最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

(2)

2009-11-16 08:11:04 | 日記


●知らぬフリ

 この世界の第一の鉄則は、内政不干渉。
その子どもの問題点がわかっていても、知らぬフリ。
たとえばかん黙児にせよ、AD・HD児にせよ、自閉症スペクトラムにせよ、そういう子
どもとわかっていても、知らぬフリをする。

 実際には、40年もこんな仕事をしていると、その子どものもつ問題点は、会った瞬間
にわかる。
わかるが、それを口にするのは、タブー。
さらには、私のばあい、その子どもの1年後、5年後、10年後の姿まで見える。
どの段階で、どのような問題を起こすかもわかる。
わかるものはわかるのであって、どうしようもない。

 しかしそれも、口に出して言うのはタブー。
いわんや、診断名を具体的に口にするのは、タブー中のタブー。
診断名を口にできるのは、専門のドクターだけ。

●10%のニヒリズム

 もちろん失敗もした。
数多くの失敗もした。
「この人だけはだいじょうぶ」と信じて話したことが、そのあと大問題になったという例
は、多い。

 こうした経験を通して、私は少しずつ利口になっていった。
口も重くなっていった。

 私はバカな、何も知らない、ただの教師。
そのほうが気も楽だった。
今も、そのほうが、気が楽。

 それに正直に告白するが、どうせ説明したところで、若い親たちには、私の話すことな
ど、理解できない(失礼!)。
この世界には、「10%のニヒリズム」という言葉さえある。
若いころ、どこかの教師が教えてくれた言葉である。

 つまりわかっていても、わからないフリをする。
結局子育てというのは、親自身が、自ら失敗を重ねながら、その中から、自分で学んでい
く。
それしかない。
そのとき「この親は失敗する」とわかっていても、黙って見ているしかない。

 それはちょうど、若い女性がタバコを吸っているのを見るときの気持ちに似ている。
女性がタバコを吸って、よいことは何もない。
妊娠、出産にも、深刻な影響を与える。

 しかしそういう女性に向かって、だれが「タバコはやめたほうがいいですよ」と、言う
ことができるだろうか。
それこそいらぬお節介。
だから黙る。
口を閉ざす。
その(冷たさ)が、「ニヒリズム」ということになる。

 このニヒリズムがないと、教師は自分の職業を支えることができない。

●家族の代表

 2000年に入ってから、「子どもは家族の代表」という考え方が、広く浸透してきた。
若いころ「幼児教育は母親教育」と一脈を通ずる考え方である。

 つまり子どもに何か問題が起きたとしても、それは子どもだけの問題ではないというこ
と。
家族という環境の中で、その子どもはなるべくして、そのような子どもになっていく。
だから子どもに何か問題があったとしても、その問題だけをながめていても、その子ども
の問題は解決しない。

 家族という環境の改善が、必要不可欠となる。
たとえば親の過干渉、過関心で萎縮してしまった子どもがいる。
こういうとき親は身勝手なもので、そういう子どもを見ながら、「どうすればうちの子は、
もっとハキハキするでしょうか」と相談してくる。

 しかし正すべきは、子どものほうではない。
親のほうである。
親の育児姿勢のほうである。
そういう例は多い。

●誤解

 しかし重要性という点では、幼児教育……というより幼児期の教育ほど、重要なものは
ない。
大学の教育より、重要。
その上、奥が深い。
幼児教育は、その人間の基礎をつくる。
方向性をつくる。
もちろん(心)もつくる。

 それからの教育は、その基礎の上に立った方向性に従ってなされるだけ。
中には、「幼児教育なんて……!」とはき捨てる人もいる。
しかしそれこそ無知と誤解。

 幼児教育イコール、幼稚教育。
幼児の相手をするだけの簡単な教育。
そう考えている人は多い。

 一度、「人間の性格、その人の人格の基礎は、幼児期にできます」と話したときのこと。
ある男性(個人の自転車屋を経営)は、笑ってこう言った。

 「そんなバカなことがあるか。人間の性格、人格は、おとなになってからできる」と。

 つまりそれが当時の、そして現在も残っている、幼児教育への偏見と誤解ということに
なる。

●笑えば伸びる

 最初に書いたように、私がした幼児教育というのは、まず、子どもたちに来てもらわね
ばならない。
子どもたちが「来たくない」と言えば、それでおしまい。
しばらくすると、親たちは、それを理由にして、私の教室を去っていく。

 だからいつしか、私は子どもたちが楽しむ教室に心がけた。
これは思わぬ副産物を産み出した。
『笑えば伸びる』という私の持論も、そこから生まれた。

 まず子どもたちを笑わせる。
楽しませる。
第一に、それは教室の経営を安定させるためである。
しかし笑うことによって、子どもたちの心は明らかに変化する。
「障害」という言葉は、安易に使えない。
しかし笑うことによって、また笑わせることによって、「~~障害」という障害が、治って
いく。
それが、私にもわかった。

 たとえば軽度のかん黙症、自閉傾向のある子ども(自閉症ではない)などは、数週間も
指導すれば、治ってしまう。
私には、「治った」とわかっていても、もちろん、それを口に出すことはないが……。

 さらに言えば、心を開放できない子どもは、多い。
程度の差もあるが、約3分の1はそうではないか。
症状がひどくなると、情意(心)と、表情(顔に表れる表情)が、不一致を起こすように
なる。
教える側から見ると、何を考えているか、わからない子どもということになる。

 そういう子どもでも、ゲラゲラ笑わせると、(……そういうふうに笑うようになるまでが
たいへんだが……)、やがて情意と表情が一致してくるようになる。
私の仕事は、もちろん知的能力を伸ばすこと。
しかしそれでは私自身が、満足できない。
そこでやがて私は、本を書くようになった。

●教材稼業

 その前に、私は、教材作りに、面白さを覚えていた。
浜松市を相手にするより、全国を相手にしたほうが、おもしろい。
こと教材作りに関しては、私の頭の中から、(浜松市)は消えた。
どうでもよかった。

 いろいろな教材を手がけた。
大手の出版社で商品化した教材も多い。
というのも、出版社は出版社。
出版のノウハウはもっていたが、やはり実際、幼児を教えたことのある編集者は皆無だっ
た。
そこに私の存在価値があった。
仕事はそのつど、こなしきれないほど、回ってきた。
私は毎晩のように、速達を届けるため、郵便局へ車を走らせた。

 が、やがて限界を感ずるようになった。
40歳を過ぎてからではないか。

 私が制作した教材は、出版社の担当者が替わるたびに、別の作者の名前で発表されるよ
うになった。
さらに教材の世界には、著作権というものが、ない。
私が作った教材にしても、それが新案のものであっても、どんどんと盗用されていった。
教材の世界では、クマさんが、ウサギさんに変わっただけで、別の教材になる。

 では、実用新案特許を申請すればよいということになるが、それは出版社の仕事だった。
個人の私には、負担が大きすぎた。
財政的な負担も大きい。
それにめんどう。
それ以上に、つぎつぎと湧き起きてくるアイディアを、いちいち特許申請するなどという
ことは、不可能だった。

 たとえば、あの先生には悪いが、「100マス計算」などという言葉がある。
縦と横に数字を書き、100マスの計算をさせるというあれである。
あんなのは(失礼!)、当時、私も含めて、少しアイディアを働かせている教師なら、みな、
それをしていた。
ただひとつのちがいは、実用新案の申請をしたか、しなかったかのちがいだけだった。

●本

 教材稼業からは、足を洗った。
それにはいろいろな理由がある。
しかしここに書いても意味はない。
愚痴になる。

 その代わり、私は、本を書くようになった。
文章を書くのは、嫌いではなかった。
若いころから、いろいろな人のゴーストライターとなって、本も書いていた。
翻訳もしていた。

 で、本を書くようになった。
多い年には、1年で、10冊以上も書いたことがある。
私は文章を書くことに、楽しみというか、生きがいを覚えるようになった。
インターネットの時代になって、それにますます拍車がかかった。

 というのも、それまでは、こうした仕事は、中央でなければ成り立たないという社会的
常識が支配していた。
地方は地方。
地方で、いくらモノを書いても意味はない。
だれもがそう思っていたし、私もそう思っていた。
しかしその壁が、インターネットで取り外された。

 しかもおもしろいことに、インターネットの世界では、東京そのものを通り越して、世
界中に発信できる。
私には、これほど小気味のよいことはなかった。

●教育論の限界

 その親のレベルがどうであれ、子育てには、その親の哲学、人生観、価値観など、すべ
てが凝縮される。
裏を返して言うと、教える側にしても、そこに自分の哲学、人生観、価値観を凝縮する。
教育というのは、車の運転にたとえるなら、運転をするだけのもの。
しばらく運転していれば、だれだって、うまくなる。

 が、それだけでは足りない。
そこでその教師の哲学、人生観、価値観などが試される。
教師といっても、教育論だけを書いていてはいけない。
ときには哲学、人生観についても、書いていく。
そういう姿勢があってこそ、はじめて、親たちと対等に接することができる。

 私のばあいも、20代~30代のころは、東洋医学に興味をもった。
30代~40代のころには、宗教に興味をもった。
合計すれば、10冊以上の本を書いた。

 そうした裏からの支えがあって、はじめて、私たちは、自分の教育論を展開できる。
そういう点では、(教育)は、奥が深い。
専門分野だけを、月謝(給料)をもらって切り売りするというのは、またその範囲で満足
するというのは、教育者の名に恥じる。

●こうして40年

 こうしてすでに40年近い年月が過ぎた。
40年!
自分では、「まだまだだいじょうぶ」と思っているが、本当のところ、自信はない。
しかもその自信は、年々、小さくなってきている。

 頭の活動も、鈍ってきた。
体力もつづかなくなってきた。
何よりもこわいのは、集中力が弱くなってきたこと。

 ここまでで、約10ページ分(40字x36行)の原稿を書いたが、そろそろ疲れを感
ずるようになった。
若いころは、40ページ近くは、一気に、平気で書いていた。

 この先のことはわからない。
しかしものを書ける間は、できるだけ書いていきたい。

 ……と、少し話が脱線したが、子育て論というのは、あくまでも、ひとつの「説」に過
ぎない。
親たちですら、読まない。
「どうすれば、あなたの子どもを有名大学に入れることができるか」という話になると、
親たちは、目を輝かせて、私の話を聞く。
しかし子育て論について言えば、そういう反応は、ない。
直接的な利益に結びつかない。

 だから再び、同じ話になる。

「親というのは、自分で失敗するまで、それを失敗と気がつかない」と。
あるいは「親は自分で失敗してみて、はじめて賢くなる」でもよい。
それまでは、私たちはただの傍観者でいるしかない。
ただひたすら、知らぬフリをしながら……。
ただひたすら、バカな教師のフリをしながら……。

 もちろん情報は提供する。
しかしその情報をどう使い、どう生かしていくかは、私の問題ではない。
それを読む、親自身の問題である。

 もちろん親のほうから、質問があれば、話は別。
「うちの子は自閉症スペクトラムと診断されました。
どう指導したらいいでしょうか」と聞かれれば、そのときこそ、私の出番。
私の経験が生きる。

●仕事として……

 ところで最近になって、こう思うことが多い。
日本という社会の中で見ると、幼児教育というのは、番外。
とくに日本が、マネー一辺倒の中で、高度成長をつづけていたときは、そうだった。

 私自身も、大学を卒業すると同時に、M物産という商社に、就職先を見つけた。
あの当時、少なくとも私の仲間に、教師になるような男はいなかった。
(法学部は、全員、男だった。)
みなが、銀行や商社、証券会社、保険会社へと就職先を見つけていった。

 こうした職業観というのは、それぞれの時代で、それぞれの国によって、みなちがう。
が、当時の日本は、そうだった。
マネー、マネー、マネー……。
どこを向いてもマネー、マネー、マネー……。
今でもそういう風潮は色濃く残っているが、当時は、もっとすごかった。

 私はそういう世界からはじき飛ばされた。
が、62歳という年齢になり、自分の人生を振り返ってみたとき、私自身もまた、その流
れの中で踊らされていただけということがよくわかる。

 が、その一方で、幼児教育の本当の楽しさが理解できるようになってきた。
一応、(教える)という使命を与えられているから、親たちの意向に逆らうことはできない。
しかしその範囲の中でも、子どもたちと接しているだけで、楽しい。

 そこはウソや濁りのない世界。
純粋で、無垢の世界。
たとえばどんなに気分が落ち込んでいても、子どもたちに接したとたん、パッと気が晴れ
る。
こんな仕事は、そうはない。

 で、今、多くの同窓生たちは、50歳を過ぎるころにはリストラを経験し、第二、つづ
く第三の人生を歩み始めた。
さらに60歳で定年になり、定年延長とは言いながらも、毎年短くなっていく職場に、不
安を感じながら、仕事をつづけている。

 こう書くからといって、私のしてきたことが正解などと書くつもりはない。
人は、人それぞれ。
私は私。

しかし金儲けのもつ空しさというか、それもよくわかるようになるのも、この年齢という
ことになる。
それはちょうど、軍国主義時代において、軍人をめざすようなもの。
戦争が終われば、……というより、戦争そのものが、意義を失えば、それでおしまい。
それに似たようなことが、戦後の日本で、再び起きた。

 人は生きることで、何かを残す。
それが戦後は、たまたま「金儲け」ということになった。
しかしその「金儲け」には、生きがいを結びつける力は、あまりない。
もっとわかりやすく言えば、みな、巨大な機械のパーツ。
あなたがいなくても(失礼!)、あなたの代わりをするパーツは、いくらでも待機している。
地位や名誉にしてもそうだ。

 だからこの年齢になってはじめて私は、自分のしてきたことに、意味を見出し始めてい
る。
だれもしなかった道。
少しおおげさな言い方になるかもしれないが、未開の原野を歩いたような満足感。
子どもたちと接しながら、20代のときや30代のころには感じなかった(楽しさ)を覚
え始めている。

 「おじいちゃん」とか、「ジジイ」と呼ばれながら、幼児を相手にする。
それが楽しい。

●最後に

 親は子どもを産むことで、親になるが、しかしそれだけで親になったとは言えない。
親である以上、学習を怠ってはいけない。
つねに学習、あるのみ。
相手は、人間の子どもである。
とくに子どもの心理についての学習は、必要不可欠。
この世界には、『無知は罪悪』という格言もある。

 私が考えた格言だが、親の無知が、子どもの心をゆがめるケースは少なくない。
言うなれば、無知ほど、恐ろしいものはない。
たとえばかん黙症の子ども(年中女児)に向かって、「どうしてあなたは、もっと大きな声
で話せないの!」と叱りつづけていた母親がいた。

 親の過干渉や過関心で、萎縮してしまう子どもとなると、ゴマンといる。
精神障害の引き金を引くケースも少なくない。

 だから『無知は罪悪』。

 ざっと自分の人生を振り返ってみた。
あなたの子どもを再認識するための一助になれば、うれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教育論 私の人生 はやし浩司の人生 幼児教育)


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