最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●子育てジャンプ(2)

2009-07-15 09:21:30 | 日記
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(405)

●Nさんの相談より

Nさん(九州福岡)の相談より。「最近、息子(中一)の勉強が空回りしているようです。国語嫌いがたたって、その影響がすべての科目に出てきています。せっかく買った月刊のワークブックも、このところやらないまま、たまっていく一方です。このままうちの子がダメになるのではないかと、心配でなりません。どうしたらいいでしょうか」と。つづいて息子(M君とする)について、詳しく書かれていた。

M君は小学生のころから、国語が苦手だった。漢字がつまずきの原因だった。そのため本を読むのが嫌いになった。やさしい性格がかえってわざわい(?)して、競争心が弱く、何でも「まあ、まあ」という状態ですますようになった。図書館へ毎週連れていって、読書をするよう指導はしてみたが、効果は一時的だったように思う。

とくに漢字については、(できない)→(逃げる)の悪循環の中で、ますます苦手になっていった。そしてその結果(?)、社会も理科も、漢字を使うところでつまずいてしまっている。能力的には、問題はないと思う。頭のやわらかさ、思考力も、ふつうの子ども以上にある、と。

 国語がすべての科目に影響するということは、よくある。日本のばあい、理科、社会という科目についても、「理科的な国語」「社会的な国語」と思ったほうがよい。だから国語力(読解力、表現力、表記力)が落ちると、同時に理科や社会の成績が落ちるということはよくある。

反対に、国語力があがると、同時に理科や社会の成績があがるということもよくある。(もちろん理科でも、数学的な部分はあるし、数学でも国語的な部分はある。)だから小学校の低学年児についていえば、ここでいう国語力の養成を大切にする。

方法としてはすべて、本読みにはじまり、本読みに終わる。本来ならその方向性に従って、子どもの教育は始まるのだが、この日本では、書き順だの、トメ、ハネ、ハライだの、そういう「形」ばかりにこだわる。こだわることは、オーストラリアの教育とくらべてもそれがよくわかる。たった二六文字しかない英語にしても、書き順など、ない。スペル(つづり)にしても、彼らは実に自由に書いている。

一度壁に張られた子どもたちの作文を見て私は驚いた。そこで先生(小三担当)に「なおさないのですか?」と聞くと、その先生は笑ってこう言った。「シェークスピアの時代から、正しいスペルというのはありません。大切なのはルール(文法やスペル)ではなく、中身です」と。残念ながら、日本には、こういうおおらかさはない。ある小学校の校長は私にこう言った。「林先生は、そうは言うが、書き順などというのは、最初にしっかり教えないと、なおすことができないのです」と。

 だったら私はあえて言う。書き順など、どうでもよいではないか。「口」という漢字にしても、四角を書けば、それでよい。どうして日本人よ、そんな常識がわからないのか! 大切なのは、ルールではなく、中身だ。どうして日本人よ、そんな常識がわからないのか!  ある程度できればそれでよしとする「おおらかさ」が、子どもを伸ばす。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(406)

●Nさんの相談より(2)

 「こんな丸のつけ方はない」と怒ってきた親がいた。祖母がいた。「ハネやハライが、メチャメチャだ。ちゃんと見てほしい」と。私が子ども(幼児)の書いた文字に、花丸をつけて返したときのことである。

あるいはときどき、市販のワークを自分でやって、見せてくれる子どもがいる。そういうときも私は同じように、大きな丸をつけ、子どもに返す。が、それにも抗議。「答がちがっているのに、どうして丸をつけるのか!」と。

 日本人ほど、「型」にこだわる国民はいない。よい例が茶道であり華道だ。相撲もそうだ。最近でこそうるさく言わなくなったが、利き手もそうだ。「右利きはいいが、左利きはダメ」と。私の二男は生まれながらにして左利きだったが、小学校に入ると、先生にガンガンと注意された。書道の先生ということもあった。

そこで私が直接、「左利きを認めてやってほしい」と懇願すると、その先生はこう言った。「冷蔵庫でもドアでも、右利き用にできているから、なおしたほうがよい」と。そのため二男は、左右反対の文字や部分的に反転した文字を書くようになってしまった。書き順どころではない。文字に対して恐怖心までもつようになり、本をまったく読もうとしなくなってしまった。

 近く小学校でも、英語教育が始まる。その会議が一〇年ほど前、この浜松市であった。その会議を傍聴してきたある出版社の編集長が、帰り道、私の家に寄って、こう話してくれた。

「Uは、まず左半分を書いて、次に右半分を書く。つまり二画と決まりました。同じようにMとWは四画と決まりました」と。私はその話を聞いて、驚いた。英語国にもないような書き順が、この日本にあるとは! 

そう言えば私も中学生のとき、英語の文字は、二五度傾けて書けと教えられたことがある。今から思うとバカげた教育だが、しかしこういうことばかりしているから、日本の教育はおもしろくない。つまらない。

たとえば作文にしても、子どもたちは文を書く楽しみを覚える前に、文字そのものを嫌いになってしまう。日本のアニメやコミックは、世界一だと言われているが、その背景に、子どもたちの文字嫌いがあるとしたら、喜んでばかりはおられない。だいたいこのコンピュータの時代に、ハネやハライなど、毛筆時代の亡霊を、こうまでかたくなに守らねばならない理由が、一体どこにあるのか。「型」と「個性」は、正反対の位置にある。子どもを型に押し込めようとすればするほど、子どもの個性はつぶれる。子どもはやる気をなくす。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(407)

●Nさんの相談より(3)

 正しい文字かどうかということは、つぎのつぎ。文字を通して、子どもの意思が伝われば、それでよし。それを喜んでみせる。そういう積み重ねがあって、子どもは文を書く楽しみを覚える。

オーストラリアでは、すでに一〇年以上も前に小学三年生から。今ではほとんどの幼稚園で、コンピュータの授業をしている。一〇年以上も前に中学でも高校でも生徒たちは、フロッピーディスクで宿題を提出していたが、それが今では、インターネットに置きかわった。先生と生徒が、常時インターネットでつながっている。こういう時代がすでにもう来ているのに、何がトメだ、ハネだ、ハライだ! 

(注:この原稿を書いたのは、2000年ごろです。)

 冒頭に書いたワークにしても、しかり。子どもが使うワークなど、半分がお絵かきになったとしても、よい。だいたいにおいて、あのワークほど、いいかげんなものはない。それについては、また別のところで書くが、そういうものにこだわるほうが、おかしい。

左利きにしても、人類の約五%が、左利きといわれている(日本人は三~四%)。原因は、どちらか一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝という遺伝説。生活習慣によって決まるという生活習慣説などがある。

一般的には乳幼児には左利きが多く、三~四歳までに決まるが、どの説にせよ、左利きが悪いというのは、あくまでも偏見でしかない。冷蔵庫やドアにしても、確かに右利き用にはできているが、しかしそんなのは慣れ。慣れれば何でもない。

 子どもの懸命さを少しでも感じたら、それをほめる。たとえヘタな文字でも、子どもが一生懸命書いたら、「ほお、じょうずになったね」とほめる。そういう前向きな姿勢が、子どもを伸ばす。これは幼児教育の大原則。昔からこう言うではないか。「エビでタイを釣る」と。しかし愚かな人はタイを釣る前に、エビを食べてしまう。こまかいこと(=エビ)を言って、子どもの意欲(=タイ)を、そいでしまう。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(408)

Nさんの相談より(4)

 「書き順などなくせ」という私の意見に対して、「日本語には日本語の美しさがある。トメ、ハネ、ハライもその一つ。それを子どもに伝えていくのも、教育の役目だ」「小学低学年でそれをしっかりと教えておかないと、なおすことができなくなる」と言う人がいた。

しかし私はこういう意見を聞くと、生理的な嫌悪感を覚える。その第一、「トメ、ハネ、ハライが美しい」と誰が決めたのか? それはその道の書道家たちがそう思うだけで、そういう「美」を、勝手に押しつけてもらっては困る。要はバランスの問題だが、文字の役目は、意思を相手に伝えること。「型」ばかりにこだわっていると、文字本来の目的がどこかへ飛んでいってしまう。

私は毎晩、涙をポロポロこぼしながら漢字の書き取りをしていた二男の姿を、今でもよく思い出す。二男にとっては、右手で文字を書くというのは、私たちが足の指に鉛筆をはさんで文字を書くのと同じくらい、つらいことだったのだろう。二男には本当に申し訳ないことをしたと思っている。この原稿には、そういう私の、父親としての気持ちを織り込んだ。

ついでながら、経済協力開発機構(OECD)が調査した「学習到達度調査」(PISA・二〇〇〇年調査)によれば、「毎日、趣味で読書をするか」という問いに対して、日本の生徒(一五歳)のうち、五三%が、「しない」と答えている。この割合は、参加国三二か国中、最多であった。また同じ調査だが、読解力の点数こそ、日本は中位よりやや上の八位であったが、記述式の問題について無回答が目立った。無回答率はカナダは五%、アメリカは四%。しかし日本は二九%! 

文部科学省は、「わからないものには手を出さない傾向。意欲のなさの表れともとれる」(毎日新聞)とコメントを寄せているが、本当にそうか? それだけの理由か? 日本の子どもたちの読書嫌いの「根」は、もっと深いとみるべきではないのか。

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