、A氏はこう教えてくれた。
「息子夫婦は、生活がギリギリで余裕がないのです」と。

 それもそのはず。
最近の若い人たちは、給料を手にしても、目一杯の生活を始める。
高級マンションに住み、大型の車を乗り回す。
冷蔵庫、レンジ、エアコン、液晶テレビなどなど。
「あって当たり前」の生活をする。

「それに私の方から遊びにおいでと声をかけた手前上、息子夫婦は、お客様です。
嫁さんに家事をさせたら、息子が怒ります」と。

 A氏の息子夫婦を責めても、意味はない。
つまりこの40年間で、日本人の常識が逆転した。

●40年前

 私たちは6畳と4畳のアパートに住んでいた。
車は買ったが、中古のHONDAの小型車だった。
長男が生まれたとき、そうだった。
収入は人並みにあったが、約半額は、毎月実家の母に届けていた。

 盆暮れには、どんなに忙しくても、時間を作って実家詣でをした。
もちろんみやげも、そのつど持っていった。
帰るときには、少なくとも10万円程度の現金を置いてきた。

 ワイフはワイフで、私の実家へ帰ると、家政婦のように働いた。
ときどき家族を連れて、近くの温泉へ行ったりした。
もちろん費用は全額、私が負担した。
が、私たちだけが特殊というわけではない。
それが当時の「常識」だった。

 が、今はちがう。
意識が180度、変わった。
子どもが親の世話をするのではない。
親が子どもの世話をする。
孫の世話をする。
たった40年で、親子の立場が逆転した。
(たったの40年だぞ!)
原因は、何か?
それが冒頭にあげた、デジタル人間の台頭である。

●ドラ息子

 いつごろから、こうなったのか?

 私が最初に強くそれを感じたのは、すでに30年も前のことである。
当時、昔でいう「ドラ息子・ドラ娘」が、急速に増え始めた。
時はちょうど、高度成長期。
それにつづくバブル経済期。
子どもが生まれると、みなが寄ってたかって、蝶よ花よと、子どもに手をかけた。
金をかけた。
時間をかけた。

 その結果、子どもたちは、自分を中心に世界が回っていると錯覚し始めた。
「もらうのが当然」「してもらうのが当然」と。
その結果が、今。
そのときの子どもたちが、今の親たち。

 正月に実家へ帰っても、ただで寝泊まりする。
親に小遣いを渡すのではない。
親から、さらに小遣いをせびる。
先に書いたA氏の息子夫婦のようなケースは、けっして特殊ではない。
が、悲劇はつづく。

●金の切れ目が、縁の切れ目

 子どもが大学へ入ると、親たちは爪に灯をともしながら、学費を送る。
生活費を送る。
しかしそんな苦労など、どこ吹く風。
子どもたちは、遊ぶ。
ただひたすら遊ぶ。
バイトもするが、それはすべて遊興費のため。

 もちろん勉強の「ベ」の字もしない。
愛だの恋だのと、恋愛ゲームに明け暮れる。
で、何とか卒業。
何とか就職。
で、最後には、ある日突然見知らぬ女性を家に連れてきて、「結婚します」と。

 親の意見を求めることもない。
恋愛を、人生の最大の重要事と考える。
またそれが、す・べ・て。

 で、こんな話を聞いた。

 結婚して間もなくのこと。
B氏の息子が、やはり東京から帰ってきた。
突然の帰郷である。
「どうした?」と聞くと、「結婚式をしたい」と。
「どこでやるのか?」と聞くと、「この浜松でしたい」と。

 で、それについて、結婚式の費用を出してくれないかと。
B氏が、「少しなら負担してやってもいい」と答えると、息子は突然、激怒。
こう言い放ったという。
「親なら、結婚式の費用くらい、出してくれてもいいだろ。
この浜松でしてやるのだから!」と。

 それ以後、1年以上になるが、息子からは音信なし!
どこかで結婚式をしたらしいが、B氏夫婦には招待状は来なかったという。

 以上の話を読んで、「この息子はおかしい!」と思ったら、あなたはアナログ人間。
「息子の言い分の方が正しい!」と思ったら、あなたはデジタル人間。
さて、あなたは、どちら?

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【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月3日(雑感、思いつくまま)


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時刻は、午前0時15分。
1月3日になったところ。
昨日(1月2日)は、忙しかった。
原稿を書くヒマもなかった。
一日中、動き回っていた。
で、今。
やっと自分の時間ができた。
ホ~~ッ!
ワイフは隣の部屋で、眠っている。
アルコールが入ると、それこそ
コテンと眠ってしまう。
うらやましい!


++++++++++++++++


●年賀状


 毎年、1月2日には、年賀状の配達はないものと思っていた。
が、今年から、2日にも配達をするようになったらしい。
朝、起きて郵便受けを見ると、年賀状が届いていた。


 で、その年賀状。
私が「少なくなったね」と言うと、ワイフは、「当たり前でしょ」と。
数年前、一度、年賀状廃止宣言なるものをした。
みなに、断わりのハガキを出した。
「これからはインターネットの時代なので・・・」とか、何とか、書いた。


またおととしは、喪中ということで、だれにも出さなかった。
知らない人は年賀状をくれたが、そのままにしてしまった。
それもあって、年賀状の枚数は、ガクンと減った。


40代のころは、800~1000枚にもなった。
年賀状を書くのも、1週間仕事。
私が図柄を描き、ワイフがあて先を書いた。
考えてみれば、そのころが私の人生のピーク?
が、今年は・・・まだ数えてないが、150枚前後(?)。
私が出した年賀状の枚数も、それくらい。
年齢に反比例して、年賀状の枚数も、少なくなっていく。

オー・ヘンリーの「最後の1枚」という短編小説を思い出す。
病弱な少女が、枯れ木に残る最後の1枚に希望を託し、生き延びる。
私も、やがてそうなる。
最後の1枚に、望みを託す。
0枚になったとき、死ぬ。
(あるいは、その逆?)


●休日の過ごし方 

 この数年、休日の過ごし方を変えた。
それまでは予定も立てず、家でゴロゴロしていることが多かった。
が、それは私には向いていない。
私のやり方ではない。
それがわかった。

家の中でじっとしていると、かえってイライラ感がつのってしまう。
だから最近は、休日になったら、遊びまくる。
ヒマを見つけては、外出する。
毎日、どこかの旅館やホテル、山荘に寝泊りする。
「だったら、どこか外国へでも行ってくればいい」と思う人もいるかもしれない。
しかし私は飛行機が苦手。
一度飛行機事故を経験してから、飛行機に乗れなくなってしまった。
いや、乗れなくはないが、いつもひどい緊張感に襲われる。
旅先のホテルでは、一睡もできない。
「帰りの飛行機に乗らなければ・・・」と思うだけで、不安になる。
動悸が始まる。
体が宙に浮いたような状態になる。
こういうのを「飛行機恐怖症」というのか。
症状を、列挙してみる。


(1) 飛行機に乗るのが、怖い。(棺おけに入ったような気分になる。)
(2) みなについて、ぞろぞろと乗ることはできる。(前の客の背中に隠れて乗る。)
(3) 席に着いても落ち着かない。(目を閉じて、じっとしている。)
(4) 体から緊張感が抜けない。(体中がコチコチになる。全身に冷や汗をかく。)
(5) 先方のホテルで眠れない。(睡眠薬をのむ。)


 そんなわけで、特別なばあいをのぞいて、飛行機には乗らない。
時間はかかっても、国内では、列車を利用する。


 こうした恐怖症というのは、それがない人には理解できないものらしい。
「思い過ごし」とか、「気のせい」とか、言う。
しかし怖いものは、怖い。
足が勝手にすくんでしまう。
これは脳の奥深いところで起こる反応。
理性でコントロールできるようなものではない。


 話は脱線したが、そんなわけでこれが私の休日の過ごし方ということになる。
つまり人、それぞれ。
私は私。


●骨董市


おととい(1月1日)は、市内のグランドホテルであった骨董市に行ってきた。
昨日(1月2日)も、市の産業展示館であった、骨董大市に行ってきた。
若いころは骨董が好きで、いろいろなものを買い集めた。
が、今は、売りどき。
もっていても、しかたない。
飾るところもない。


 全部で50店ほど並んでいただろうか。
ワイフとああでもない、こうでもないと言いあいながら回った。


 収穫は、明治時代の教科書。
6冊、買った。
ボロボロの本だった。
ワイフはそれを見て、「一度、消毒したらどう?」と言った。


ついでに私がもっている骨董品の写真を見てもらった。
が、どれも「全国版」とか。
おもしろい言い方だった。
つまり私がもっている骨董品は、東京、京都、大阪のような大都市でしか鑑定できない
という。
だから「全国版」。
「この浜松では鑑定できません。京都へ行ってみたらどうか」と、言われた。
「あるいは美術館でもいい」とも。


私が「ニセモノではありません」と言うと、骨董店の男はこう言った。
「ニセモノでないことは、あなたの顔を見ればわかります」と。
瞬間、意味がわからなかった。
が、そう言われて、そのあとうれしくなった。


 全体としてみると、今、骨董品は底値。
中国からニセモノがどんどんと入り、骨董品の価値がさがってしまった。
一時は100万円を超えたような絵皿でも、今では1~2万円で取り引きされて
いるという。


 時代が変わった。
日本人の趣好が変わった。


●無精髪


 今、髪の毛はボサボサ。
「床屋へ行かなければ」と思いつつ、日を延ばしてしまった。
その結果が、今。
正月というのに、何たるザマ!
「明後日から床屋が始まるから、行って来たら?」とワイフは言う。
が、それもめんどう。
もう少し先延ばしにする。
それまで整髪料で、ごまかす。


・・・しかし私の年齢で、これほどまでに髪の毛がフサフサしているのは珍しい。
白髪も少ないほう。
去年、大学の同窓会に出たら、半数以上が照れ照れのハゲ頭だった。
「床屋へ行かなくてもすむからいいなあ」と思ったが、やはりハゲ頭は」いや。
めんどうでも、髪の毛はあったほうがよい。

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