最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●子育てジャンプ(1)

2009-07-15 09:19:03 | 日記
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(401)

●忠臣蔵論

 浅野さん(浅野内匠頭)が、吉良さん(吉良上野介)に、どんな恨みがあったかは知らないが、ナイフ(刀)で切りかかった。傷害事件である。が、ただの傷害事件でなかったのは、何といても、場所が悪かった。浅野さんが吉良さんに切りかかったのは、もっとも権威のある場所とされる松之大廊下。今風に言えば、国会の中の廊下のようなところだった。浅野さんは、即刻、守衛に取り押さえられ、逮捕、拘束。

 ここから問題である。浅野さんは、そのあと死刑(切腹)。「たかが傷害事件で死刑とは!」と、今の人ならそう思うかもしれない。しかし三〇〇年前(元禄一四年、一七〇一年)の法律では、そうなっていた。

が、ここで注意しなければならないのは、浅野さんを死刑にしたのは、吉良さんではない。浅野さんを死刑にしたのは、当時の幕府である。そしてその結果、浅野家は閉鎖(城地召しあげ)。今風に言えば、法人組織の解散ということになり、その結果、四二九人(藩士)の失業者が出た。自治体の首長が死刑にあたいするような犯罪を犯したため、その自治体がつぶれた。もともと何かと問題のある自治体だった。

わかりやすく言えばそういうことだが、なぜ首長の交代だけですませなかったのか? 少なくとも自治体の職員たちにまで責任をとらされることはなかった。……と、考えるのはヤボなこと。当時の主従関係は、下の者が上の者に徹底的な忠誠を誓うことで成りたっていた。今でもその片鱗はヤクザの世界に残っている。親分だけを取り替えるなどということは、制度的にもありえなかった。

 で、いよいよ核心部分。浅野さんの子分たちは、どういうわけか吉良さんに復讐を誓い、最終的には吉良さんを暗殺した。「吉良さんが浅野さんをいじめたから、浅野さんはやむにやまれず刀を抜いたのだ」というのが、その根拠になっている(「仮名手本忠臣蔵」)。そうでもしなければ、話のつじつまが合わないからだ。

なぜなら繰り返すが、浅野さんを処刑にしたのは、吉良さんではない。幕府である。だったら、なぜ浅野さんの子分たちは、幕府に文句を言わなかったのかということになる。「死刑というのは重過ぎる」とか、「吉良が悪いのだ」とか。もっとも当時は封建時代。幕府にたてつくということは、制度そのもの否定につながる。自分たちが武士という超特権階級にいながら、その幕府を批判するなどということはありえない。そこで、その矛先を、吉良さんに向けた。

 ……日本人にはなじみのある物語だが、しかしオーストラリア人にはそうでなかった。一度、この話が友人の中で話題になったとき、私は彼らの質問攻めの中で、最終的には説明できなくなってしまった。ひとつには、彼らにもそういう主従関係はあるが、契約で成りたっている。つまり彼らの論理からすれば、「軽率な振るまいで子分の職場を台なしにした浅野さん自身に、責任がある」ということになる。

 さてあなたなら、こうした疑問にどう答えるだろうか。彼らにはたいへん理解しがたい物語だが、その理解しがたいところが、そのまま日本のわかりにくさの原点にもなっている。「日本異質論」も、こんなところから生まれた。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(402)

●政治家へのワイロ

 ある県のある都市での話。もう時効になったと思うから話す。今から三〇年ほど前には、その都市の市議会議員への謝礼は、一回の口利きで、一〇~一五万円(当時)と相場が決まっていた。

たとえば就学前の学校区変更でも、正当な手続きをふむと、最低でも二~三か月はかかった。しかしこれではA小学校への入試には間にあわない……というようなとき、そのスジの人の紹介で、親は市議会議員の自宅へ走る。そうするとたいてい一、二週間のうちには、学校区の変更ができた。そのときの謝礼もやはり、一〇~一五万円だった。

もちろんこうしたことをよしとしない議員もいただろうが、この話をしてくれた人は、「そういう議員はこの町にはいなかったなア」と言った。

 今朝の新聞(〇二年六月)によれば、国会議員の鈴木M氏も、同じように謝礼を受け取っていたという。その額、六〇〇万円! 一回の口利きで、である。しかもその謝礼を払った会社は、いままでほとんど話題になったことがない会社である。

ということは、鈴木M氏は、無数の、こうした謝礼を受け取っていたのではないかという疑惑がわいてくる。……と言っても、私は驚かない。三〇年前の市議会議員が一〇万円とするなら、現在の国会議員が六〇〇万円というのは、それなりに連続性がある。この世界にはこの世界の、ルールや相場というものがあるらしい。それがよいとか悪いとか言う前に(悪いに決まっているが)、政治というのは、そういう「しくみ」で動くらしい。

 だからといって、私は政治家が悪いといっているのではない。私はたびたび自分の頭の中で、こんなシミュレーションをしてみる。仮に目の前に数一〇〇万円の現金が置かれたとする。そのときたった一回の電話でそれが自分のものになるとしたら、それを断わる勇気が、私にはあるか、と。

で、何度シミュレーションしても答は同じ。「私にはその勇気はない」だった。恐らく私のように、来月の生活費はともかくも、これから先、老後をどうやって過ごそうかと考えている人なら、多分、私と同じことを考えるだろうと思う。いわんや来月の生活費をどうしようと考えている人なら、数一〇〇万でなくても、数一〇万円でもありがたい。あるいはあなたならこういうばあい、どうするか?

 こうした人間の弱さをコントロールするには、厳罰主義しかない。たった一回でもワイロを受け取ったら、一〇年の懲役刑にするとか、そういうふうにする。私にしても、一〇年の懲役刑はこわい。もしそうなら、数一〇〇〇万円でも、私は受け取らない。机の上に積まれた札束を見ただけで、私はふるえあがるだろう。

 幸か不幸か(本当のところ、どちらかよくわからないが)、私はいまだかって、そういう苦しい(?)立場に置かれたことがない。また自分のそうした弱さを知っているから、私は政治家にはなれない。仮にワイロを断わったとすると、あとで後悔するかもしれない。「ああ、あのときもらっておけばよかった」と。だから要するに、そういう世界とは近づかないことだと心に決めている。ちなみに私は過去三〇年間、無数の子育て相談に応じてきたが、一度だって、お金を請求したことも、受け取ったこともない。念のため。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(403)

●不安の構造

 生きることには不安はつきものか。若いころは若いころで、自分の将来に大きな不安感をもつ。結婚してからも、そして子どもをもってからも、この不安はつきることがない。それはちょうど健康と病気のような関係ではないか。健康だと思っていても、どこかに病気、あるいはそのタネのようなものがある。本当に健康だと思える日のほうが、少ない。

言いかえると、その不安があるからこそ、人はその不安と戦うことで、生きる力を得る。もしまったく不安のない状態に落とされたら、その人は生きる気力さえなくしてしまうかもしれない。いや、不安と戦うたびに、人は強くなる。とくに子育てにおいては、そうだ。こんなことがあった。

 アメリカにいる二男からある日、こんなメールが届いた。「一六輪の大型トラックが、ぼくの車にバックアップしてきて、ぼくの車はめちゃめちゃになってしまった」と。「バックアップ」の意味を、私は「追突」ととらえた。私は大事故を想像し、すぐ電話を入れたが、つながらない。ますます不安になり、アメリカ人の友人にも、様子を調べるよう依頼した。当時ガールフレンドもいたので、そちらにも電話した。

が、アメリカは真夜中のことで、思うように連絡がとれない。気ばかりがあせって、頭の中はパニック状態になった。

 で、(アメリカの)翌朝、電話がやっとつながった。話を聞くと、「ガソリンスタンドで停車していたら、前にいた大型トラックがバックしてきて、自分の車の前部にぶつかった」ということだった。「バックアップ」の意味が違っていた。私はひとまず安心したが、それ以後、どういうわけか、二男の運転のことでは心配にならなくなった。

それまでの私は、「交通事故を起こすのではないか」と、毎日のように、そればかりを心配していた。が、その事件以来、そういう心配をしなくなった。ほかに以前は、二男が日本とアメリカを往復するたびに、飛行機事故を心配したが、一度、二男が乗るべき飛行機に乗らず、しかも乗客名簿に名前がないことを知って、おお騒ぎしたことがある。

そのときも、二男はただ飛行機に乗り遅れただけということがわかって、安心したが、以後、二男の飛行機では心配しなくなった。……などなど。

 親というのは、子どものことで心配させられるたびに、そしてその心配を克服するたびに、大きく成長(?)するものらしい。「あきらめる」ということかもしれない。つまりそういう形で、人生の一部、一部を、子どもに手渡しながら、子離れしていく。

 さて今、私は老後のことを考えると、不安でならない。あと一〇年は戦えるとしても、その先の設計図がまったくわからない。へたをすると、それ以後は収入さえなくなるかもしれない。しかし、だ。そういう不安があるから、今こうして、仕事をする。懸命に仕事をする。安楽に暮らせる年金が手に入るとわかったら、恐らくこうまでは仕事をしないだろう。不安であることが悪いことばかりではないようだ。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(404)

●生きる源流に視点を

 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づき、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の息子が助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、魚釣りをしていて、息子の一人を助けてくれた。以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、「生きていてくれるだけでいい」と思いなおすようにしている。

が、そう思うと、すべての問題が解決するから不思議である。特に二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あるいは中学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なからずあわてたが、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切ることができた。

 私の母は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、上を見れば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子どもが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。

朝起きると、子どもがそこにいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分は自分で勝手なことをしている……。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生活の中に、すばらしい価値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、すべての問題が解決する。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたように、フォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得る・ため」とも訳せる。つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」ということになる。

仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、「as you like」と英語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばらしい訳だと思う。この言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さらに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、その真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を越え、谷を越える。そして一つ山を越えるごとに、それまでの自分が小さかったことに気づく。が、若い親にはそれがわからない。

ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談をしてきた母親がいた。東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授業についていけない。この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受けるたびに、私は頭をかかえてしまう。


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