最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

(2)

2010-08-30 08:08:57 | 日記
●子どもの世界でも

 子どもの世界では、それがもっとはっきりと表われる。

 同じ小学6年生でも、心の温かさを感ずる子どももいれば、そうでない子どももいる。
冷たい子どもは、どこまでも冷たい。
ぞっとするほど、冷たい。
頭の中は受験勉強だけ。
あるいは何かの検定試験のことだけ。
バッグの中は、その種の参考書と問題集だけ。
余計なことは、いっさいしない。
もちろんそれなりに勉強はできるが、その先がない。

 簡単に説明すれば、親の温かい愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、心が温かく
なる。
そうでない子どもは、そうでない。
つまり子どもの心の温もりは、親の育て方……というよりは、世代連鎖。
親から子へと伝えられる。
それによって決まる。
ふつう心の冷たい子どもの親は、心が冷たい。
心の温かい子どもの親は、心が温かい。

 だから心の冷たい子どもを見つけ、その親に向かって、「あなたの子どもは心が冷たい
ですよ」と忠告しても意味はない。
親自身が、それを理解できない。
また言ったところで、どうにもならない。
思春期を過ぎて、心の冷たい人間がその後、温かくなるということは、ありえない。
さらに言えば、一度つぶれた心は、元には戻らない。

●幻想

 この日本では、親たちは、「勉強しろ」「勉強しろ」と子どもを追い立てる。
それはそれでしかたのないことかもしれない。
日本人には日本人独特の身分意識がある。
現在は、それが学歴意識に置き換わった。

 が、これだけはよく覚えておくとよい。
それを言えば言うほど、今度は、親がその責任を取らされる。
子どもたちは「高校へ行くのは当たり前」「大学へ行くのは当たり前」と考えるようになる。
中には、「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言う子どもさえいる。
(これは本当の話だぞ!)

 その結果どうなるか?
親は親で、淡い期待をもつかもしれない。
「いつか親に感謝し、よい親子関係を築くことができるはず」と。
中には「老後のめんどうをみてもらえるかもしれない」と思う人だっているかもしれない。
しかしそれはまったくの幻想。

●月謝袋を詰め先で……

 あえて統計をとるまでもない。
この世界の常識として、「一度、都会の大学を出た子どもは、親のところには戻らない」。
戻らないばかりか、その多くは子どものほうから、親子の絆を断ち切ってしまう。
それもそのはず。
親は子どものためと思って、(本当は自分の不安や心配を子どもにぶつけているだけなの
だが)、「勉強しろ」と言う。
が、言われたほうの子どもは、それによって追いつめられる。
少なくとも「親は自分のことを心配して、そう言ってくれる」などとは、思わない。
進学塾の講師にしても、そうだ。

 へたに「君の将来のためだ」と言っても、子どもは、その先を読んでしまう。
「金儲けのためだろ?」と。
私も実際、そう言われたことがある。
月謝袋を爪先でポンとはじき、「あんたのほしいのは、これだろ!」と私に言った、高校生
がいた。

 皮肉なことに、心のつぶれた学生ほど、成績がよい。
そのままよい(?)大学に進学していく。
社会のリーダーとなっていく。
そして一方で、ドロドロしたおとなの世界の裏を、そのまま見抜く。

●幼児から高校3年生まで

 ずいぶんと否定的なことばかり書いてきた。
読者の方にインパクトを与えるため、やや過激な言い方で書いてきた。
しかし私はこの原稿を、警告の念をこめて書いた。
というのも私は、幼児(年少児)から高校3年生までの子どもを、1日というサイクル
の中で教えている。
40年来、そうしている。
幼児から高校3年生といえば、15年間である。

 そういうサイクルの中で、子どもたちの心の変化を、毎日のように見ている。
が、その「変化」というのは、心理学でいうところの変化とは、少し違ったものである。
たとえばここに書いた(冷たさ)というのは、思春期の反抗期とは異質のものである。
「心がつぶれる」と言っても、その診断方法もなければ、基準もない。
もちろん病名もない。

また心が冷たいからといって、それが何かの障害につながるということでもない。
むしろこの世界は、そういう心が冷たい人たちにとって、住みやすい世界になっている。
そういう人たちほど、社会のリーダーとなり、裕福な生活を送っている。

●最後に……

 最後になるが、今、私はこんなふうに考える。
近代社会は、はたして人間の心を豊かにしたか、と。
「近代社会」というのは言い過ぎかもしれない。
私が書いているのは、受験競争の弊害のひとつにすぎないのかもしれない。
さらに「競争」は不可欠というのなら、方法論の問題ということになる。
つまり子どもの教育法がおかしい。
あるいは日本人がもつ意識が、おかしい。

 どうであれ、このままではこの日本はますます狂っていく。
言うまでなくその国や社会の熟成度は、いかに弱者にやさしいかで決まる。
が、この日本は、それに逆行しているばかりか、さらに「格差」を広げつつある。
入り口で受験競争に勝ち抜いた子どもは、その後、安泰した裕福な生活を送ることが
できる。
そうでない子どもは、そうでない。

 心のつぶれた、冷たい子どもたちが、社会のリーダーとなっていく。
そんな社会を、私たちはけっして目指してはいけない。

 ……ということで、あなたも一度でよいから、自分の身の回りを見渡してみてほしい。
経済的に豊かな人も、またそうでない人も。
そして一度でよいから、こう考えてみてほしい。
「これでいいのか?」と。
たったそれだけのことだが、それが種となって、いつかやがてあなたの心にも、(人間
らしい心)が戻ってくる。
子どもの見方も変わってくる。
けっして貪欲さの奴隷になっていはいけない。

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BW はやし浩司 心のつぶれた子 金権教 つぶれる心 冷たい心 心の冷たい子ども 
受験競争の弊害)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2008年の3月に書いた原稿を
添付します。
これもかなり過激な原稿です。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「金権教」というカルト(Money is Everything.)

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Most of us believe that money is everything, some consciously and some unconsciously.
But it is a kind of cult (or sect), or we would know it when we are involved in it. So I ca
ll It “Money-ism”, or “Money Cult”.

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●カルト

私はカルト(狂信的な信仰)とは無縁と
思っている人でも、ちょっと、待ってほしい。
そういう人でも、無数のカルトを信仰している。

学歴信仰に始まって、親絶対教、学校神話、男尊女卑思想、
家父長意識、民族主義に国粋主義などなど。

人は、ひとつのことを信仰することによって、思考を放棄することができる。
それは同時に、たいへん甘美な世界でもある。

思考、つまり(考えること)には、いつもある種の苦痛がともなう。
難解な数学の問題を前にしたときのことを、思い浮かべてみればよい。
カルトを信仰することによって、その苦痛から、自らを解放することができる。
過去や世俗的習慣を踏襲するのも、そのひとつ。
「昔はこうだった」「みなは、こうしている」と。

●金権教

金権教について、考えてみたい。
……といっても、どんなカルトでもそうだが、
その中にいる人には、自分のおかしさがわからない。

そのおかしさを知るためには、一度、そのカルトの外に出てみなければならない。
あるいは、やめてみる。
長い間、カルト信仰をしてきたある女性(当時、45歳くらい)は、こう言った。

「退会してみて、はじめて、おかしさがわかった」と。

金権教もそうである。

●中国では

たまたま現在、隣の中国が、20年前、30年前の日本を再現している。
何もかも、マネー、マネー、一色。
少し前だが、こんな話を、何かの雑誌で読んだことがある。

あるところで、1人の少年が川に落ちて、溺れた。
少年の母親は、まわりの人に、助けを求めた。
狂乱状態だったという。
それを見ていた一人の男性が、こう言ったという。
「~~元、出せ。そしたら助けてやる」と。
金額は、忘れた。

戦後の日本も、ひどかった。
が、しかしそこまでは、ひどくなかった。
(……と信じたい。似たような話はあるが……。)
それにしても、溺れる子どもを横目に、金額交渉とは!

心もマネーに毒されると、人は、そこまで言うようになる。
そのおかしさは、日本人の私たちには、よくわかる。
しかし当の中国の人たちには、わからない。

●信者たち

こうした「金と権力がすべて」という世界を、金権教という。
かなり宗教的な色彩が濃いから、「金権教」と呼ぶ。

その金権教の信者は、少なくない。

医師、弁護士に始まって、教師、役人、職人、はては牧師に僧侶にいたるまで。
職種に、関係ない。

しかし自分が金権教の信者であることに気づいている人は、少ない。
が、それを知る方法が、ないわけではない。

(1)金銭的な利益のある仕事だけをする。利益第一主義。
(2)金銭的に損な仕事はしない。ボランティア活動をしない。
(3)貧しい人を、いつも(下)に見る。人の価値を財産で決める。
(4)損得勘定に敏感である。計算高い。
(5)とくに損をしたとき、過剰なまでに反応する。落胆する。
(6)「信じられるのは、金だけ」を、よく口にする。
(7)仕事(=金儲け)中心主義で、家族、家庭を犠牲にしても平気。
(8)周囲の人間を、平気で利用する。その分だけ、いつも孤独。

これらの項目のうち、ほぼすべてが当てはまれば、金権教の信者と考えてよい。
もちろん程度の差もあるが……。

が、その金権教も、やがていつか、行きづまる。
短期的には、事業が失敗したとき。
長期的には、加齢による事業の縮小など。
そういったとき、マネーという本尊が、(イワシの頭)だったことを、思い知らされる。

●ここが始まり

カルトがこわいのは、ここから。
それを信じている間は、カルトは、その人を側面から支える。
生きる目標になることもある。
しかしそれを疑ったとたん、その人は、その内部から崩壊する。
「自己否定」という言葉があるが、それに近い状態になる。
「私は、何だったのか」と。
それまでの人生が無意味だったことを、思い知らされる。
とたん、大混乱に陥る。

こういうケースのばあい、つぎの2つから、進むべき道を選ぶ。

(1)そのまま金権教に固執する。
(2)新たな価値観を模索する。

このどちらでもないとなると、そこで待っているのは、「破滅」。
自殺という手段を取る人もいるが、それは論外。

こういうケースがある。

●のめり込む信者

あるところに、手かざしで、病気を治すと教えている教団があった。
「手かざし」というのは、患部に手をかざして、病気を治すことをいう。
N氏夫婦は、その教団の熱心な信者だった。
で、あるとき、N氏の長男が、腹痛を訴えた。
(あとで盲腸炎だったということがわかったが……。)
N氏は、長男を病院へ連れていかなかった。
手かざしで治してみせると、がんばった。
しかし長男は、そのまま死んでしまった。
いや、最後の最後のところで、病院へ運ばれたが、そのときは手遅れだった。

こういうケースのばあい、「私たちの信仰はまちがっていました」と認めることは、
自分の子どもを、自分たちで殺してしまったことを認めることに等しい。

実際、N氏夫婦は、そのあと、ますますその信仰にのめりこんでいった。
またそれしか進むべき道がなかった。

……金権教にも、似たようなケースがある。
これは金権教で破滅した、ある男性の話である。

●K氏のケース

K氏は、昔からの資産家の二男だった。
長男の兄と2人で、事業を起こした。
建売を専門とする、建築会社だった。
高度成長期の、あの波に乗り、事業はトントン拍子で拡大した。
K氏は、有頂天になった。
毎晩、札束を切りながら、豪遊に豪遊を重ねた。

が、そのころから兄(=長男)との折りあいが悪くなった。
利益の配分をめぐっての、争いがつづいた。

そこで会社を2分することにした。
建設部門を兄が、不動産部門を二男のK氏が引き継いだ。

が、とたん、あのバブル経済がはじけた。
K氏は破産。
無一文になった。

その後、1年ほどの期間があったが、私が再びK氏の消息を聞いたときには、
K氏は、精神病院に長期入院しているということだった。
その1年間に、何があったか、それを想像するのは難しくない。
妻とは離婚。2人の娘がいたが、2人とも兄の家に引き取られていた。
人伝えに聞くところによると、「想像を絶する、家庭内騒動がつづいた」とのこと。

金権教の信者の末路(失礼!)は、あわれ。
マネーの切れ目が、人生の終わり。
そうなる。

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